の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

竈山神社 

2010年05月03日 23時06分31秒 | 近畿(三重、和歌山)
■拜殿■
(28th April 2009)



★竈山社★ 和歌山県和歌山市和田438

・延喜式内社、紀伊國名草郡、竈山社。

・舊社格は官幣大社。

・祭は彦五瀬命。武天皇の長兄。

・彦五瀬命は狹野尊(後の武天皇)らの弟たちとともに東征に向かったが、難波の白肩津での長髓彦との戦さで負傷。太陽に向って戰うのは良くないとのことで、東から回り込むために一行は南下したが、傷が原因で、紀國の男之水門に着いたところで彦五瀬命は亡くなったといい、竈山に墓が作られたと『古事記』にある。『紀伊續風土記』によれば、当所がその竈山の地であり、墓が作られてすぐに、側に社が創建されたという。

・本殿の裏に彦五瀬命のものとされる墓がある。

・「釜山社主職宛行状」(日前宮文書)によれば、永元年(1381)、紀國造家により鵜飼新五郎が主に任ぜられ、以降、鵜飼家が職を世襲となった。

・天正十三年(1585)、羽柴秀吉の紀州根来衆攻めにより社寶、古文書を焼失、社領も奪われて荒廃。

・慶長五年(1600)、紀伊國に入國した浅野幸長が小祠を再建、寛文九年(1669)、川宣が社殿を再建。

・江戸時代には、寺社奉行の支配下に置かれ、氏子も社領もなく衰微していった。

・明治に入り、宮内省管轄の彦五瀬命墓と竈山社は正式に区分され、近代社格制度の下、明治十四年(1881)、村社に列格。武天皇の兄を祀るという由緒をもち、社殿が整備され、明治十八年(1885)に官幣中社、大正四年(1915)に官幣大社に進むという異例の昇格をした。村社から官幣大社まで昇格した唯一の例である。


■鳥居、社號標■
(28th April 2009)
 


■參道■
(28th April 2009)
 


■門■
(28th April 2009)



■拜殿■
(28th April 2009)
 


■本殿、奥殿■
(28th April 2009)
 


■末社三殿■
(28th April 2009)



■青葉社■
(28th April 2009)



((コメント))

2009年4月28日

 武の兄である五瀬命を祀る地なので、頭を下げる氣は毛頭ない。社殿の雰囲気は、橿原宮、吉野宮、阿波社、明治宮などの天皇を祀る系統の社に似ているような氣がするが、少し豪華すぎる氣がして不快に思う。延喜式内小社には相應しくない。

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