の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

雑記12 『天龍津地妃子社宮司を名乗る方』

2011年03月04日 17時28分35秒 | 雑記
 私、このブログは、他のブログにある社の記事だけを移して更新するようにしている。コメントを見てもおわかりのように、結構きついことを書くこともあるが、言論の自由もあり、批評する權利もあるのでそれは、ある種自由である。さて、とある神社の宮司を名乗る方との一部始終をこちらに移転させたいと思う。なぜならば、こちらのブログが社等、宗教關係を主にするものだからである。

元の記事の文章はこちらである。

 長谷山口坐社から出雲の十二柱社へと歩いていく途中に天龍津地妃子社なるところを発見し、覗いてみたがいわゆるわれわれの知っているタイプの社ではなく、別の宗教のようであったので行かなかった。

 この金光教風の建物がそうである。

 明治政府が作った大教院解散後、それが母体となって生まれた道大教に所属する教会のようである。社關係の伊勢の皇學館大學と竝び知られる國學院大學の設立に關係があるらしい。歴史的には、皇族の方も關係があるようであるが、宗教団体というよりは、元々、管理団体、教育団体、学術団体という色のほうが濃く見える。まあ、名前が大げさであり、個人的に、信じるには値しないと判斷する。


 以後、こういうやり取り。

こんにちは (天龍津地妃子神社)
2010-06-05 12:51:43
近くまで来られたんですね。折角だから、中に入って下さったらよかったのに。胡散臭いは、ちょっと酷いですね。「金光教」の建物に似てますか?そうなんですか…。最近、変な宗教が多いからそんな風に思われるんですね。でも、胡散臭くないですよ。ちゃんとした由来もあるんです。諸事情で、建物はあんな風になりましたが…。機会がありましたら、せめて中にお入り下さい。誰も取って食うなんてしませんから(笑)胡散臭いというのは、何か勧誘でもされると思われたのかな??まあ、なにはともあれ、綺麗な写真を撮って頂いて有難うございました。


天龍津地妃子神社殿 (地風水龍火荒魂<私>)
2010-06-05 16:48:18
由来は由緒ではありませんね。祭がどういうものか、という簡単な説明だけのようでしてね。

あなたの言葉からいうと、金光教は変な宗教のような言い回しですね。私は、建物が似ているといっただけで、へんな宗教とは一切言っておらないけどね。

中に入らなかったのは、何も感じるものがないところだからですよ。行くべきところはね、がお呼びになられるものです。


失礼ですね! (天龍津地妃子神社宮司)
2010-06-05 22:05:16
貴方のブログ私共の神社が『胡散臭い!」と書かれていましたね。今日、一日不愉快でした。何の根拠で「胡散くさい」のですか?名誉毀損ですね!御祭神を守るために私共神社関係者がどんな敬けんな心で神様(天種子命)の御魂を御守りしてきたのか貴方はご存知なのですか?私共のご祭神の御魂を鎮めてある御山も行かれましたか?貴方が何様のつもりで、私共の神社を「胡散臭い」と言われたのか知りませんが、失礼極まりないです!私共にも多くの信者氏子がおられます。この事実を知られたらなんと思われますでしょうか!!少しは、良識というものをお持ちではないのですか?法律的にいえば、「名誉毀損、風評被害」で訴えることも可能な内容です。よろしいですか?私共はご祭神の御魂を御守りする事で、代々、神様にお仕えしてまいりました。建物の外観は、諸事情のことが重なっていたし方なく現状を留めております。いずれにしましても、真剣に、信者を守り、神に仕えるために、日々、精進努力している宮司、教師一同が、なんと嘆きますでしょう!本当に、怒りは、収まりません。貴方に何が分かるのですか?神様を守る辛さ、厳しさ。
お行をされたことでもあるのですか?
ただの神社オタクが、興味本位で神社めぐりをして、知識だけで批評をするなんて、最低です!神社をお参りする資格なんかありませんね!奈良の人らしいですので、いつでもお会いする準備はあります。なんなら法廷がよろしいか?


>私<

ちなみに、ここの宮司さんにお怒りのコメントをされておりますが、日本には言論の自由というものもございます。思想の自由、信教の自由というものがございます。この場合、むしろ、脅迫よりは、わかっていないと思うものに対して、こういうところでも通して、そういう誤解、曲解を理解してもらおうと説くほうが宗教家として正しい道と思いますけれどね。一言で、マニアですか。侮辱されているかなあ。どんなことに対しても、支持するもの、反対側に立つものがいるわけでね、発言することはできるのです。胡散臭い、といわれたら、そこに携わるものは、あまり快く感じないのは當然でしょう。そりゃあ、どこの世界、誰でもそうだ。かといって、すべての人間を自分と同じ意見を支持させることもこれまた不可能。人はいろいろな考え、思想があるのだから。他の宗教に対して好意的に考える方々もいれば、他の宗教は間違っているといって、敵対しているものもある。他の宗教の寺院や社、境界の聖地に入ることを許さない宗教団体さえいくつか存在しているものだ。だが、それは、思想の自由というものである。あることないことをいい、攻撃すれば、それは名誉毀損でしょう。影響力のある人間が、多くの人に発信して、痛手を負わせるのは行き過ぎだからね。

