楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

お知らせ

2017年5月20日、私を世界で一番愛してくれたタイ人の妻が乳癌のため亡くなりました。 私が2012年に日本を去り、チェンマイに家を建てて移り住んだ理由は、そう長くは生きられないかも知れない妻が、バラバラに育った子供たちと一緒に暮らせるようにするためでした。そして5年。楽しかったことや辛かったこと、実にいろいろなことがありました。妻は最後に日本語で「シ・ア・ワ・セ」と言って息を引き取りました。44歳でした。

イサーン旅行~マハサラカームの弟

2015-03-30 14:24:10 | タイの暮らし
マハサラカームという県があることをご存じの人は、相当タイに詳しいと思います。私自身は、今回のイサーン旅行の直前に知りました。妻がこう言ったのです。「イサーンに行くんだったら、弟のいるマハサラカームにも寄ってみたい。もう長いこと会ってないから・・・」 私が「マハ・・何とかっていう場所はどの辺にあるの?」と訊くと、「私もよくわからないけど、イサーンのどこかにあることは確かなの。」と、何とも外国人のよ . . . 本文を読む

イサーン旅行~ピチットからコンケーンへ

2015-03-28 21:49:13 | タイの暮らし
イサーン旅行の記録を気負いこんで書きはじめたものの、合計1000枚近い写真の整理がつかず、筆も思うように進みません。でも今日は、何があってもコンケーンに行き着こうと思います。 青いマルが初日に訪れたピチットです。旅の2日目の夕方にコンケーンに入り、翌3日目に赤いマルを付けた、妻の親戚のいるマハサラカーム県を訪ねることにしました。   ピチットを出発したのは3月19日・木曜日の午 . . . 本文を読む

イサーン旅行~ピチットのTさん夫妻のこと~

2015-03-27 21:26:33 | タイの暮らし
昨日はイサーンへの旅の序章として、ピチットに立ち寄ったお話をしました。今日はコンケーンに行く前に、家族がバンコクに居た頃大変お世話になったTさん夫妻との出会いについて、少し書いておこうと思います。 妻が私と小学3年の男の子を残して日本を離れることになったのは、2010年1月のことでした。それまで彼女は、19歳の時から20年近く日本で暮らしてきました。ですから言葉は別として、まるで外国人のようにタ . . . 本文を読む

イサーン旅行・序章~ピチット~

2015-03-26 21:38:10 | タイの暮らし
今週火曜日の夕方、イサーンへの1週間の旅から戻ってきました。そして昨日は、妻の定期的な診察日で、チェンマイ大学病院へ行きました。ところが帰宅してからリンパ浮腫のある右腕が赤くはれ上がりました。ネットで調べてみると、蜂窩織炎(ほうかしきえん)だと思われたので、夜になってまたチェンマイ大学病院行き、今度は救急にかかりました。早く治療を始めなければ重大な結果を招く可能性があるからです。 血液検査の結果 . . . 本文を読む

イサーンへ旅してきました

2015-03-24 20:24:07 | タイの暮らし
かなり長いこと記事を書いていません。それは、「さぼり病」のなせる業なのですが、その持病を治すために妻とイサーンへ旅に出ました。私がチェンマイを離れるのは久しぶりです。1年ぶりくらいでしょうか。さぼり病を治すためというのは勿論嘘で、前々から妻と二人でイサーンへ行ってみたいと思っていたのです。たまたま妻もイサーンを知らないので、思いが一致しました。 最初は、二人だけで7日間の気儘な旅をするつもりでし . . . 本文を読む

自分のブログが面白いと思うようじゃ、もうお仕舞いかもね

2015-03-04 23:32:51 | タイの暮らし
またぞろブログのサボリ癖が顔を見せ始めています。そんな時、はじめてコメントをくれた方がいました。返事を書こうと思いながら、多分書いていません。その方は、私のブログを一気に読んでくれたというのです。まさか・・・?私のブログは2011年の6月から、結構な分量ですからね。 その方が私のブログを最初から読んでくれたとすれば、どんな按配かな?と奇妙な好奇心が湧いてきて、自分のブログを最初から読み始めてしま . . . 本文を読む