の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

穴師大兵主社

2010年05月23日 21時45分27秒 | 近畿(奈良)
■拜殿■
(18th April 2009)



★穴師大兵主社★ 奈良県桜井市穴師1065

・延喜式内社、大和國城上郡、穴師大兵主社。

・延喜式内社、大和國城上郡、穴師坐兵主社、名大、月次相嘗新嘗、合祀。

・延喜式内社、大和國城上郡、巻向坐若御魂社、大、月次相嘗新嘗、論社、合祀。

・舊社格は縣社。

・祭は左殿に大兵主、中殿に兵主、右殿に若御魂。兵主は社は御食津であるとしているが、他に天鈿女命、素盞嗚尊、天富貴命、建御名方命、大己貴の分身の伊豆戈命、大倭大國魂とする説も存在している。若御魂は稻田姫命されるが、和久産巣日という説もある。大兵主については、八千戈命 (大國主)、素盞嗚命、天鈿女命、天日槍命といった説がある。

・穴師大兵主社の社地に鎭座。

・兵主の體は鏡、若御魂の體は勾玉と鈴、大兵主の體は劍という。

・中世ごろから、穴師坐兵主社が穴師上社、穴師大兵主社が穴師下社と呼ばれた。

・應仁の乱のときに若御魂社と穴師上社の社殿が燒失したことから、この二社を穴師下社(大兵主社)に合祀することになったとされる。

・穴師坐兵主社は、本来、弓月岳(齋槻岳)にあったという。三輪山や春日山を考えると、弓月岳の山頂にあったと思われるが二つある峰には遺跡らしきものはなく、峰から南南東のやや下がったところに山側に丸く、谷側に方形の人工の平地があることから約四十メートル四方にあることから、その地が舊社地ではないかと推測されている。

・穴師上社の舊社地とされるところは、地元では「ゲシノオオダイラ」と呼ばれている。この地と、弓月岳山頂、穴師下社(大兵主社)、箸墓古墳後円部中心および前方部中心が直線で結ばれることより、「夏至の大平」であることが明白である。

・『大倭社注進状』裏書に、穴師坐兵主社、穴師大兵主社の體は日矛と記載され、祭がそれぞれ、御食津と天鈿女命と矛盾する。

・河童を「ひょうすべ」と呼ぶ地域も少なくないが、これを、山のとしての兵主の眷属である「兵主部」とし、河童が眷属とする説がある。

・兵主に関しては、水のとしての性質を強く示す傳承も殘っている。


■境内入口■
(18th April 2009)



■拜殿■
(18th April 2009)



■門■
(18th April 2009)



■本殿■
(18th April 2009)
 


■末社出雲大■
(18th April 2009)


・祭は大國主命。


■末社天王社■
(18th April 2009)



■社務所■
(18th April 2009)
 


((コメント))

2009年4月18日

 實際のところ、この社の正式名称がわからないが説明看板に大兵主社とあるので、とりあえず、その名稱を使用。合祀した社の中で最も格上であった「穴師坐兵主社」を玄松子さんや神奈備さんのHPやウィキペディアでは使用されているが、わからない。ただ、元々、穴師下社の穴師大兵主社の社地に合祀であり、左殿に大兵主が祀られているので「大兵主社」かな、と思う。案内板には大兵主社と記されているし。

 久しぶりに来たけれども、いつもと同じ。何も変わらない。まあまあかな。ただ、若干、檜原社と穴師の間で氣が変わり、重苦しく感じる面がある。大したことではないが。


最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。