大衆演劇《鹿島順一劇団》見聞録

全国に140以上ある劇団の中で、私が最も愛好している「鹿島順一劇団」の見聞録です。

役者点描・知る人ぞ知る、名優・蛇々丸の「つっころばし」

2014-09-16 13:12:16 | 役者点描

斯界(大衆演劇界)の名優・蛇々丸は、今頃どうしているだろうか。私が彼の舞台姿を初めて観たのは、平成19年11月、みのりの湯柏健康センターであった。「鹿島順一劇団」公演で、芝居の演目は、「会津の小鉄」。前景は小鉄の女房が自刃、「私の首を手土産に、男を立てておくんなさい」という切ない愁嘆場の景色で終わった。それとは打って変わって「つなぎ」の明るい場面に登場。京都で一稼ぎしようとやって来た素浪人・宮本ムサクルシという役柄であった。当日は、なぜか客と劇団の呼吸がかみ合わず、全体的に盛り上がりに欠けた出来栄えであったが、春日舞子と蛇々丸の演技は光っていた。舞子は小鉄の女房役、「目を開けたまま」盲目の風情を醸し出す、健気な女性像を見事に描出する。一方の蛇々丸は、腹を空かせた貧乏侍、薄汚れた衣装ながら、色欲だけは人一倍旺盛とみえて、通りかかった年頃の娘(実は、小鉄の仇敵・名張屋新蔵の愛娘・三代目鹿島虎順)に「まとわりつく」といった(損な)役柄であったが、「表情・仕種だけで笑いを誘う」姿が、彼の「実力」を十分に窺わせていた。以来、3年、私が「鹿島順一劇団」の舞台を観続ける羽目になったのは、蛇々丸の「存在感」あふれる、個性的な艶姿に惹かれたことも、その大きな要因の一つだといえる。芝居「忠治御用旅」の十手持ち、「大江戸裏話・三人芝居」の老爺、「あひるの子」の間借り人役では、斯界きっての実力者・二代目鹿島順一(現・甲斐文太)と五分に渡り合い、「一羽の鴉」「心もよう」「新月桂川」では主役・準主役、「源太しぐれ」「月とすっぽん」「人生花舞台」「噂の女」「紺屋高尾」「命の架け橋」では敵役、脇役、汚れ役、ちょい役等々、彼の十八番を数え上げればきりがない。中でも、天下一品、「蛇々丸でなければならない」のは、「春木の女」に登場する、京都大店の若旦那、いわゆる「つっころばし」の舞台姿であった、と私は思う。「つっころばし」とは「歌舞伎の二枚目の役柄の一。年若で突けば転がるような柔弱な男の役」(「スーパー大辞林」)の意。大店の次男坊として嫁取りの段になり、周りから「どうする、どうする!」と責め立てられてノイローゼ気味、気分転換に「釣り」でもと、春木の海にやってきた。息も絶え絶えな風情は、文字通り「つっころばし」で、その色香、滑稽さは「群を抜いて」いた。対照的なのが、漁師(没落した網元)の娘・おさき(春日舞子)、男勝りの気性で「可憐な」風情とは無縁だが、心底には、朴訥とした「親孝行」の温かさが流れている。加えて、その義母(甲斐文太)、義父(梅の枝健)、義妹(三代目鹿島順一)、若旦那の兄(花道あきら)らの、清々しい「人情模様」に彩られて、二人(若旦那とおさき)の愛が成就するという按配であった。それゆえ、蛇々丸の「つっころばし」は、舞子、文太、健、順一、あきら、といった他の役者連の中(チームワーク)でこそ「輝く」代物であったことは言うまでもない。蛇々丸自身、「演劇グラフ」(2007年10月号)のインタビュー記事で以下のように述べている。〈僕は「近江飛龍劇団」の魅せる、インパクトのある芝居、そして、「鹿島順一劇団」のジワジワと心にしみてきて最後に盛り上げる芝居から、両方の劇団のいいところを吸収できたと思いますね。役者をやる上で、本当にいい環境ですよね。いい経験をさせてもらったと思います。(略)僕は職人肌なので、舞台に立っているかぎりは、できるかぎりの事をしたい〉。記事の副題には「舞台では職人でありた」という言葉も添えられていた。