実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

芭蕉が見た黒谷橋・「行脚(あんぎゃ)のたのしみ ここにあり」

2013年10月20日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す

1689(元禄2)年8月1日(新暦9月14日)、松尾芭蕉山中温泉に逗留して

5日目。この日、山中はとってもいい快晴のお天気で、芭蕉山中温泉から

四十九院の山越えをして、那谷寺・小松に通じる黒谷越え道にある黒谷橋

出かけました。現在の黒谷橋は石橋で、昭和10年に架けられたものですが、

この当時は、川の巨石に橋柱を立てた木造の橋だったそうです

芭蕉はいまも美しい黒谷橋周辺の鶴仙渓の景色を近くの平岩に座ってながめ

手をたたきながら、こう叫んだそうです。

「この川の黒谷橋は絶景の地なり。行脚(あんぎゃ)のたのしみ

ここにあり」

芭蕉堂

ですから、いまの黒谷橋の欄干には上のような陶板が飾られています。

そして黒谷橋のたもとには芭蕉堂」というお堂が建っています。この「芭蕉堂」は、

1910(明治43)年10月、正風俳諧最後の俳人といわれる金沢出身の

渡辺萎文(いぶん)が、全国の同士に呼びかけて、建てたものです。

萎文は堂を建てるのなら芭蕉が「絶景なり」と叫んだここ黒谷橋しかないと

考えたようです。 「芭蕉堂」の前には、石碑があり、次のように刻まれています。


芭蕉翁、正風を倡(となえ)、雲の流れに従い各地を遍歴した。

たぐいまれな足蹟を残して芭蕉翁が、かつて奥州からの帰途、北枝と曾良を伴って

やって来た。山中の温泉に数日くつろぎ、山中問答を著す。黒谷の勝地にあり。

奇岩層列にして、流れる水は渕にたまり、その間に橋が架っている。ここを翁、

徘徊賞心して、盤蛇石という坐りやすき石に坐してきん然と拍手して曰く。

「雲に遊ぶこの楽しみ、まさにここにあり」と。

山中の名は、翁によって有名となり、はや二百有余年になる。山河は当時のまま

であるが、人の世の出来事だけが日々変っている。その中でただ正風のみが

輝いている。凡(おおよそ)翁の足蹟や堂宇樹石などは、永く滅びないことを乙い

願うものであるが、この地に一つ欠けたものがあると思われる。

それであるから、萎文久しく全国の同志に呼びかけて、芭蕉堂を創建した。

これは実に明治43年10月の事である。のち、この堂で遊ぶ者は、芭蕉来遊の

当時をしのび、風流を聴き、渓を聴き、林恍(りんこう)を聴いて拍手し、世のわずら

わしさに思いなげかず、また文等を尊ぶ者の志を、長く伝えるべきである。

 明治43年10月             五香屋休哉嘉撰(ごこうやきゅうさいかせん)

                         渡辺萎文 謹著

芭蕉堂の横にある参道を5分ほど上がると、木地師の祖神・惟喬(これたか)親王を

お祀りする東山神社もあります。秋の散策にもってこいの黒谷橋に是非お越し下さいね!

 (ブログ作成にあたり、西島明正著『芭蕉と山中温泉』を参照させていただきました。)

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