の坐すと地と魂の鎭まる地

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尼子興久墓所

2014年06月20日 05時42分40秒 | 歴史上人物の墓所
■尼子興久墓所■
(30th December 2007)


★尼子興久墓所★ 島根県安来市広瀬町町帳775-1(道の駅広瀬・富田城) 

・名將尼子經久の三男。

・當時、長兄政久が若くして戰死し、その嫡男久(尼子を滅亡に追い込む凡庸な當主と後になる)に叔父義勝が後見になっており、次兄國久は武勇の譽れ高き『新宮党』を率いていた。

・興久は父より三千貫の領地を與えられたのだが不服だったらしく、反亂を起こすにいたる。ちなみに興久も武勇に優れていたという。

・老臣の龜井秀綱を介して父經久へ七百貫の所領加を申し出るが斷られ、秀綱及び經久に對して謀叛、岳父である備後甲山城主山内直通をるも、天文三年(1534)、遂に自害。


((コメント))

2007年12月30日

 無念の死を遂げたがために、いまだに怨念が一帶に立ち籠もっており、寒氣のするところである。


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