多くの役者が名字(屋号)を持っており、本来なら「近江蛇々丸」とでも名乗るところだろうが、芸名は、あくまで(子役もどきの)「蛇々丸」(その由来・彼の干支は巳)でしかない。おそらく彼のモットーは、親分無しの子分なし、「一匹狼」の「職人芸」を極めることなのだろう。それが直截に具現されるのが個人舞踊。定番の「こころ」(唄・五木ひろし)は「立ち役舞踊」の名品、長丁場の「安宅の松風」(唄・三波春夫)は、弁慶・富樫・義経を踊り分ける「至芸の逸品」として、私の胸中・脳裏から離れない。文字通り「職人芸」の極め付きだと、私は確信している。さて、蛇々丸は、平成22年に「鹿島順一劇団」を退き、「浪花劇団」(座長・近江新之介、蛇々丸の実弟)に移ってしまった。はたして、今、どのような舞台姿を見せているだろうか。気がかりなことではある。(2011.1.31)
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役者点描・名優・花道あきらは《一羽の鴉》

2014-09-09 08:33:24 | 役者点描

「鹿島順一劇団」の役者、花道あきらは、昭和40(1965)年6月25日生まれ(宮崎県出身。血液型A型)、まもなく46歳になろうとしている。文字通り(油ののりきった)「男盛り」、今や劇団の中で「なくてはならない」存在となった。かつては、蛇々丸、春大吉と並んで、劇団の「三羽鴉」と見受けられたが、他の二人は新天地に飛び去り、今では、三代目座長・鹿島順一を支えなければならない「一羽の鴉」になってしまったのである。とはいえ、彼の「気性」「人柄」「芸風」には、ただならぬ《誠実さ》が感じられ、一羽で三羽分の「役割」を果たすであろうことは間違いない。5年前(平成19年11月)、私は彼の舞台を初見聞して、以下のように寸評した。〈「力を抜いた」演技に徹することが肝要。「つっこみ」から「ボケ」への瞬時の「変化」、「敵役」「汚れ役」にも期待する。「女形舞踊」は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する〉。当時は、「力みすぎ」「一本調子」な口跡、所作が目立ち、観ている方が疲れてしまう雰囲気であったが、昨今の舞台では「力が抜け」、自然体で「飄々」とした演技が、彼独特のユニークな景色を描出している。主役では「三浦屋孫次郎」、「長ドス仁義」の三下奴、「月夜の一文銭」の嵯次郎、「浜松情話」の嫁探し親分、「花の喧嘩場状」の二代目親分・・・等々、を演じ、その「誠実で一途な」風情が、客(私)の心を温める。敵役では、「命の架け橋」の十手持ち、「里恋峠」の川向こう一家親分、「新月桂川」の蝮の権太・権次、「忠治御用旅」の役人、「仇討ち絵巻・女装男子」のスケベ侍、「悲恋夫婦橋」の成金・・・等々、悪は悪でも、どこか憎めない空気が漂う。敵役とは言えないが、「木曽節三度笠」、喜太郎の義兄、「噂の女」の弟のような、身勝手で他人の気持ちなど考えようともしない人物を演じさせたら、彼の右に出る者はいないのではないか。「噂の女」では、それまで他人の噂を信じ、旅役者と駆け落ちしたとばかり思っていた姉が、実は、自分の病気治療代を調達するために身売りしたことを知って号泣、そのあと、黙って姉の草履に着いた泥をぬぐう姿は、いつまでも私の目に焼き付いて離れない。
