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なぜ、憲法か

2005年05月11日 | 読書感想
 ▲衆議院憲法調査会報告書▲が4月15日に提出されて以降、当ブログでも憲法に関連する記事を何度か書いてきました。
 
 今回は、中央公論5月号に掲載されていた「なぜ、憲法か~憲法主義の擁護のために~」(河野 勝/早稲田大学教授)を参考にしながら、憲法そのものの意味を考えてみたいと思います。
 
 普通、憲法は国家の最高法規として捉えられています。このことについては、憲法第98条で「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」とされていることからも明らかなことのように思っていました。

 しかし、意外にも本文では「憲法を国家の最高法規として捉えること、ましてやそれを憲法自体に明記することは、憲法主義の立場からして好ましくないと考えている」と記述し、その理由はとして「憲法と法律との間に引かれるべき一線を曖昧にしているから」だというのです。
 
 えっ!? どういうことなの? と正直思いました。
 確か、学校でも憲法は最高法規だと教えられたんだけど・・・・。
 
 その疑問への回答として、次のとおり示されています。

 法律と憲法は、元来その対象とするものや役割が全く違う。
 「法律とは、治めるものが治められるものに対して何をしてよいかを定める文書であるのに対して、憲法とは、治める側に対して彼らが何をして良いかを治められる側が定める文章」だから。
 また、「法律は治められる側を制約するのに対して、 憲法は治める側を拘束しているのだから、憲法は法律の頂点にあるのではなく、法律の対極に位置する、と捉えなければならない」
 


 なるほどねぇ。そういう考え方もできるのか・・・。
 
 こういう視点に立つならば、憲法は政府が改正するのではなく、国民自身が主体的に行うべき問題だということになります。だから、「国会で憲法改正が審議されている」という感覚の延長上では憲法の本質的意味をつかむことはできないどころか、国民的論議を深めることを抜きにして憲法改正が語られること自身が憲法の趣旨に反していると考える必要がありそうです。

 
 
 次に、民主主義と憲法主義(▲Constitutionalism▲)という二つの政治理念について、本質的には逆の方向を向いているものだと本文では論述されています。
 
 これまた、「えっ」とちょっとびっくりする発想です。
 私としては、両者は不可分一体のものだと思っていました。
 これに加えて、本文では憲法第41条で「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」としている点は憲法主義の立場からすると問題だと指摘されています。
 
 その理由は、「民主主義とは少数派の暴挙から多数派を守る制度を構築しようとする政治制度である。これに対して、憲法主義は、いくつかの政治的決定を、多数派といえども簡単には変更できない憲法にあらかじめ委ねてしまうという点で、少数派を多数派の暴挙から守る制度のための政治理念といえる」からだそうです。
 
 「おっ、なるほど」
 これも、意外性のある考え方ですが、物事の核心をとらえた発想であると感じました。

 
 本小論文では、憲法前文のありようについても触れています。
 筆者は、憲法前文に「日本の文化や日本人としてのアイデンティティーについて言及すべきだ」とする主張に対して、憲法主義の理念からかけ離れていると批判する一方、現行憲法の前文についても、否定的な考え方を示しています。
 そして、本来の憲法前文の機能とは何かを問う必要があるとしたえで、具体的に「なぜ日本という国が憲法を必要とするのか」を明らかにして、憲法主義の理念を受け入れることを憲法自体に宣言する必要があり、また「この憲法が国民全体の合意に基づく憲法である」ことを明確にする必要があると記述しています。
 
 次に、三権分立という基本的枠組みについても、憲法で「立法権」「行政権」「司法権」という言葉が使われていることに問題があると指摘しています。
 
 またまた面食らった感じですが、ここで筆者が言っていることは、「行政権」というのは誤訳であって、本来は立法部門が作った法律を「執行する」という権限であって、行政というあまりにも拡大したものに位置づけられていることが権力の濫用を招く原因になっているという意味です。
 
 この小論文を読んで、憲法論議において憲法九条などの個別的なことがらだけでなく、憲法そのものの基本的な理念を確立することが必要であることや、政党や政治家・憲法学者が考えるだけではなく、われわれ一人一人が正しい判断をするという責務を負っているということが理解できました。
 とにかく、憲法論議には様々なアプローチがありますが、シングルイシューではなく幅広く論じ合うことが大切であると共に、グローバル時代における国家の役割や憲法のありようといった骨太の論争軸の構築が望まれているのではないかと思います。


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