の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

手長比賣社

2011年12月25日 01時53分02秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■社殿■
(16th June 2011)



★手長比賣社★ 長崎県壱岐市勝本町本宮西触1212


・延喜式内社、壹岐嶋壹岐郡、手長比賣社、論社。

・舊社格は無格社。

・祭は栲幡千千姫命、天忍穗耳尊。橘三喜による延寶の式内社調査以前は、功皇后という説(『式社沿革考』)と手長男という説(『名記』)などがあるようである。

・當社地は、「棚河」と呼ばれている地で、棚河大明と稱されていたという。

・手長比賣と本宮八幡のが石礫を投げて領田を競ったという傳説が殘る。

・慶安二年(1649)再建の棟札にある「奉造立本宮久榮村棚河大明社壇一宇之事云云當國所司代西右京亮下略」は式内社の由緒を示すものと考えられる。


■水田と遠くに見える手長島■
(16th June 2011)



((コメント))

2011年6月16日

 田圃の片隅にある小さな社。到底、式内社とは思えない佇まいである。往時には森があったであろうと思うので、また、異なる趣であったのだろう。社殿の近くには、水田の真ん中に大きな石が見られる。磐座なのか、転石なのか、と疑問に思う。

 當社は、手長比賣社の論社の一つで、もうひとつが、中津社の論社でもある聖母宮。聖母宮からは手長島も見えなく、そもそも、中津社であろうと思うので、當社が手長比賣社の可能性のほうが強いと思う。手長島との位置關係、本宮八幡との位置關係を考えても、そう思わざるを得ない。


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