 名誉毀損とは、「人が、品性、徳行、名声、信用その他の人格的価値について社会から受ける客観的評価(社会的評価)を低下させる行為」をいう。「名誉感情を害されただけでは、名誉毀損とはならない」。

 風評被害とは、災害、事故及び不適切又は虚偽の報道等の結果、生産物の品質やサービスの低下を懸念して消費が減退し、本来は直接関係の無い他の業者、従事者までが損害を受ける事。このブログのこの記事を毎日、百人も千人も購読され、その上で、このブログの記事がきっかけで、明らかな損害でもあれば、話は別でございますが、現実問題、アクセス解析にても、この記事を書いた日以外、読んでいる人はほとんどいないと思われる次第。少なくとも、三人以上が読んだという日も、アクセス解析を毎日見ているけれども、存在しないくらい。ゆえに、そこにいたるほどの影響力ももちろんない。

 今回の場合、私の発言によって、気分を害しただけであり、品性、徳行、名声、信用その他の人格的価値に關する社会的評価を低下することにはなっておりません。「ああ、この変わった人が、あんなこといってるわ」と読む人が思うだけで、それ以上でも以下でもない。もちろん、社会的に大きな影響力のある思想家や芸能人、教育者などであれば、また話は別ですがね。

 まあ、當人のコメントをいただき、まあ、言いすぎたかなとは思いますけどね、脅迫は如何なものでしょう。道大教はとくに、教育もされているようですからね、コメントなり、説明のあるHPのアドレスでも貼って、そこに、説明とかを加えるなりすれば、よろしいかと思うんですけどね。胡散臭い、という言葉が気に食わねば、「宮司です。申し訳ないですが、気分が悪いので、その言葉を削除/変更していただきたい。」で、済む話です。まあ、言葉は変えておきましたが。

 ちなみに、あなたの社の祭を祀る御山になぜ行かねばならないのでしょうか。修行している人が優れているのだろうか。今、自分やあなたの団体の価値觀で物事を話されているでしょう。同じことです。あなたのコメントによって、彌生時代以前よりこの國に移住してきて、先祖が祀ってきたを侮辱された気持ちです。わたしの信仰は先住民ののみでしてね。ちなみに、修行などはしないが、普通にそのが祀られている人里離れたところにも山道歩いて行き、と會ってきております。生まれもって以来、太古の人々が祭祀を創めたところの元となった地の匂い、風、氣などは感じれるので。残念ながら靈感は精神科医のいうところの統合失調症ですが。マニアと人を呼ぶときは、たいてい侮辱ですが、まあ、あなたのコメントを読んだほとんどの人はそう感じるでしょう。だが、あまり社などに興味を持たないものが見ると、それはマニアか、フリークと呼ばれても仕方がないことでもある。ある人は、ある宗教にすべてをささげ、ある人はまったく信じない。ある人は、ある寺院、社、教会で清められて、晴れやかな気持ちになるが、別の人は何も感じない、もしくは、気分が悪くなる。それは、人それぞれの感じ方。われわれは、そういうことを言論統制されて口に出していけないということにはなっていない。太平洋戦争で敗れた後、憲法は変わっているのです。

「胡散臭い」の意味は、「どことなく怪しい。疑わしい。油断ができない。」同じものを見ても、その人の知識、考え方、その他いろいろな因子によって、その感想は異なるのは誰でも知っていることです。聞いたことのない宗教の名前を聞いて、その言葉を発して、名誉毀損とは考えられない。偶然、金光教を挙げましたが、どうですか?別に変な宗教とは思っておりませんけどね。建物が似ていると言っただけ。この宗教に対しては若干知識があるので胡散臭いとは思わないだけのことで、ほかの人々は、新興宗教だから胡散臭いといわれる人もいるでしょう。でも、それは、名誉毀損ではないし、教会長たちは、おそらく、理解してもらおうと説くに違いない。

 それと、由来と由緒は違う。どの様にでも、由来はあるものです。信じるか信じないかは、受け取る側の勝手ですがね。由緒は歴史です。だから、祭の由来がしっかりしているということと、その祭を祀る社がすばらしいというのは別の話です。その村の人にとって、鎭守さんは大切であろうし、氏も然り。でも、それを他の地区の人や氏族に押し付けることはできない。人の価値観、視点により、求めているものの重要度も変わるわけで、私にとっては、天龍津地妃子社というところが、その重要度においては低いだけのこと。こいつはわかっていない、と思うも思わぬもまた、あなた次第ということです。