脇役では、「春木の女」の大店店主・慎太郎、「人生花舞台」の次郎長親分、「あひるの子」の社長、「マリア観音」の岡っ引き、「恋の辻占」の時次郎・・・等々、またまた「人情味」溢れる景色を描出、ほんのちょい役でも「心模様」の巡査、「関取千両幟」序幕の芸者姿で、舞台に色を添えている。まさに、劇団では「なくてはならない」存在になるまで、精進・成長した《証し》であろう。蓋し、「お見事!」と言う他はない。ことの真偽はともかくとして、劇団責任者・甲斐文太が座長時代、敵役に回って曰く、「誰のおかげで、いい役やっていられると思っているんだ、え?宮崎で、スナックのマスターやっていたところ、誰が、今までにしてやったんだ!」そのセリフを聞いて、主役の花道あきら、思わず噴き出して後を向く。また、家来役の花道あきらに向かって曰く、「おい!○○○○!」その時もまた、彼はビックリして噴き出した。後の口上で甲斐文太の話。「お客様にはわからないでしょう。○○○○というのは、彼の本名です。ちょっと気合いを入れてやりました」。いずれにせよ、甲斐文太の言葉の底には、「花道あきら(の成長)が可愛くて(嬉しくて)たまらない」という想いが感じられ、こちらまでその喜びを頂いた気分になるのである。
 前出の寸評で〈女形舞踊は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する〉と、私は述べた。女形舞踊では「ある女の詩」(美空ひばり)が秀逸。立ち役舞踊では、「力は抜けた」が、まだ「単調」である。歌詞の内容を吟味して、一つ一つの言葉が「姿」に表れるように・・・。。個人舞踊は、自分が主役の「独り舞台」、相手がいなくても芝居をしているような気持ちで、「三分間のドラマ」を演出してもらいたいと、私は思う。(2011.6.7)
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幕間閑話・「鹿島順一劇団」の《魅力》

2014-09-01 09:19:46 | 幕間閑話

「鹿島順一劇団」の《魅力》とは何だろうか。ひと言で言えば、「レンゲソウ」の魅力とでも言えようか。俗に「やはり野に置け蓮華草」と言われるように、「大衆演劇」の《本分》をわきまえている、その《奥ゆかしさ》がたまらない魅力なのである。ある劇場での一コマ、舞台がはねてからの客席での会話。客「素晴らしかった。あなたほどの実力があれば、テレビに出られるでしょ?」座長・三代目鹿島順一(当時は三代目虎順・17歳)「いえ、ボクたちは大衆演劇の役者ですから、テレビには出ません。安い料金で、一人でも多くのお客様に観ていただくのがモットーです。そのために『全身全霊』で頑張ります」。おっしゃる通り。「大衆演劇」の本質は、まず第一に「廉価な入場料」なのである。私が初めて「大衆演劇」を見聞したのは、今から30余年前(昭和47年)、東京・千住の「寿劇場」であったが、当時の入場料は100円前後、それで「前狂言」「歌謡ショー」「切狂言」「舞踊ショー」の魅力を3時間余り、十二分に堪能できたのだから。客筋といえば、地域の老人がほとんどで、客席はまばら、中には寝転がって(音曲を聴いているだけの)老爺・老婆連中も見受けられたほどである。今では、大劇場が常打ち(?)となった、あの「梅澤武生劇団」ですら、当時は、そのような「侘びしい舞台」で場数を踏んでいたのであったが・・・、爾来幾星霜、大きな変遷を遂げたとはいえ、「廉価な入場料」は斯界の伝統として脈々と受け継がれている。平成22年6月、三代目虎順は、三代目鹿島順一を襲名、18歳で座長となったが、その披露公演(大阪・浪花クラブ)でも「廉価な入場料金」(通常料金・1300円)は変わらなかった。まさに「見上げた根性」である。劇団の責任者・甲斐文太(前座長・二代目鹿島順一)が座長時代の口上で、よく口にしていた言葉、「うちの劇団は『地味』です。そのうえ貧乏ひま無し、劇団名は、別に『劇団火の車』とも申します」。