3月9日11:51の地震で胸騒ぎを覚えた。
メール配信の地震情報の震源の深さも浅く、続く余震も数が多く感じられたからだ。
六感? いや五感に働きかける何かがあった。
すぐさまネットで明治三陸大津波の文献をあさり調べた。・・・似たような前兆地震の
記述がそこには載っていた。・・・
3月11日 それは現実と成り、深い悲しみを伴い大きな試練として現れた。
磯釣りを通じ 津波に対して正面から向き合ってきたが、あまりにも大きな爪跡だ。
津波は 漁民、港湾施設を利用する企業 船舶、釣り人にとって
避けて通れない道で 生活の一部なのだ。
人間が利便性の為に作った物は簡単に破壊されたが
海や磯に目をやると震災前と変わらぬ表情で
津波は自然の営みの一部なのだと痛感させられる。
大自然の脅威をまざまざと見せつけられたが、それを上回る知恵と強さを期待したい。
今回の大震災は一連の始まりに過ぎない
と警鐘を 唱える方が居るが 用心するに越した事は無い。
「疾風に勁草を知る」 今 本物の強さが求められている。