ぼちぼち (ボブおっさん)
2010-06-15 08:50:29
外野席から、物申す。天龍津地妃子神社を、知るものです。
 あなたが、どれだけの知識人かは、知らないが、外見で 物事を 判断しては いないですか? あまり、賢くないですね・・・。
 御祭神は、すごい力の有る神様です。身を持って経験したものが、言っているのですから、間違いは、無いですよ!一言では、語れない・・・
 又、成るべくしてなられた神社長は、超美人、頭が良い、それよりも生まれ持った透視する能力は、身を持って経験しなければ、分らないですよ!
 何か、困った事が、出来たら、真剣に 訪れては いかが!(一言では、語れないものを、体験するはず・・・!)失礼!


Unknown (地風水龍火荒魂)
2010-06-16 00:17:19
いつ、外見で物事を判断したのでしょうね。外見に関しては、金光教の教会に似ているという表現だけであり、別に、外見が理由で判断しているわけではないですけどね。賢くないですか・・・ まあ、IQ的にいうと、私は、世界で上の3~5%に入るらしいので、その場合、ほとんどの方はあなたの中でいう賢くない人に当てはまるのでしょう。

どこの、どのような祭であっても、同じことを崇拜される方はいうと思いますがね。熊野の元のよりも、守屋山のよりも力のあるであればいいですね。そう願いますわ。いや、そうあってもらわないと、困りますがね。その党の末裔でござりますれば。

外見で物事を判断していないでしょうか、という割りに、一つ目の表現が超美人というのはなかなか面白きことでございまする。普通、この流れですと、どうしてもそれを書きたい場合は、最後に付加的に書き添えるのが望ましいのですけれどね。頭が良い、というのも、私としては当人と会って話したわけではないのでなんともいえませんが、もし、以前にコメントを残した人が社長であるのなら、少なくとも、そうは思えませんね。そういう方の書く文章では明らかにないわけで、むしろ、ヒステリックさだけが表に出て、正常な判断力を失っているようにしか見えない。もし宗教家というのならば、むしろ、宗教を馬鹿にしているかのような態度にしか思えないくらいであった。どんな時代でも、新しい宗教ができたときなどの布教は、胡散臭い、怪しいと思われたり、他のいろいろな理由で、心身ともに叩かれ、石を投げられて、それでも、理解してもらおうと一生懸命戦い、説教をし、少しずつ、少しずつ広めてきたものだ。それを、名誉毀損に風評被害ですか。呆れた話だ。正直、あれを書いた人が、宮司本人ではなく、それを語っている人であることを祈るのみである。そうでないと、貴社としても困るでしょう。

透視ですか。どのような意味でこの言葉を選択したのかは知りませんが、これは、そんなに珍しい能力ですか? 普通に、周りにできる人が居りますので困りませんことです。まあ、私も、そういう系統の力は、血統の問題もあって、自然と備わっておるものです。古代シャーマン系司祭者の血を濃く受け継いでおるのですから。まあ、本当に透視できるのであれば、それくらいのことはすでに見通されているはずでしょうから、今度うかがってみるとよろしいかと思いますわ。


恐れ入りました。 (つちひこ神社)
2010-06-16 03:18:32
大変興味深いコメントで、恐れ入りました。正直、少々、笑ってしまいました。すみません。なんとも、ここまで話が発展していたとは、全く知らなかったです。
そうなんですか、世界でも有数の優秀な方なんですか…。お見逸れいたしました。そんな頭の良い方なら、そして、霊力(?)をお持ちなら、何も言う必要はなさそうです。

私のコメントをヒステリックに取られたのですね。まあ、よろしいです。怒りの感情は、そういう表現になってもおかしくないと思いますが…。後になって、多少、『大人気ない、ばかげた事を言ったものだ。』とあまり良い気分ではなかったですね。確かに。で、ブログから消去しました。

それから、貴方の文章を読んで、以前、友人だった人を思い出しました。
確かに、頭の切れる人でしたね。でも、その頭の良さを鼻にかけるところがあって、悪い人ではないのですが、自信過剰だった様に記憶しています。

ひとつひとつ上げ足を取るような大人気ないことをしたくないので、反論は致しません。
私共が持っているのは、『由来』です。『由緒』ではありません。

私は、そんなに偉くもないですし、貴方のように自信を持って、トップレベルの知能を持っているなんて思いません。
というより、この神社の責任者になって、自分の未熟さ、愚かさ、修行の足りなさを実感しています。多分、死ぬまで、貴方のような自信を持てないと思っています。

