■境内■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/93/281e843050d8f9abaaae1328b9674409.jpg)
★濱宮(濱宮社)★ 和歌山県和歌山市毛見1303
・祭は天照皇大(第一殿)。天懸大(日前大)、國懸大を配祀(第二殿)。
・日前宮及び國懸宮の元宮とされる。
・武東征時、紀伊國造家の肇祖に當たる天道根命は鏡と日矛の寶を奉じて、加太、木本、琴の浦の岩上へと遷ったといい、さらに崇天皇五十一年(紀元前47)、豐鍬入姫命が天照皇大の御靈代を奉じて名草濱宮に遷した際、琴の浦から天懸大、國懸大も遷し、宮殿を竝べたといい、それを日前宮の起源とする。
・垂仁天皇十六年(紀元前14)、天懸大、國懸大が名草萬代宮(現在の日前宮)に遷されたと傳わる。 この時、名草萬代宮に鎭座していた伊太祁曽社は山東へ遷座したとされるが、これをもって、出雲話のいう「國讓り」に當たると考える説もある。
・元伊勢の一つとされる。
・足の様でもある。
■鳥居■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/d3/b958a610046df062015cdd95ee099399.jpg)
■第一殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/0a/f471ac380e9c29bcb0be761cb14d2629.jpg)
■第二殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/e9/7672578393c628208aa58509480c44ee.jpg)
■攝社豐鋤入媛社■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/89/e15431f09399cb6a1f4aa386fba3c284.jpg)
・豐鋤入媛命を祀る。
■攝社皇社■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/bd/e3ee01e22173283edbf79e2ff7f19dc7.jpg)
・皇産靈、天照皇大、日前大、國懸大、市杵島姫、刺田彦命を祀る。
■皇社社殿背後の巨木■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/44/9fd23fec348ff718567d2d274107ec4f.jpg)
■丸石■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/40/b78d0041658bd7c3a60308a669d78781.jpg)
■白永大、初龍姫大■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/54/015c3c277bc6a97ca6e6c2711d8ec3dc.jpg)
((コメント))
2009年4月28日
ここは、特に有名というわけではないが、紀伊國一の宮のひとつである日前、國懸両宮の舊鎭座地とされるので行く必要があると思って來たのだ。どうもそれだけではなく、元伊勢の一つでもあるらしい。まあ、元伊勢自體、笠縫邑傳承地のうち五ヶ所、吉佐宮傳承地一ヶ所、伊豆加志本宮傳承地八ヶ所、弥和乃御室嶺上宮傳承地二ヶ所、その他諸諸(重複地多数)。共通して感じるのは、元伊勢とは言えど、アマツカミの臭いがないことなのである。そのすべての地が現在、何を祀っていようかは別として先住民族の臭いがするということ。
この濱宮に關しても、その例に漏れることはなく、やはり、先住民の魂が殘っている。三輪の社の元伊勢傳承も多いが、これらはおそらく古代出雲族を中心とする先住民の住していた地に違いない。多分、これは大和王権と先住民との戰いの足跡に違いない。そう思うと、吉備の名方濱宮は岡山や広島にも傳承地があるが、これは現有田川町になっている有田郡吉備町の名前を見てもわかるように名草戸畔のいた地域には「吉備」という名稱が殘っているのである。濱宮のある地区も吉備であったかも知れぬし、そもそも、比定地が別にあるべきかは知らぬけれども。ここが、足のとも言われているのだが、何か、名草戸畔に關係もあるような氣がしてならない。それゆえに、第一殿の主祭天照皇大というのは非常に悲しきことである。
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/93/281e843050d8f9abaaae1328b9674409.jpg)
★濱宮(濱宮社)★ 和歌山県和歌山市毛見1303
・祭は天照皇大(第一殿)。天懸大(日前大)、國懸大を配祀(第二殿)。
・日前宮及び國懸宮の元宮とされる。
・武東征時、紀伊國造家の肇祖に當たる天道根命は鏡と日矛の寶を奉じて、加太、木本、琴の浦の岩上へと遷ったといい、さらに崇天皇五十一年(紀元前47)、豐鍬入姫命が天照皇大の御靈代を奉じて名草濱宮に遷した際、琴の浦から天懸大、國懸大も遷し、宮殿を竝べたといい、それを日前宮の起源とする。
・垂仁天皇十六年(紀元前14)、天懸大、國懸大が名草萬代宮(現在の日前宮)に遷されたと傳わる。 この時、名草萬代宮に鎭座していた伊太祁曽社は山東へ遷座したとされるが、これをもって、出雲話のいう「國讓り」に當たると考える説もある。
・元伊勢の一つとされる。
・足の様でもある。
■鳥居■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/d3/b958a610046df062015cdd95ee099399.jpg)
■第一殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/0a/f471ac380e9c29bcb0be761cb14d2629.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/4c/6efe0b2069d596b11b4993841e58856d.jpg)
■第二殿■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/e9/7672578393c628208aa58509480c44ee.jpg)
■攝社豐鋤入媛社■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/89/e15431f09399cb6a1f4aa386fba3c284.jpg)
・豐鋤入媛命を祀る。
■攝社皇社■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/bd/e3ee01e22173283edbf79e2ff7f19dc7.jpg)
・皇産靈、天照皇大、日前大、國懸大、市杵島姫、刺田彦命を祀る。
■皇社社殿背後の巨木■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/44/9fd23fec348ff718567d2d274107ec4f.jpg)
■丸石■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/40/b78d0041658bd7c3a60308a669d78781.jpg)
■白永大、初龍姫大■
(28th April 2009)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/54/015c3c277bc6a97ca6e6c2711d8ec3dc.jpg)
((コメント))
2009年4月28日
ここは、特に有名というわけではないが、紀伊國一の宮のひとつである日前、國懸両宮の舊鎭座地とされるので行く必要があると思って來たのだ。どうもそれだけではなく、元伊勢の一つでもあるらしい。まあ、元伊勢自體、笠縫邑傳承地のうち五ヶ所、吉佐宮傳承地一ヶ所、伊豆加志本宮傳承地八ヶ所、弥和乃御室嶺上宮傳承地二ヶ所、その他諸諸(重複地多数)。共通して感じるのは、元伊勢とは言えど、アマツカミの臭いがないことなのである。そのすべての地が現在、何を祀っていようかは別として先住民族の臭いがするということ。
この濱宮に關しても、その例に漏れることはなく、やはり、先住民の魂が殘っている。三輪の社の元伊勢傳承も多いが、これらはおそらく古代出雲族を中心とする先住民の住していた地に違いない。多分、これは大和王権と先住民との戰いの足跡に違いない。そう思うと、吉備の名方濱宮は岡山や広島にも傳承地があるが、これは現有田川町になっている有田郡吉備町の名前を見てもわかるように名草戸畔のいた地域には「吉備」という名稱が殘っているのである。濱宮のある地区も吉備であったかも知れぬし、そもそも、比定地が別にあるべきかは知らぬけれども。ここが、足のとも言われているのだが、何か、名草戸畔に關係もあるような氣がしてならない。それゆえに、第一殿の主祭天照皇大というのは非常に悲しきことである。