小学校2年か3年の時に将棋を指している姿を見て、何でも知っておいた方がよいと考えた父親が近所に住む将棋の愛好家というのか、名の知られた方のところに連れられて行き、角・飛落ちで対局が始まり、あっと間に負かされてしまった。何も前後関係の知らない所での対局(なんていうお話)ではなかったし、現在もどんな手順で負かされたのも覚えていないのだから将棋指し・棋士の素養は全くなかったに違いない。
しかし、将棋と囲碁とどちらかというと私は将棋が相性である。昔はというと、碁にしても将棋にしても盤に向かって石を置く、駒を動かすいうアナログから定石を覚え、自分なりの戦法を考え出していく。毎日毎日それをやっても365日×何番ということであった。大山名人や米長邦男日本将棋連盟会長さんなどもこの形で一歩一歩自己を進歩させてある時期に開眼されたのだと思う。
羽生さんなどはも365日×何番でなく、×何10番 ×何100番という形で戦いのあとの将譜を知り、読むことが瞬時に出来る時に修業が始まり、練磨されてきておられる。
画面上で2003年の名人戦の第何局はどういう手筋から始まり、勝負所は何手目で先手勝ちというこんなデーターは、数100万蓄積されているのではないだろうか。
どの世界もアマとプロの問題が出てきている。将棋の世界は、独特である。厳しい年齢制限があり、26歳までに棋士養成機関の「奨励会」を勝ち抜いて4段にならないとプロ棋士にはなれない。なれなかった人は退会をさせられる。
しかし、私も注目をしていたのだが、アマ棋戦で常に上位で活躍し、プロ公式戦で7割を超える勝率を上げながらプロ棋士になれない。これは、不自然ではないかということで、米長会長の英断で再挑戦が認められ、6番勝負で3勝を挙げられたら"プロ棋士"の仲間入りを許すということで7月18日の佐藤天彦3段との対局が始まり、アッサリ負かされてしまった。
この時に私はあ~やっぱりプロは強いんだ。そんなに簡単にプロ棋士にはなれないなあと感じていた。その後の新聞報道で2勝2敗となり、昨日から今日の報道で見事に1勝をものにして横浜市の会社員の瀬川昌司氏(35)はプロ棋士の誕生となった。
61年ぶりにアマチュアからプロ編入が叶ったということで、オメデトウゴザイマス!!