実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

片野鴨池を守った村田安太郎とオースチン博士

2013年12月26日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

第2次大戦後のGHQが日本を占領統治していた時代、水鳥の楽園であった

片野鴨池大変な危機が訪れていました。アメリカ軍の軍人がいきなりやってきて、

300年近く人間と鳥たちが共生してきた片野鴨池で、鉄砲によるハンティングを

始めたのです。しかも、1949(昭和24)年の冬、横浜から2回にわたってハンティングに

やってきたウォルトン・ウォーカー中将とは、2度の大戦で戦功をあげたアメリカ陸軍の

英雄で、日本占領支配の中心にあったアメリカ第8軍司令官という超大物だったのです。

占領下、アメリカ軍の命令は戦前の天皇の命令と等しいと言われていた時代、

たとえ禁漁区"片野鴨池"におけるウォーカー中将ら狩猟行為が違法であったと

しても、それに異を唱えることは不可能だと誰もが思っていました。

そのような中で、単身東京丸の内のGHQ天然資源局に乗り込み直訴したのが、

江沼郡捕鴨組合組合長だった70才の村田安太郎だったのです。

「あんたのような年寄りの来る所じゃない。」と安太郎は門前払いされたそうです。

しかし、「わしゃ、大事なお願いがあって大聖寺から来たんや!担当者に会わせてもらう

までは、一歩も動かん!」安太郎は門前に座り込んだといいます。

そんな村田安太郎の気迫がきっと通じたのでしょう。安太郎GHQ天然資源局

野生生物課長・オースチンとの面会を許されました。これは運命的な出会いでした。

オリバー・L・オースチン博士。彼はハーバード大学で鳥の研究で学位を取得した

第一号で、鳥類保護に熱心な気鋭の鳥類学者だったのです。彼は、1946(昭和21)年、

来日した際に「日本は山や森が多いのに、なぜこんなに野鳥が少ないのか?

このままでは日本の緑は害虫によってなくなってしまう!」と発言したそうです。

オースチン日本に「愛鳥週間」を創設し、「カスミ網猟」を禁止するなど、わが国の

野鳥保護に尽力した人物でもあります。

「アメリカ軍人による狩猟の違法性」「坂網猟保護の重要性」等についてしっかりとした

筋道で話す村田安太郎の主張は、きっとオースチン博士の心をとらえたのでしょう。

オースチン博士はGHQ上層部に働きかけ、アメリカ軍における片野鴨池での

鉄砲を使った狩猟禁止が周知されることになりました。

村田安太郎の勇気ある行動とオースチン博士の存在が危機的な状況にあった

片野鴨池水鳥たちや伝統猟法"坂網猟"を守ったんですね。

←『片野鴨池と村田安太郎』(時鐘舎刊)

【ブログ作成にあたっては、時鐘舎新書『片野鴨池と村田安太郎』(加賀市片野鴨池

坂網猟保存会編)を参照させていただきました。】

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