文字通り「襤褸は着てても心の錦」、どんな花よりも綺麗な舞台を作り続けているのである。私は、平成19年11月以来、足かけ4年に亘って、この劇団の舞台を見聞してきたが、「日にち毎日」の観客数は(平均すると)20人~30人程度であろうか、お世辞にも「人気劇団」とは言えない。だがしかし、である。「鹿島順一劇団」の面々は、観客数の多寡など歯牙にも掛けない。つねに「全身全霊」で舞台を務める、その姿は感動的であり、また、たまらない《魅力》なのである。三代目鹿島順一が虎順時代に口上でいわく、「今日は20人ものお客様に観ていただきました。ありがたいことでございます」。大衆演劇の「大衆」(観客)は、なぜか「客の入り具合」で、劇団の良し悪しを評価しているようだが、私は違う。落ち着いた、静かな雰囲気の中で、ゆっくりと舞台の景色を堪能できる方が、どれだけ楽しいか。あえて「大入りにしない」こと、それも劇団の「実力」(懐の深さ)のうちだと確信している。さて、肝腎の「舞台模様」だが、「鹿島順一劇団」の芝居は、天下一品である。俗に「十八番」というが、「浜松情話」「春木の女」「噂の女」「大岡政談・命の架け橋」「男の盃・三浦屋孫次郎の最後」「雪の信濃路・忠治御用旅」、「仇討ち絵巻・女装男子」「長ドス仁義」「大江戸裏話・三人芝居」「新月桂川」「月とすっぽん」「心模様」「会津の小鉄」「マリア観音」「悲恋夫婦橋」「越中山中母恋鴉」「里恋峠」「源太時雨」(以上十八番)、その他に「悲恋流れ星」「アヒルの子」「幻八九三」「孝心五月雨笠」「木曽節三度笠」「花の喧嘩状」「上州百両首・月夜の一文銭」「明治六年」「恋の辻占」「仲乗り新三」「浮世人情比べ」「人生花舞台」「関取千両幟」・・・等々といった「名舞台」が「目白押し」である。しかも、その芝居の、配役(「主役」「脇役」「ちょい役」「その他大勢」)は、変幻自在に入れ替わる。「主役はあくまで座長」といったこだわりとは無縁、それぞれの「個性」にあわせて「適材適所」に役者が配される。そのことによって、役者一人一人は、舞台の中で(たとえ、「その他大勢」「ちょい役」であっても)「なくてはならない存在」に変化(へんげ)してしまう。結果、役者の「個性」に磨きがかけられ、彼らの魅力は倍増する。筋書は単純、何の変哲もない定番の芝居であっても、「鹿島順一劇団」の舞台は、つねに輝いている。たとえば「噂の女」、たとえば「越中山中母恋鴉」、たとえば「春木の女」、たとえば「悲恋流れ星」等々、私は、他の劇団の舞台を見聞しているが、その出来栄えは「一味も二味も違っていた」のである。その違いとは、役者の光り具合、また役者相互の「呼吸」(間)の素晴らしさではないか、と私は思う。「鹿島順一劇団」の舞台には、隙がない。役者一人一人が寸分違わぬ「呼吸」によって、演技を展開する。その「呼吸」こそが、技の巧拙を払拭してしまうのだ。拙い技は、拙いなりに「個性」として魅力を発揮するのである。責任者・甲斐文太は、座長時代、口上でいわく「役者は、未経験者(素人)の方が伸びます。色に染まっていると、かえって育てにくいものです」おっしゃる通り、その劇団の芝居は、その劇団の「呼吸」(チームワーク)で作り上げるものだからである。事実、春日舞子、梅之枝健の初舞台は19歳、花道あきらは20歳すぎ、春夏悠生は18歳?、赤胴誠、壬剣天音は15歳、幼紅葉は13歳であり、いずれも出自は「役者の家系」ではなかった(未経験者・素人)に違いない。にもかかわらず、寸分違わぬ呼吸で演技を展開できるのは、まさに責任者・甲斐文太の指導力(演出力)の賜物であろう。事実、この3年間に遂げた、赤胴誠、春夏悠生、幼紅葉ら、若手・新人の「変化(へんげ)」(成長)振りには、目を見張るものがあった。