の坐すと地と魂の鎭まる地

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皇大神宮別宮瀧原宮および瀧原竝宮

2010年03月06日 16時13分58秒 | 近畿(三重、和歌山)
■参道の神木群■
(13th October 2008)



★皇大神宮別宮瀧原宮および瀧原竝宮★ 三重県度会郡大紀町滝原872

・皇大神宮別宮。

・延喜式内社、伊勢國度會郡、瀧原宮、大、月次新嘗。

・祭神は瀧原宮、瀧原竝宮ともに天照坐皇大御神。

・「倭姫命世記」では、水戸神速秋津日子と速秋津比賣としている。

・神体を入れる御船代を納める御船倉を持つ唯一の別宮。

・神宮は、「倭姫命世記」の説をとり、人皇第十一代垂仁の皇女倭姫命が、宮川下流の磯宮より天照坐皇大御神を祀る地を探し、上流にさかのぼった折、宮川の支流大内山川の流域に「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので新宮を建てた。しかし、その後すぐ、神意により現在の内宮のある地に五十鈴宮を建てたため、天照坐皇大御神御魂を祀る別宮になったとし、元伊勢の一つに数えているが、あくまで伝説であり、創祀の由緒は不明。

・志摩國の伊雑宮と並んで、「天照大神の遙宮」と呼ばれる。

・創建当初は瀧原竝宮は瀧原宮に含まれ九世紀から十世紀にかけて独立したと考えられている。

・園田守夏という方は、志摩の南部にいた神戸の民が移って来、大神宮を遙祭した地であろうと言っている。


■鳥居■
(13th October 2008)



■参道■
(13th October 2008)




■手水■
(13th October 2008)



■参道の神木群■
(13th October 2008)



■皇大神宮別宮瀧原宮■
(13th October 2008)



■皇大神宮別宮瀧原竝宮■
(13th October 2008)



■瀧原宮所管若宮神社■
(13th October 2008)


 若宮神を祀るという。創建由緒等不詳。


■瀧原宮所管長由介神社および川島神社(同座)■
(13th October 2008)


 長由介神と川島神を祀る。創建由緒等不詳。長由介神は御饌の神とされることから豊受大神の御霊あるいは分霊とする説がある。


((コメント))

2008年10月13日

 通りすがりであったために、立ち寄ってみたところ。皇大神宮こと伊勢神宮内宮別宮である。参道の大きな杉はなかなかのものではあるが、境内を通して、個人的には心地いい空気ではなかった。

 だが、神気はあり、人によれば、荘厳というべき気を持っていたことは理解できるが、私の肌には合わぬようである。どこかに、伊勢全体(三重県北部というべきか)に通じる独特な気がある。


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