■松平忠直墓所■
(12th November 2008)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/5f/57630bf9f1a9b11e4804525065d6e98c.jpg)
★松平忠直墓所★ 大分県大分市王子西町 浄土寺内
・川家康の次男越前宰相結城秀康の嫡男に當たる。
・父の蹟を繼ぎ、越前七十五萬石を次いだ親藩の家柄であった。
・正室には、川秀忠の娘勝姬を迎えた。
・大阪夏の陣では眞田信繫(幸村のこと)の首を擧げるなどしたが、加なく、官位も低いままであったために、不滿のため、參勤を行わず、さらには勝姬を暗殺しようとしたなどの亂行が重なり、ついに將軍秀忠は忠直に隱居を命じ、この地に流されることになったという。
・江戶への參勤を行わなかった理由は病氣という說もあり、どうともいえない。いずれにせよ、この地で命を終えることになった。
・火葬は、この本堂の前で行われたと傳わる。
((コメント))
2008年11月12日
柞原八幡宮仮宮からすぐに國道十號に出ずに竝行して走り、西大分驛を過ぎて、手ごろなところで國道に出ようとし左折し、ふと左を見たら、松平忠直公廟所の文字が目に入った。これは、本當に偶然で、ここにあったことも知らず、まさに、自分が彼に呼ばれたかのようであった。で、車の向きを變えて、立ち寄ろうとしたら、淨土寺と寺なのだが、保育所をされており、守衞さんがおり、入れない狀態になっていた。と、ここで、墓を見ることは出來ないのか、と守衞に話しかけると、彼は事務所のほうに走り、奈良から忠直公の墓に參りたいという人が來ています、と傳えてくれ、見させてもらえることになった。實は、覆屋の中にあり、鍵で開けてもらわねばならず、手をかけたものだが、せっかくあけてもらったので、中にわずかながらお禮もおさめさせていただいた。
ちなみに、お墓の扉を開けてもらうのを待ってる、保育園兒たちが走ってきて、「ねえねえ、誰のお母さんなの~~」と聞いてきた。どうやら、誰かのママちゃんに違われたようだった。
(12th November 2008)
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★松平忠直墓所★ 大分県大分市王子西町 浄土寺内
・川家康の次男越前宰相結城秀康の嫡男に當たる。
・父の蹟を繼ぎ、越前七十五萬石を次いだ親藩の家柄であった。
・正室には、川秀忠の娘勝姬を迎えた。
・大阪夏の陣では眞田信繫(幸村のこと)の首を擧げるなどしたが、加なく、官位も低いままであったために、不滿のため、參勤を行わず、さらには勝姬を暗殺しようとしたなどの亂行が重なり、ついに將軍秀忠は忠直に隱居を命じ、この地に流されることになったという。
・江戶への參勤を行わなかった理由は病氣という說もあり、どうともいえない。いずれにせよ、この地で命を終えることになった。
・火葬は、この本堂の前で行われたと傳わる。
((コメント))
2008年11月12日
柞原八幡宮仮宮からすぐに國道十號に出ずに竝行して走り、西大分驛を過ぎて、手ごろなところで國道に出ようとし左折し、ふと左を見たら、松平忠直公廟所の文字が目に入った。これは、本當に偶然で、ここにあったことも知らず、まさに、自分が彼に呼ばれたかのようであった。で、車の向きを變えて、立ち寄ろうとしたら、淨土寺と寺なのだが、保育所をされており、守衞さんがおり、入れない狀態になっていた。と、ここで、墓を見ることは出來ないのか、と守衞に話しかけると、彼は事務所のほうに走り、奈良から忠直公の墓に參りたいという人が來ています、と傳えてくれ、見させてもらえることになった。實は、覆屋の中にあり、鍵で開けてもらわねばならず、手をかけたものだが、せっかくあけてもらったので、中にわずかながらお禮もおさめさせていただいた。
ちなみに、お墓の扉を開けてもらうのを待ってる、保育園兒たちが走ってきて、「ねえねえ、誰のお母さんなの~~」と聞いてきた。どうやら、誰かのママちゃんに違われたようだった。