そんなわけで、「鹿島順一劇団」の《魅力》の真髄は、まず、何を措いても「芝居の素晴らしさ」にある、と私は思う。さらに言えば、役者のチームワークに加えて、「音響効果」(効果音・BGMの選曲)も、お見事、その一つ一つを詳説することはできないが、「春木の女」の浜辺に流れる大漁節?、「仲乗り新三」の木曽節、「月とすっぽん」の会津磐梯山、「仇討ち絵巻・女装男子」の弁天小僧菊之助・・・等々、その音曲を耳にしただけで、舞台模様が彷彿とするのである。芝居にせよ、舞踊・歌謡ショーにせよ、「音響」の美しさは一つの「決め手」であろう。化粧、衣装は「視覚」の美、音響、音曲は「聴覚」の美、いずれも舞台に「不可欠」な「小道具」だが、ややもすると「聴覚」の美は軽視されがち、とりわけ歌謡・舞踊ショーでの「音響」は、なぜか(多くの劇団で)、マックス・ボリュームで耳をつんざくほどの騒々しさが目立つ。「鹿島順一劇団」の「音響」は(劇場にもよるが)おおむね「ほどよく」調整されている。その中で展開される、組舞踊、個人舞踊、歌唱の数々は、まさに《至芸の宝庫》といった有様で、たいそう魅力的である。組舞踊では、伝統的な「筏流し」、座長(面踊り)中心の「お祭りマンボ」を初め、ラストショーの「忠臣蔵」(歌・甲斐文太)「人生劇場」「花の幡随院」「珍島物語」、個人舞踊では、三代目鹿島順一の「忠義ざくら」「蟹工船」(歌・甲斐文太)「大利根無情」、甲斐文太の「弥太郎笠」「冬牡丹」「安宅の松風」「浪花しぐれ『桂春団治』」「ど阿呆浪花華」「河内おとこ節」、春日舞子の「ああいい女」(歌・甲斐文太)「深川」「芸道一代」、花道あきらの「ある女の詩」・・・等々、珠玉の「名品」が綺羅星の如く居並んでいる。加えて、責任者・甲斐文太の歌唱は、プロ歌手以上の《魅力》を発揮する。レパートリーは広く、「すきま風」「冬牡丹」「男の人生」「明日の詩」、「北の蛍」「恋あざみ」「よさこい慕情」「大阪レイン」「無法松の一生」「蟹工船」「瞼の母」「カスマプゲ」「釜山港へ帰れ」「ああいい女」「刃傷松の廊下」「酒よ」「雪国」「男はつらいよ」・・・等々、数え上げればきりがないが、その歌声の一つ一つは、しっかりと私の心中に刻み込まれて、消えることがないのである。なるほど、舞踊にせよ歌唱にせよ、ショーとしての「派手さ」はない。今様の「洋舞」も少ない。しかし、その(一見、侘しげな)「地味さ」の中に、じわじわと沁みこんでくる、伝統的な大衆芸能のエキス(魅力)が隠されていることは間違いない。
さて、(結びに)「鹿島順一劇団」、極め付きの《魅力》とは何だろうか。これまで述べてきた、芝居の「名舞台」、舞踊・歌謡ショー、「至芸」の数々はすべて「幻(まぼろし)」、「仕掛け花火に似た命」、「みんな儚い水の泡沫」で終わる、という《魅力》である。多くの劇団が、舞台模様(歌声)を、CD、VHS、DVDなどに記録・保存・販売しようとしている中で、責任者・甲斐文太は、そのことには全く「無頓着」、周囲からの勧めにも一切応じない(?)かに見える。結果、「鹿島順一劇団」の舞台は、直接、劇場に赴いて鑑賞するほかはない。見事だと思う。あっぱれだと思う。なぜなら、芝居も、舞踊も、歌唱も、本来、すべてが「観客」との「呼吸」で仕上げられる、その場限りの(共同)「作品」に他ならず、それを記録・保存することなどできよう筈がないからである。CD、VHS、DVDに残された音声、映像などは、その「抜け殻」「絞りかす」に過ぎない、といった、文字通りの「滅びの美学」、それこそが「鹿島順一劇団」、極め付きの《魅力》ではないだろうか、と私は思う。(2011.7.4)
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