別のブログに書いたものですがジャンルとして経済でしたのでこちらに移します。
まずは現状の経済行動とはの説明から。
今のままの経済行動、あえて活動とはいわない。なぜならこれから書く文章を読んでもらえば解るかと思うが、活動という意味は人間の総体的な意志があって動いていくものであり、現在の世界的な経済行動を見ていると人間社会が総体的な意思によって動いているのではなく、一部の人間が経済を動かしているという方が正確であると考えるからだ。
本来潤沢なはずの貨幣が全体に行渡らず、一部の人間の手に流れていってしまう。その結果労働価値を割り込んだコストダウン競争から、生き残りをかけた大企業同士の連携へと進んでいく。例えば自動車を例にとってみると、電気自動車の時代では数を製造しなくては生き残れないということで、日産自動車(ルノー)がダイムラーと提携し生産量を上げなくてはコストダウン効果が得られない。そこには価格競争が唯一の生き残り策であると。その理論が当たり前のように一人歩きをしている。待っているのは人件費の削減でしかない。つまり未来に待ち構えているのは失業者の増大ということになる。
人間が経済に対するサル知恵(あえてこの言葉を使おう)から貴金属を貨幣にしたときには、三機能の中の保存機能があることから、利益と称するかたちで一部の人間の掌中にしまわれてしまうことになる。そこに待っているのは市中での貨幣不足から貨幣による交換が途絶えデフレへと突入していく。そこで貨幣とは何かを理解しないままに、貴金属から紙幣へ(金兌換停止)と貨幣を移し変えたのが現在の社会である。
紙幣にすればいくらでも印刷できる、なぜ不足してしまうのかも考えずに、手を打った積もりでいい気になっているのが現在の世界経済のあり方ではないだろうか。
結果として大量の紙幣を市中に出すことになる。今までの歴史的教訓の中で貨幣価値(紙幣価値)が労働(そこで造られる商品)との釣り合いを取るために価値を減じて、インフレへと入っていくことは理解されている。そこでまたまたサル知恵を働かせることになる。あまりにも市中に大量に出てしまった紙幣を何とかしなくてはならない。印刷し過ぎてしまった紙幣を市中から引き上げなくてはならない。知恵を絞ったのが国債発行という手段だった。国債ならそのまま貨幣としては使えない、貨幣として使うには一旦市場を通して紙幣と交換しなくてはならない。交換という行為を通すことによって紙幣量を増大させずに済む。
しかしなぜ紙幣が増大してしまうのかを考えずに、その場を国債発行というかたちで処理しているのが今の世界経済の現状ではないだろうか。
そしてその結果がもたらすことは、タイトルに書いた未来の社会はどうなるのであろうかということになる。
注 金兌換停止
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%E9%87%91%E5%85%8C%E6%8F%9B%E5%81%9C%E6%AD%A2&lr=&rlz=1W1SUNA_ja&aq=0m&aqi=g-m1&aql=&oq=%E5%85%8C%E6%8F%9B%E5%81%9C%E6%AD%A2&gs_rfai=
まずは現状の経済行動とはの説明から。
今のままの経済行動、あえて活動とはいわない。なぜならこれから書く文章を読んでもらえば解るかと思うが、活動という意味は人間の総体的な意志があって動いていくものであり、現在の世界的な経済行動を見ていると人間社会が総体的な意思によって動いているのではなく、一部の人間が経済を動かしているという方が正確であると考えるからだ。
本来潤沢なはずの貨幣が全体に行渡らず、一部の人間の手に流れていってしまう。その結果労働価値を割り込んだコストダウン競争から、生き残りをかけた大企業同士の連携へと進んでいく。例えば自動車を例にとってみると、電気自動車の時代では数を製造しなくては生き残れないということで、日産自動車(ルノー)がダイムラーと提携し生産量を上げなくてはコストダウン効果が得られない。そこには価格競争が唯一の生き残り策であると。その理論が当たり前のように一人歩きをしている。待っているのは人件費の削減でしかない。つまり未来に待ち構えているのは失業者の増大ということになる。
人間が経済に対するサル知恵(あえてこの言葉を使おう)から貴金属を貨幣にしたときには、三機能の中の保存機能があることから、利益と称するかたちで一部の人間の掌中にしまわれてしまうことになる。そこに待っているのは市中での貨幣不足から貨幣による交換が途絶えデフレへと突入していく。そこで貨幣とは何かを理解しないままに、貴金属から紙幣へ(金兌換停止)と貨幣を移し変えたのが現在の社会である。
紙幣にすればいくらでも印刷できる、なぜ不足してしまうのかも考えずに、手を打った積もりでいい気になっているのが現在の世界経済のあり方ではないだろうか。
結果として大量の紙幣を市中に出すことになる。今までの歴史的教訓の中で貨幣価値(紙幣価値)が労働(そこで造られる商品)との釣り合いを取るために価値を減じて、インフレへと入っていくことは理解されている。そこでまたまたサル知恵を働かせることになる。あまりにも市中に大量に出てしまった紙幣を何とかしなくてはならない。印刷し過ぎてしまった紙幣を市中から引き上げなくてはならない。知恵を絞ったのが国債発行という手段だった。国債ならそのまま貨幣としては使えない、貨幣として使うには一旦市場を通して紙幣と交換しなくてはならない。交換という行為を通すことによって紙幣量を増大させずに済む。
しかしなぜ紙幣が増大してしまうのかを考えずに、その場を国債発行というかたちで処理しているのが今の世界経済の現状ではないだろうか。
そしてその結果がもたらすことは、タイトルに書いた未来の社会はどうなるのであろうかということになる。
注 金兌換停止
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%E9%87%91%E5%85%8C%E6%8F%9B%E5%81%9C%E6%AD%A2&lr=&rlz=1W1SUNA_ja&aq=0m&aqi=g-m1&aql=&oq=%E5%85%8C%E6%8F%9B%E5%81%9C%E6%AD%A2&gs_rfai=