の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

耳塚(鼻塚)

2010年12月04日 14時57分58秒 | 歴史上人物の墓所
■耳塚■
(3rd November 2007)



耳塚(鼻塚) 京都府京都市東山区茶屋町

 國史跡

・豐臣秀吉の朝鮮出兵(文禄慶長の役:1592~1598)において、戰功の證として討ち取った朝鮮、明國兵の耳や鼻をそぎ落とし持ち帰ったものを葬った塚。

・當初は「鼻塚」と呼ばれていたが、林羅山がその著書『豐臣秀吉譜』の中で鼻そぎでは野蛮だというので「耳塚」と書いて以降、耳塚という呼稱が廣まったとされる。

・二万人分の耳と鼻が埋められている。


((コメント))

2007年11月3日

 豐臣秀吉の傳記や日本史の教科書を通して存在は知っていたが、訪れるのは初めてであった。全く殘酷なことをしてきたものであった。豐臣秀吉はやはり、若いときから明るいイメージの裏側に非常に殘酷な一面を持っていったが、諌める事のできた弟小一郎秀長の死後は加速的にその裏の一面が表に出るようになってきた。その醜い彼の事業の一つがこの戰さであり、日本と韓國の間にしこりを殘す原因の一つとなっている。大阪では「太閤さん」といって人氣があるものだが、彼を慕う人間の氣持ちがわからない。


最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。