ですから、日々、人のために自分の出来ることを精一杯やるだけです。あとは、何もないです。逆に、貴方が羨ましいですね。どこからそんな自信が沸いてくるのか。どうして、そんな自信がもてるのか。

そんなに優秀で、何らかの霊力をお持ちなら、是非、苦しんでいる人のために、その能力を使ってあげて欲しいです。

話は、少しずれますが、どんな名医でも、救いきれない命がある。名医であればあるほど、その無力さに悩むと言います。

貴方には、そんな悩みなんか微塵もないのでしょうね。凄いですね。

私は、毎日が、悩みと自分との葛藤に辛い思いをしています。救ってあげたいのに、どうにもならない問題が山積です。

きっと、貴方なら、スマートな答えを出されるのでしょうね。例の頭の切れる私の旧友のように。

ちょっとしゃべりすぎました。こんなに長いコメントを書くつもりではなかったんですが、生来、おしゃべりが好きなもので。それと、貴方と喧嘩するつもりは毛頭ありません。勝ち負けとか、言った、言われたを繰り返すのは、楽しくないですし、何も生みませんから。

まあ、貴方からすると私のコメントが原因だと言われるでしょうけどね。でも、少しは、相手の感情を考えてもいいのではないですか?
私からすれば、貴方が誤解を招く表現をしたのが、事の始まりだと思っています。

『胡散臭い』と言われて、喜ぶ人は誰もいないでしょう。『詐欺師』という意味に近いのですよ。世界でも有数の頭の良い貴方ならそんな簡単な事は、お分かりでしょう。
友達をたくさん、作って下さいね。お幸せに!!


ツチヒコ神社さん (地風水龍火荒魂)
2010-06-16 22:13:56
まあ、話すほどのことでもないので。まあ、なんといいますか、本当に透視力のある方ならわかるでしょうが、すでに、大体あなたがどういう程度の人なのかは認識しております。まあ、一定のレベル以上の霊能力がある方は大体そうですから、まあ、あなたも、そこにはいたっているはずですが。

ただ、書かれているコメントには、あまり深い洞察力が感じられないのが残念なことです。無論、自分に自信がないということはないけれど、まったく、自信たっぷりに書いていると受け取られたところには驚いてますがね。

ちゃんとした知能テストで導き出された知能指数で大体、150以上であれば、140以上、130、120...とその数値ごとに統計学的に世界人口からどの辺りのグループにあるのかは導き出されており、ただ、その自分の数値が全人口の何パーセントのところにいるのか、ということから書いているだけで、非常に客観的な答えであったので,個人の主観は交えておらんのですね。

胡散臭い = 詐欺師に近いというのは、正しい日本語とはいえませんね。それは、あなたの日本語の能力の問題です。

由緒と由来については反論をいただくまでもなく、すでにあなたの返答で私がしておるので、いまさら話題にすることでもなく、その違いについてのことも軽くは書いておりますね。

相手の感情ですか?あまり、宗教家らしからぬ言葉なので驚きました。大体、自分たちに、否定的な発言であっても、それを受け入れた上で、自分の信じる道を広めていくのが、信仰なんではないのですかね。あまり、感情的に興奮している宗教家の話は聞いたことがありませんね。卵とかを投げつけられても、黙って、黙々と道の教えを説いていって、その教えを広めていかれた方は、身近なところでも幾人かは知っておりますけれど。

まあ、感情を逆なでされたことを責めておられるのでしょうけれど、それってどういうことなのでしょう。相手の感情を考えていないわけではないですね。ある言葉を発して、どういう反応をするのか、というのは、文字の上で、どういう人かを見る一つの情報になりますのでね。それに、怒りを感じようが、むかつこうが、人というのはね、そういう感情を感じた原因になったことにこそ、見直し、学ぶことがあるものと思うのでね、私は、そういう時は、見直す余裕を持ち、なぜ怒るに至ったのか、それに対して、どのようにしていれば、怒ることに至らなかったのか、は考えるようにしておりますがね。大体、怒るときというのは、何か、そこには自分サイドの落ち度や、弱点、などがあるものですので。

ちなみに、私は、人助けをする気はございませんので。私にとっては、守るべきは地球であり、人は今のままいくと、害虫ですから。

訂正 (地風水龍火荒魂)
2010-06-19 07:43:19
知能指数の話は、
分類別けですと、上の0.6%のところに入っているようです・・・


 
 個人的に、この一連の流れを通して感じることは、團体の上に立つものは、學力的にはどうとはいいませんが、やはり、それなりにふさわしい人格を伴って、周りを見通せる視野がなければ、泥沼に落ちるということです。

 まあ、これで、また一つ、知ることが増えたといえそうです。


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