■桃尾瀧■
(18th May 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/0e/c337828cb9ca191b813eff952ed4df43.jpg)
★桃尾瀧★ 奈良県天理市滝本町
・落差は約二十三メートル。
・古今和歌集において後嵯峨天皇や僧正遍照が「布留の瀧」と詠んだ瀧と言われている。
・明治時代に廃絶されるまでは桃尾山蓮華王院龍寺(三龍寺の一)という密教寺院の境内地であり、清めの瀧であったとされる。
・瀧壼の左側には鎌倉時代中期の作である不動三尊磨崖佛、南北朝時代前期の作とされる如意輪觀音と不動三尊の石佛などが殘る。
・石上宮元宮という説もあるが、根拠はない。
■桃尾瀧■
(18th May 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/4c/58b0ffeaa9cf8c6b4bcb72bf2b6813ea.jpg)
((コメント))
2008年5月18日
大社および三輪山に行った後、時間があったので、案内をかね、立ち寄る。奈良盆地部周辺の人間にとっては、簡単にいける数少ない瀧だけにありがたいところである。
(18th May 2008)
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★桃尾瀧★ 奈良県天理市滝本町
・落差は約二十三メートル。
・古今和歌集において後嵯峨天皇や僧正遍照が「布留の瀧」と詠んだ瀧と言われている。
・明治時代に廃絶されるまでは桃尾山蓮華王院龍寺(三龍寺の一)という密教寺院の境内地であり、清めの瀧であったとされる。
・瀧壼の左側には鎌倉時代中期の作である不動三尊磨崖佛、南北朝時代前期の作とされる如意輪觀音と不動三尊の石佛などが殘る。
・石上宮元宮という説もあるが、根拠はない。
■桃尾瀧■
(18th May 2008)
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((コメント))
2008年5月18日
大社および三輪山に行った後、時間があったので、案内をかね、立ち寄る。奈良盆地部周辺の人間にとっては、簡単にいける数少ない瀧だけにありがたいところである。