の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

豐前國一之宮宇佐宮

2010年04月17日 09時40分37秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■下宮外拜殿と廻廊■
(12th November 2008)
 


★豐前國一之宮宇佐宮★ 大分県宇佐市南宇佐2859 

 國史跡

・延喜式内社、豐前國宇佐郡、八幡大菩薩宇佐宮、名大。

・延喜式内社、豐前國宇佐郡、比賣社、名大。

・延喜式内社、豐前國宇佐郡、大帶姫廟社、名大。

・舊社格は官幣大社。

・全國四万四千社と称する八幡宮の總本社で、宇佐八幡宮とも呼ばれる。

・主祭は八幡三と呼ばれ、祭られている殿の順に應天皇(一之御殿)、比賣大(二之御殿)、功皇后(三之御殿)の三柱のが上宮および下宮に祀られている。比賣大は宗像三と考えられている。

・欽明天皇三十二年(571)、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁降り立ち、大比義が祈ると三才童児となり、「我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂、護國靈験の大菩薩」と託宣があったと言われる。

・遅くとも社殿を新たに建て替えたと考えられている和銅元年(708)頃までには大比義と關係がある大一族が大和朝廷より宇佐の地にやってきて、あるいは大和朝廷と手を結んで、佛習合、八幡創出を行ったと考えられている。

・宇佐宮は三つの巨石を比賣大の顯現として祀る御許山山頂の奥宮大元社の麓に位置し、豪族宇佐氏の磐座信仰が当初の形態であろうと考えられている。

・当初は香春岳山麓に住み、その後、現在の中津市大貞薦社で官もしくは巫女を務めていたと思われる、渡来系のスサノオの子、五十猛命が始祖と言われている辛嶋氏が比賣大信仰を持ち込んだという。

・東大寺造営の際に宮司等が託宣を携えて都にのぼり、造営を支援したため、中央との結びつきが強くなり、宇佐宮は伊勢宮に次ぐ皇室第二の宗廟として崇拜の対象とされた。

・宇佐宮の元宮は、福岡県築上郡築上町にある矢幡八幡宮という説もある。

・源平争乱期には平清盛の娘を妻とする大宮司宇佐公通が平氏方につき、屋島の戦いから敗走する總大将平宗盛ら平家一門は宇佐宮をって束の間安天皇と共に公通の舘に滞在したが、豐後の緒方惟義(源爲義の子とも言う)が源氏方について反逆したこともあり庇護しきれなかった。

・宇佐(到津)公連は鎌倉幕府倒幕においても活躍して、後に懐良親王擁立に参加している。

・平安時代まで、天皇の代替わりなど重要時には宇佐使という使節が朝廷から派遣されていた。宇佐八幡宮託事件にちなみ、宇佐使は和氣清麻呂の子孫である和氣氏が務めるのが通例であった。

・宇佐使は建武期に復活したが、再び停止、明治以降に復活し、大正時代から皇室から侍従職あるいは掌典職などの勅使が十年おきに派遣される勅使祭となって現在も続く。


■呉橋■
(12th November 2008)
 

 大分縣指定文化財

・西參道にある。昭和初期まで、西參道が表參道であり、朝廷より派遣された宇佐使と呼ばれる勅使が通ったため勅使街道とも呼ばれていた。
・この橋は、元和八年(1622)、時の藩主細川忠利により修築された。
・築造年代は不詳であるが、鎌倉時代より前に存在していたといわれ、中国の呉の人が架けたと伝えられる。
・上部は木造で、三基ある橋脚は石造、屋根は向唐破風造で檜皮葺(棟は銅瓦葺)。
・現在は渡ることはできず、十年に一度の勅使祭の時にのみ使用。


■西大門■
(12th November 2008)


 大分縣指定文化財

・文禄の頃(十六世紀末)に改築されたといわれ、以来この桃山風の華麗な構造となる。
・屋根は切妻及び向唐破風造りで檜皮葺、内部はとくに極彩色が多用される。
・流れは唐破風。 


■井■
(12th November 2008)
 


■南中樓門■
(12th November 2008)


 大分縣指定文化財

・勅使門ともいい、善王社として、良大明、阿蘇大明の二を祀る。
・宮内郭の南正門。
・勅使門で通常は開かずの門である。
・入母屋造檜皮葺樓門。
・寛保三年(1743)再建。


■上宮本殿■
(12th November 2008)

  

 國寶

・八幡造。
・一之御殿が亀二年(725)、二之御殿が天平五年(733)、三之御殿が弘仁十四年(823)に建てられた。現在のものは、安政二年から文久元年(1855-1861)に造営。


■一之御殿脇侍春日社(左)および二之御殿脇侍北辰社(右)■
(12th November 2008)

 

(北辰社)

 大分縣指定文化財

・本宮の地主(造化三)。
・比賣大の脇殿。
・八幡造の基となったと考えられている。


■三之御殿脇侍住吉社■
(12th November 2008)
 


■宇佐宮下宮朱鳥居■
(12th November 2008)
 


■倉■
(12th November 2008)


 大分縣指定文化財

・寄棟造り檜皮葺。下は円柱で正面二間(4.84m)、側面二間(3.95m)、柱間は板壁で黒塗りとし、前面に引込み戸を設ける。床上が倉の本体で、厚板の井篭組の正面に幣軸(へいじく)構えで板扉を開く。前面のみ持送りで縁を設け、擬宝珠(ぎぼし)高欄を備える。丹塗り。
・慶應元年(1865)に復興。
・祭器具等を納める。


■下宮門■
(12th November 2008)
 


■下宮拜殿および廻廊■
(12th November 2008)
 


■下宮幣殿および下宮中本殿■
(12th November 2008)
 

・祭は一之御殿に八幡大神(應天皇)、二之御殿に比賣大、三之御殿に功皇后。
・下宮は、嵯峨天皇の弘仁年間に勅願によって造宮使を差遣、社殿の創建があり、上宮の分を鎭祭した。


■下宮右本殿■
(12th November 2008)



■下宮左本殿■
(12th November 2008)



■下宮社殿全景■
(12th November 2008)

 

■八子社■
(12th November 2008)
 

・八王子を祀る。
・社殿の構えなく、上宮、西廻廊の西端玉垣内の木、楠の木に鎭り座す。


■境内社春宮社■
(12th November 2008)
 

・祭は應神天皇皇子菟道稚郎子命。


■境内社龜山社■
(12th November 2008)


・祭は大山積命。
・上宮が鎭座する小椋山(龜山)の山を祀る社である。


■境内社木匠祖社■
(12th November 2008)


・祭は手置帆負命、比古狹知命。


((コメント))

 まだ日の出にはなっていないが少し明るくなりかけたころに宇佐神宮に到着した。無人の有料駐車場に車を停めて境内に入った。流石に、八幡とは言えど、總本宮だけあり、重厚な氣が籠もり、世の小さな八幡社とは格が違った。もちろん、有名な石清水八幡宮はまだ行っておらないのでなんとも言えないが、壺井八幡や鶴岡八幡とは、明らかに格は違う。祖宮といわれる薦社とは、また若干、異なる雰囲氣ではあった。

 宇佐宮は上宮と下宮に分かれるが、個人的には、下宮の方が好みである。


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