の坐すと地と魂の鎭まる地

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印波國造伊都許利命墳墓

2010年04月11日 21時36分06秒 | 歴史上人物の墓所
■墳墓■
(13th May 2009)



★印波國造伊都許利命墳墓★ 千葉県成田市船形字手黒

 千葉縣史跡

・方墳。

・印波國造伊都許利命(いつこりのみこと)墳墓と伝えられる。

・形態や石室、石棺から推測し、七世紀後半から八世紀初期のものと推測され、命の崩御年代に合わない。

・太田家系図によると、八代目広鋤手黒彦が皇極天皇元年(642)崩御とあり、年代が符合、また、手黒彦は、稷山の地に稚産靈命を遷座したとされる人物で、古墳と奥宮の所在地「手黒」とも名が一致することから、従来の説とは別に、推古天皇十六年(608)、稷山の地に麻賀多社を創祀し、手黒彦死後、遺体を葬った場所に一族が社を設け、これが麻賀多社奥宮となったと考える説もある。


■墳墓■
(13th May 2009)
 


■石櫃■
(13th May 2009)

 

■古墳出土石■
(13th May 2009)



((コメント))

2009年5月13日

 この墳墓が伊都許利命の可能性は低いとしても、この時点で大和朝廷の勢力圏に入っていたことが想像されるのでなかなか興味深いことである。


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