世界の中の極々小さな断片

田舎暮らしの日常と地元を走るローカル線を短いエッセイと写真で綴る。
※ブログのタイトルが変わりました。

火を渡る大祭

2016-10-22 11:26:48 | 日記













































































































































































































































































































































































霊峰八海山の麓にある八海山尊神社。


山岳信仰の山として越後三山の一峰である八海山の
大崎登山口を護るこの神社。
江戸時代・天明の飢饉の惨事も醒めやらぬ寛政6年、
木曽の御岳山の王滝口を開いた
普寛行者が現・南魚沼市大崎の泰賢行者と共に
八海山を中興開山したのがことの始まり。
以来、山岳信仰で名が知れ渡ると
この地域の内外から霊場巡拝で訪れる者が多くなり
行を修めようとする先達(行者)の育成にも尽力するようななった。


ここで執り行われる火渡祭も先達が
霊力を一定の段階に達した証として執り行われた。
それからは、講中と呼ばれる信仰者の集まりが
各地で組織され訪れるようななった。
以来200年間の長きに渡り受け継がれ今日に至る。
毎年秋も深まる10月20日に
信仰を求め信者達が家内安全・無病息災を念じて
素足で火中を渡り、一切の不浄と罪を滅却するのである。


折しも、訪れた大祭の当日は
秋晴れの好天に恵まれ、暖かな日であった。
祭事は進み、信者が待ちわびる中
本殿から下ろされた松明の火が
祭場となる八海山尊神社霊風園に到達すると祭事は最高潮の達し、
今か今かと待ちわびる護摩壇の点火を前に
宮司の祝詞、先達の参拝が行われると
やおら、うずたかく積まれた杉の葉の山に火が放たれる。
もうもうと立ちのぼる煙りに咽んでいると
やがて天に向かい大きな火柱となって立ちのぼる。
猛火となった空気は熱風となり容赦なく身体に降り注ぐ。
見物の一般の人々では、数秒と前に立ってはいられないほどの中
先達は護摩札を火にくべ祈祷する。
やがて、火も弱く収まるり、竹で叩き二筋の道が作られ
清めの塩が蒔かれ火渡りが始まる。

人々はそれぞれの思いを神への奉納に変え
明日からの幸せを願う。










Posted by I.Tachi at October 22, 2016




















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