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Cannot Do Cleaning, But…(returns)

生活方法(掃除など)や体質の改善(ダイエットなど)について考える日記・「減量後の維持」

そして、9年後の生活

2024-12-16 22:16:52 | 第五章 再格闘編
 過去の記事を読むために再度アクセスしている。
 2015年以来、となると9年ほど経過していることになる。
 その後、年齢を重ね、現在は当初より数kg増量している。また、転居後住み続けている自室での生活は19年ちかく経過しつつあり、室内はやはり混沌と化している。
 健康面で言えば、実はこの間、内視鏡手術やら、帯状疱疹やら、いろいろあった。
 2020年から世界的に流行した新型の感染症には感染せずにすんでいる。ただし、3年近く外出自粛し続け、家族にも対面しない生活を送っていた。昨年正月からようやく帰省したところだ。考えて見ると、それらを思い出して書くだけでも、結構いろいろあるかもしれない。

 現実的には、残り5~6年で退職の予定が近づき、従業中の居室として借りているフラットも、また現在住む街も、仕事が終わった後にどのように住むか、あるいはどこに住むか、という問題が起こりつつある。すなわち、人生の生活の、だいたい第五章か第六章くらいの始まりが、数年後に迫ってきたということである。
 ひさしぶりに書いてみた。ログインできたから、もし可能であれば、もう一度振り返ってみよう。
 過去に書いた状態から、今は随分変わっているけれども。
 それにしても、この街に住んで25年以上たってしまったことに、ふと思い至り驚いている。

記事更新 (さらに、3年後)

2015-04-05 09:54:01 | 第五章 再格闘編

さらに、3年が経過した。
最初の執筆が2003年ということは、ほぼ12年。そして本当にご無沙汰していた。

2005年から2015年現在までのこの10年の激務を振り返ってみると、ほとんど健康に留意する暇がなかった。精神にも日常生活にも小さな変化が積み重なれば、長期的に見て大きな変化となる。

今思うと、12年前の方がまだ精神的にも「身軽」ではあった。
予想以上に、ストレスは長期的に自分を蝕むものだと思う。が、顧みる時間も余裕もない。
職場での業務量も、責任も立場も、重さを増すごとに、心身も重くなる。その間、微調整すら行うこともなく忙殺され、気がつくと、すっかり定期健康診断で危険信号を指摘される立場となる。
おそらく日常生活が如実に反映された体調と体型になっているのだろう。

この10年、入院は無くて済んでいるものの、一般に言う「成人病」のいくつかで、細かい異常での内視鏡手術もちょくちょくといった感じだ。
そして10年前に引っ越した自室も、10年後やはり混沌と化していた。混迷度と体重は比例するのか。

片付かないだけではない。またこの年度末と年度始めの繁忙期で、自分がいつ何を食べたのかも、何が食べたいのかも、どのくらい寝てどのくらい動いたのかも、まるで意識に残らないような異常な忙しさの中にいる。
仕事はあるし毎日生活はできている。だが特にこの7~8年は、全く心が穏やかに休まる時というのがない。常に強いストレスにさらされ続けている。のだが、それを意識している暇さえもない。書いていて今思い出しているところですらある。
自分は決して若者ではない。だがこの後の自分の人生の5年後、10年後、ということも、考えられない(という、未だに落ちつかない心地である)。とにかく朝が来たら、またその一日が続いていて、生きていれば次の日がまた始まるのだろうと。

このサイトを書き始めた時と同じように、「本当に、もう少し自分自身のことを大切にしないと…」と思い始めたのである。
幸い、このページはまだ残っている。読み直してみると、現在の自分とは違う部分、できない部分などもある。今度は、現在の自分の年齢と仕事とコンディションを考慮した生活改善を図る必要がある。

記事更新(それから5年後)

2012-06-04 21:44:39 | 第五章 再格闘編

 転居して既に7年目、清掃と体質改善の双方とも問題に差し掛かっている。
 再度格闘するか。
 この間に起こった人生観の変化も含めて、再検討の時期に入ったようだ。

夏の食事

2007-09-02 12:28:44 | 第四章 diet cleaning格闘編
 近況報告としては、現在も48~52kg付近で来ている。体脂肪率は心持ち上昇しているようだが、昨年のような肺炎再発の長期治療もなく、盆過ぎまで夏休み返上だった仕事もし、その後少し休みもとれ、行きたいところへ行く遊山もして、今日に至る。
 
 宴、といっても私は前述のとおり呑まない。ただし元々好きなので味覚的に慣れている日本酒を来客用に選び、夏野菜中心につまみ代わりに煮物や漬物、肴、締め用のご飯などを用意している。基本的には、「自分が日頃普通に食べているおかず」だ。この季節の盛りのものを近所の市場で買う。農家の人がもってくるひねた地のきゅうりなどは大量に軽く塩で漬けておくし、みょうがやなす、冬瓜、つるむらさきなども安い時がおいしい。煮物も炒物も焼物もでき、そこに魚や肉や大豆や海草が加わる。

 炭水化物は全面的には禁止していない。酷暑の中、持ちをよくするためと食べやすくするため、昼は小ぶりに海苔で巻いた梅干入りおにぎり1~2個を作り、朝夕におかず中心で前述の9種類を中心に摂取する。一人暮らしの場合一日1合~1・5合位炊くご飯を、昼に大目に食べる都合となるが、トータルで一日のご飯の量を変えないように、というのが大体の目安になる。
 ご飯の基本量を据えるもう一方で、去年と今年の夏は、年々気温の高さが酷くなるにつれて、献立の作り方が年々、かなり「和食的」になっている。それは単純に暑さで食欲が落ち、そうした味のものでないと食べにくくなったという状況もある。さらに、4年前食べられたような量ほど、一度の食事で量が胃に入らなくなってもいるのだった。逆に、どう効率よく摂らないとスタミナが切れてしまうか、という問題になってもいる。
 夏痩せまでに至らず体重は落ちずにいるが、体重が落ちても身体が起き上がれないようでは、仕事に困るのである。このあたりの適量をちょうどいいところで保つのは、いつも難しいように思う。

今年の花火大会

2007-09-02 11:53:36 | 第四章 diet cleaning格闘編
 近所で催される花火会場が目の前なので、今年は自宅に後輩や知人を招いて手軽な宴をはってみた。
 絶景なのだが近すぎて、上空から大流星群というより爆撃を受けているかのような大瀑布が降り注ぐ。
 皆ほろ酔い加減で去り行く夏を惜しむ…には騒々しい夜であった。
 
 自宅の茶の間と洋間を来客用に空け、家全体の掃除は一通り休日の日課となっているから、「来ない?」ということもそれほど気負いなく言えた自分に、後で気づいて、改めて密かに驚き、感慨を得た。
 「人を家に呼んで、ごはんを食べる」ことができる、ということが、これほどに自分の基本的な対人的な精神の構え方、態度に変化をもたらすとは思わなかった。掃除ができなかった2003年の夏の頃の自分には本当に考えられないことだった。こうして2007年の夏の終わりに、自分の家にわやわやと人々が集まって過ごせるなど…

 人生の時間をただ長く得て、ただ生きているだけ、というのではなくて、その時間を、ひと時をどう送るかが大事なのだと、誰もがいうような当たり前のことを、思い出しながら、その意味を知ることも必要だったんだなと思う。