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新宿『唯尼庵』の名物ママが逝く…。

2005-11-22 09:36:09 | Weblog
 昨日の午前中、訃報が届く。新宿ゴールデン街『唯尼庵』の名物ママ、キヨさんが日曜の朝、自宅の布団のなかで冷たくなっていたのを帰宅したダンナさんが発見したといふ…訃報を受け取った時点では地元の警察署で検死中とか。これでじぶんが直接面識のあるといふか懇意にして頂いた方が(この4年間で)3人(しかも女性=ママさんばかり)、亡くなられたコトになる…。

 キヨさんは文壇Barとして知られた『まえだ』のママ亡きあと、言わば「(70年代の香りを残す)新宿ゴールデン街“最後の灯”」とも呼べる存在のチャーミングな女性。かの『唯尼庵』には生前の中上健次や田中小実昌などの作家を筆頭に、原田芳雄や高橋恵子などの俳優陣、三上寛や山崎ハコらの歌い手陣…等等も出入りし、昨今マスコミが「最注目」している新宿ゴールデン街の特集企画に際しては「代表的なお店」として取材される存在でもある(あった)。

 壊れかけたままの「らしい」扉を開けるといつも、「オオ、スエ!」とキヨさんの元気な声で迎えられる。じぶんが訪れるのは大半が深夜2時過ぎだから、大好きな焼酎の牛乳割ですっかり出来上がったキヨさんはいつもご機嫌の様子。

 カウンター内の一番手前に陣取り、客よりも少し目線の高い椅子に座って客を迎える彼女はさながら銭湯のオバちゃんよろしく「泥酔の聖母」という感じの粋な女性。そのべらんめえ調で裏のない喋り口で時に怒鳴られ、時に奨励され、時に論争する、そのやりとりといふか唯一無二な無垢性を愛し、さまざまな常連がいつも『唯尼庵』の席を埋めていた…。

 毎年恒例の新宿Blues Nightでは「いつキヨさんが舞台に上げられ、嬉しそうに舞うか?」を胸中密かに愉しみにしていた方も多いはず。そういふ“特例”が許され、誰もが暖かい視線と喝采を送った存在だと綴れば、キヨさんを知らない方々にも独特の存在感が伝わるだろうか…亡き田中小実昌さんも幾つかのエッセイで「キヨのこと」を書いている。

 個人的な思い出も幾つかあるが、中上健次の人柄や阿部薫の思い出をしてくれるキヨさんの表情が好きだった。亡くなる当日といふか土曜日の夜、彼女いつもと変わらない陽気さで三上寛の新宿ライヴを堪能し、二次会組とは別れて「(午後)10時から店を開けるわ」と『唯尼庵』と店に向かったとか…。

 最後のお勤めをどんな顔ぶれが見届けたのかは(今のところ)定かではないが、帰宅後の布団の中で息を引き取ったといふ事実は(哀しい出来事だが)少し心が救われる。お通夜・告別式は24日とのコト。ご冥福をお祈りいたします。


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1 コメント

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知らなかった! (おだちゃん!)
2010-10-21 12:16:55
私が高円寺に住んでいた頃、フールズのメンバーと知り合った。そして唯尼庵を教えて貰った。
初めて飲みに来たのに、まるで昔からの知り合いのようにキヨママは接してくれた。
そしてママは挨拶代わりに私の頭を引っ叩く。
それから生意気なことを言う度にママは、
私の頭を引っ叩く。
お蔭様で少し利口になったような気がする。

 ママが亡くなったことを知ったのは、2008年
。私は仕事で大阪に引越しをした。
時々飲みに行く立ち飲み屋さんで知り合った 常連さんがよく東京へ出張らしいので、
話をきいてみるとゴールデン街にも飲みに行くらしい。それで唯尼庵のことを聞いたら、
キヨママが亡くなったことを聞かされた。
あまりのショックで言葉がでなかった。
しょうけんが大好きだったママ!
もう二度と会うことができないなんて
信じられない。