■早野巴人墓■
(24th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/af/f30581f954bc65817e7c4baf0a1bf36b.jpg)
早野巴人墓 京都府京都市北区大将軍川端町2 地藏院境内
・江戸時代の俳人で與謝蕪村の師。
・のちに夜半亭宋阿と改める。
・下野國那須郡烏山に生まれる。
・元祿二年(1689)、松尾芭蕉の「奥の細道」の足跡を辿って旅をする。
・江戸に戻ったあと、寶井其角、服部嵐雪の門人となり俳諧を學ぶ。
・辞世の句は「こしらへて有りとは知らず西の奧」。
((コメント))
2009年4月24日
特に知っている人ではないために思うところはない。ただ、寶井其角の門人というところに縁を感じる。其角は大石内蔵助良雄と懇意であったといい、この地藏院になんとなく赤穗につながる縁を感じなくもない。
(24th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/af/f30581f954bc65817e7c4baf0a1bf36b.jpg)
早野巴人墓 京都府京都市北区大将軍川端町2 地藏院境内
・江戸時代の俳人で與謝蕪村の師。
・のちに夜半亭宋阿と改める。
・下野國那須郡烏山に生まれる。
・元祿二年(1689)、松尾芭蕉の「奥の細道」の足跡を辿って旅をする。
・江戸に戻ったあと、寶井其角、服部嵐雪の門人となり俳諧を學ぶ。
・辞世の句は「こしらへて有りとは知らず西の奧」。
((コメント))
2009年4月24日
特に知っている人ではないために思うところはない。ただ、寶井其角の門人というところに縁を感じる。其角は大石内蔵助良雄と懇意であったといい、この地藏院になんとなく赤穗につながる縁を感じなくもない。