■本殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/24/c8fa50abe470c3e7a1a94c9d734ded7d.jpg)
★内原社★ 和歌山県和歌山市内原1437
・祭は大國主命、名草彦命、名草姫命。月讀命、八大龍王大、少彦名命、日前大、蛭子命、須佐之男命を配祀。永仁三年(1295)、八大龍王大を國造家より勧請、これを大國主命と改称したという。
・内原村一村の産土。
・八大龍王大は元々、奥の院にて祀られていたもの。
■名草山遠景■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/29/4c6f6710383ba76499b89bae35e11eb5.jpg)
■鳥居、割拜殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/6f/598ca40642eead35a1f97621488a9b28.jpg)
■舞殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/ae/2a453aa8143d397bcd6037562422c27a.jpg)
■本殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/91/646c77c79e1eb69dc3d3dffebb65d3a7.jpg)
■内原社奥の院跡■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/05/e4005237eb0070fcf6e14aa3705610af.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/89/21a697e5dcc5a39235d459f6e5ca3b00.jpg)
((コメント))
2009年4月28日
名草戸畔に関係していそうなところへ行くべく、内原社へといった。本当は、名草山の山中にある古代イズモ族の古代祭祀跡へも行きたかったのだが所在の詳細がわからなかったことなどで、断念し、奥の院跡までで留めることとした。山裾にあるのだが、本殿の周りは緑に覆われており、なかなか視覚的に美しいところである。
祭であるが、八大龍王を大國主と改称して祀った事になっているが、奥の院には八大龍王を別に祀っており、その後、配祀神になっていることから勝手に推測するが、大國主は本来、三輪の大物主であろう。名草彦と名草姫、元々、双方が存在したのか、後世に作られた系図のせいかはわからないが、おそらく、名草戸畔のいう呪術的司祭者であった女王であることはほぼ間違いないであろう。名草彦というものが存在したのであらば、邪馬壹國の卑弥呼に対する弟に当たる人物だったのではないか、と推測する。武東征傳承で戦闘のときに、軍を指揮すべき長がいたはずなのだから。夫婦なのか、兄弟なのか、親子なのか、別のものか、それは知らぬが。案外、大伴連の祖といわれる道臣命かも知れないが、まあ、それはないだろう。名草戸畔、丹敷戸畔、荒川戸畔は古代イズモ族であるので、絶対である大物主を祀るのに不思議はなく、そう考えると、八大龍王という名前は大物主の隠れ蓑としての祭であったように思わざるをえない。そして、何故か、後世に、大物主と大國主が同一視されるようになったために、大國主の名称が内原社の祭の名称として使われているのだろう。
(28th April 2009)
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★内原社★ 和歌山県和歌山市内原1437
・祭は大國主命、名草彦命、名草姫命。月讀命、八大龍王大、少彦名命、日前大、蛭子命、須佐之男命を配祀。永仁三年(1295)、八大龍王大を國造家より勧請、これを大國主命と改称したという。
・内原村一村の産土。
・八大龍王大は元々、奥の院にて祀られていたもの。
■名草山遠景■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/29/4c6f6710383ba76499b89bae35e11eb5.jpg)
■鳥居、割拜殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/6f/598ca40642eead35a1f97621488a9b28.jpg)
■舞殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/ae/2a453aa8143d397bcd6037562422c27a.jpg)
■本殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/91/646c77c79e1eb69dc3d3dffebb65d3a7.jpg)
■内原社奥の院跡■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/05/e4005237eb0070fcf6e14aa3705610af.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/89/21a697e5dcc5a39235d459f6e5ca3b00.jpg)
((コメント))
2009年4月28日
名草戸畔に関係していそうなところへ行くべく、内原社へといった。本当は、名草山の山中にある古代イズモ族の古代祭祀跡へも行きたかったのだが所在の詳細がわからなかったことなどで、断念し、奥の院跡までで留めることとした。山裾にあるのだが、本殿の周りは緑に覆われており、なかなか視覚的に美しいところである。
祭であるが、八大龍王を大國主と改称して祀った事になっているが、奥の院には八大龍王を別に祀っており、その後、配祀神になっていることから勝手に推測するが、大國主は本来、三輪の大物主であろう。名草彦と名草姫、元々、双方が存在したのか、後世に作られた系図のせいかはわからないが、おそらく、名草戸畔のいう呪術的司祭者であった女王であることはほぼ間違いないであろう。名草彦というものが存在したのであらば、邪馬壹國の卑弥呼に対する弟に当たる人物だったのではないか、と推測する。武東征傳承で戦闘のときに、軍を指揮すべき長がいたはずなのだから。夫婦なのか、兄弟なのか、親子なのか、別のものか、それは知らぬが。案外、大伴連の祖といわれる道臣命かも知れないが、まあ、それはないだろう。名草戸畔、丹敷戸畔、荒川戸畔は古代イズモ族であるので、絶対である大物主を祀るのに不思議はなく、そう考えると、八大龍王という名前は大物主の隠れ蓑としての祭であったように思わざるをえない。そして、何故か、後世に、大物主と大國主が同一視されるようになったために、大國主の名称が内原社の祭の名称として使われているのだろう。