日経平均が9000円を割り、景気の先行き悪化の懸念が色濃く立ち込める状況では、企業法務マーケットの拡大や企業内弁護士の増加などは夢のまた夢という感じになってきましたが、日経新聞法務報道部の記者の方々の非常に示唆的なコメントを多数みつけたので、エントリを書いておきます。
まず第一弾は、司法修習生が社内弁護士としてあまり採用されないことについての渋谷記者のコメント。
【ゼロでありながら法曹資格だけ持っていることでプライドも高いだろうし、意識も違うだろうと警戒しているわけですね。逆に、新卒と同じ条件で採れるのなら別にいいよ、ということですね。】NIBEN FRONTIER 2008年10月号30頁 「記者の目から見た司法改革」
専門職としてプライドだけ高いのではないかという、こういった警戒心はよくわかります。同種のご意見は色々なところで目にします。一方で、これをプロフェッショナルという良い面から捉えていただくと、企業法務戦士の雑感さんの下記感想になるのでしょうか。
【「試験の難易度」と「それによって選抜された人々のプライド」との間に明確な相関関係があるのは間違いない。言葉の響きはあまり良くないのかもしれないが、プロフェッショナルとして仕事を遂行する上では、どこだけ“プライド”をもって仕事に臨めるか、ということが極めて重要になってくるのもまた事実なのであり、それは“職業人としての誇り”や“モラル”に通ずるものでもある】
企業法務マンサバイバルさんの以下のコメントも、プロという点に着目されて企業内弁護士を位置づけていますね。
【せっかく弁護士と言うプロ資格を得たのなら、組織に縛られずに働いて欲しい(必要に応じて準委任契約で会社と結びつけばいい)と思ってますし、もしそれでも企業に雇用されることを望むのなら、やはり何年かは弁護士事務所で経験を積んでもらわないとプロとしての真価を評価しようがない、とも思っています。】
しかし、これらの見方は、法曹養成課程と人数が大きく変わり、資格の位置づけも大きく変わっているにもかかわらず、現在の新人弁護士を相変わらず旧制度での新卒弁護士と同様に位置付けていて、その意味で、実態を見誤っているように思われます。
今までの弁護士がよかれ悪しかれ1年目からプロ意識をもっていたのは、単に試験の合格者数が少なかったからというだけではなく、プロとして働く場所があったからに他なりません。司法試験に合格しようとも司法修習を経ようとも、結局、プロフェッショナルとして処遇してもらえる働き場所・プロフェッショナルとして腕を振るう仕事がみつからないという状況であれば、今後は意識の方を変えざるを得ないでしょう。実際、司法修習生や新人弁護士の意識はここ数年で大きく変わりつつあるように感じます。個人的な印象ですが、変なプライドもなくなる代わりに、もちろんプロフェッショナルとしてのよい面も次第に失っているように感じます。
そうしてみると、新人の弁護士資格は今後、TOEIC900点などとさほど変わらなくなっていくのではないでしょうか。TOEIC900点の新入社員が決して「私は英語を使わない部署はいやです」などとは言わないように、弁護士資格をもって入社した新卒弁護士も法務部以外への配属をいとわなくなるでしょう。弁護士資格があるのだからといって通常以上の待遇を望むなどということもなくなるでしょう。逆に言えば、それくらいの意識でないと、今後の3000人時代では、企業法務を志向する今後の新人弁護士は食い扶持にありつけないように思います。(今後の景気動向では、それですら厳しいかもしれませんが・・・)
渋谷記者はこうも言います。
【これまでは300人とか500人とかがやれていた仕事とかステータスというものは、多分これからも3000人の中の上位300人か500人の人たちは同じことができるかもしれないけれども、それよりも下にいる人はこれまでの仕事の延長上ではなくて、新しいサービス業をやるという感覚でないと多分やっていけないのではないでしょうか】
NIBEN FRONTIER 2008年10月号27頁 「記者の目から見た司法改革」
ご指摘のとおりですね。
ただ、新卒の学生がいきなり起業して「新しいサービス業」を起こすことは難しく、ましてや企業法務の分野でそのような形で成功するのはおそらくほとんど不可能ですから、実際のところは、企業法務志向の法化大学院生は、理系で大学院に進んだ学生が企業に就職していくのと同様に、企業への就職を狙うのではないでしょうか。そして、そのような途があまり現実的ではない、あるいは大学卒業後すぐに就職する道に比べて明らかに不合理であるとなれば、法化大学院の志望者数減少は今後、輪をかけて加速するという気がいたします。