隊員NO.4まこで~す
山中温泉といったら、「こおろぎ橋」ですよね。
「時と季節のせせらぎに こおろぎ橋は いつもやさしい」
この付近は岩石が多く、越前(いまの福井県)に向かうときにとっても「行路危(こうろぎ)」
な場所で、またこの周辺で、秋の夜、可憐になく蟋蟀(コオロギ)の声が多く聞かれた
ことから、「こおろぎ橋」と名付けられたといいます。
松尾芭蕉は、山中逗留4日目の1689(元禄2)年7月30日(新暦9月13日)に
「こおろぎ橋」の上流の河原へ行って、一句よんでいます。この付近は高瀬と呼ばれ、
その昔鮎漁のよき漁場として賑わっていた所で、かがり火を焚いて魚をおびき寄せる
漁師の舟がひしめきあっていたそうです。
いさり火に かじかや波の 下むせび
(清流の小石に身を伏せているかじかを漁り火で追っているのであろう。さやさやと
聞こえてくる瀬の音は、かじかがつかまるのを怖がって、川底でむせび鳴いている声
であろうか。)
この句でよまれている「かじか」は、”むせび”という一字からみても、鮎やウナギでは
なく、小エビかゴリ(オコゼ)であったろうと考えられます。たいまつの火で魚を追う里人、
そしてじっと川の底にかくれているかじか。
当時はごくありふれた情景だったのかもしれません。それが、小さな魚に感情移入する
芭蕉のこまやかな句を通すと、とっても美しい山中温泉の一場面が目の前にあらわれて
くるようですね。
現在、この場所には「高瀬大橋」が架けられ、「ろくろの里」として有名な奥山中の
菅谷町に向かう重要な役割を果たしています。
(ブログ作成にあたっては、西島明正著『芭蕉と山中温泉』を参照させていただきました。)