紙の翼に乗って
《天風録・中国:8月15日》
▲三原市の元美術教諭岡田黎子さん(80)は米国に負い目がある。かつてその地を目がけて放たれた「風船爆弾」造りに携わったからだ。各地で動員学徒が和紙を張り合わせた直径10メートルの気球。旧日本軍が焼夷弾をつり下げ,ジェット気流に乗せた。
▲うち1発が6人の命を奪ったことを岡田さんは後に知る。「加害者として謝罪したい」。その一念で20年前,竹原市沖の大久野島での動員体験を画文集に編んだ。「戦争に正義なんてありはしません」と前書きにある。英訳を付け米国にも贈った。
▲風船爆弾が落ちた米オレゴン州から最近,1通の手紙が舞い込んだ。差出人の映画監督は,犠牲になった少年や身重の女性らの遺族を訪ね歩いていた。「誰もがあなたの本を手元に置き,大切にしています」との一文が岡田さんの心に響く。
▲手紙に添えてあった記録映画のDVD。気球造りに手を貸した山口や九州の元学徒が渡米して弔った映像もある。「戦争こそが加害者」と遺族に握手を求められる場面。憎しみを超えた和解の瞬間である。
▲映画の邦題は「紙の翼に乗って」。現地の慰霊碑に日本側から手向けた千羽鶴を思い起こさせる。折れば平和のシンボルになる和紙が兵器にも変わる。65回目の終戦の日のきょう,そんな歴史も胸に刻んでおきたい。
《天風録・中国:8月15日》
▲三原市の元美術教諭岡田黎子さん(80)は米国に負い目がある。かつてその地を目がけて放たれた「風船爆弾」造りに携わったからだ。各地で動員学徒が和紙を張り合わせた直径10メートルの気球。旧日本軍が焼夷弾をつり下げ,ジェット気流に乗せた。
▲うち1発が6人の命を奪ったことを岡田さんは後に知る。「加害者として謝罪したい」。その一念で20年前,竹原市沖の大久野島での動員体験を画文集に編んだ。「戦争に正義なんてありはしません」と前書きにある。英訳を付け米国にも贈った。
▲風船爆弾が落ちた米オレゴン州から最近,1通の手紙が舞い込んだ。差出人の映画監督は,犠牲になった少年や身重の女性らの遺族を訪ね歩いていた。「誰もがあなたの本を手元に置き,大切にしています」との一文が岡田さんの心に響く。
▲手紙に添えてあった記録映画のDVD。気球造りに手を貸した山口や九州の元学徒が渡米して弔った映像もある。「戦争こそが加害者」と遺族に握手を求められる場面。憎しみを超えた和解の瞬間である。
▲映画の邦題は「紙の翼に乗って」。現地の慰霊碑に日本側から手向けた千羽鶴を思い起こさせる。折れば平和のシンボルになる和紙が兵器にも変わる。65回目の終戦の日のきょう,そんな歴史も胸に刻んでおきたい。