スローバカンス研究(群知能研究所)

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沖縄高専という進路の意義

2004-05-29 18:59:47 | 猪澤也寸志
来春、沖縄初の高専が誕生する。卒業生を抱える父兄にとっては、高専という学校が子供達の進路にとっていかなるものか興味深々のことと察します。かく言う私も中学3年生の子供がいる父兄のひとりです。実際、高専卒業生に対する企業評価はきわめて高く、即戦力を求める優良企業は、大卒よりも高専卒を重宝し、結果として就職率が百%を割ることはほとんど無いという。ある新進気鋭のベンチャー企業の社長は高専卒以外採用しないとまで言う。その理由を端的に言うと、高専卒でないとベンチャー企業の戦力にはなり得ないということらしい。大卒で実力を蓄え高専卒のような優良企業に就職できるのは、ほんの一握りに過ぎない。大半の大卒者にはまともな就職先もなく、いわゆる、フリーター化しているのが現状だ。では何故に、これほど高専卒が企業から重宝されるのか?その秘密を、高専卒の私の実感を交えて明かすことにする。

<>国立明石高専卒業生の私の実感
私の高専生活かつ卒業後の企業での体験をもとに、高専卒の人気の秘密を、以下に箇条書きにしてみます。
(1)中学を卒業して高校ではなく「大学」に入学したという感覚が今でも生々しく残っている。高専2年の春、中学校同窓会で級友たちに再開した時に、その差は歴然であった。高専では、2年次から大学の専門課程を学ぶことになる。それも、実験実習を繰り返したうえ、留年制度で評価される。60点未満の欠点では、進学できず再度同じ学年を学ばなければならず、2年同じ学年で留年すると退学である。ちなみに、1年入寮時の寮長は22歳で、中学を出たばかりの私にとってはまさにオッサンであった。毎年、順調に進学する為には、実践的な実験実習を繰り返し、試験では60点以上を維持しなければならない。
但し、この学業は、きわめて新鮮で刺激的なものゆえ、向上心のある学生にとっては、苦になるどころか、むしろ、日々を満喫できる楽習となっていた。

(2)高専で教鞭をとるのは教授陣である。大学と同じく、年々向上することを要求される教授たちは、非常に向学心にあふれている。私の尊敬する下地中学校川上校長(たまうつ先生)の「共育」思想が徹底している。
先行き不透明かつドッグイヤーで進化するこの時代は、教授と学生が共に学ぶことなくして教育は成立しない。学生以上に先生方が学業に打ち込んでいる。
沖縄高専の学科構成は、先端産業での即戦力育成を目指しており、この共育が極限まで徹底されるものと推察される。特に、一期生の評価が高専の社会評価となりうることから、本年度中学卒業生達は、徹底的なエリート教育をなされることになるものと推察する。

 ひき続き、高専の魅力を、高専卒の私の体験を踏まえて列記していくことにする。
(3)高専3年の春、中学の同窓会で級友と再会して愕然とした。みんながみんな受験地獄に喘いでいるのである。大学入学試験で偏差値をとるだけの為に
貴重な学業の時間を犠牲にしているのである。高専での学業は、社会での実業に直結していたので、その習得意義が明解であった。しかし、普通校に進学して受験勉強している友人達は、入学試験が終わればすべて忘れ去っても良いと言いながら大学入試終了までの詰め込みに徹し、その無味乾燥さに喘いでいた。頭がもっとも柔らかく知恵を吸収できる最高の時に、その場しのぎの詰め込みに徹する受験は、脳細胞を破壊する愚かな行為とも言われている。脳細胞は、興味のあることを奥深く探求していく過程でシナプスを発展させて、分析処理ネットワークを構築していくものだ。ところが、受験は、浅く広く早く解答するテクニックを身に付けることが重視され、いちいち寄り道して、奥深く興味を掘り込んでいく暇はないのである。その結果、受験勉強でつくられた脳細胞にはバカの壁が出来てしまうことになる。これは、大卒エリートほど顕著で、別名エリートの壁とも言うが、入試と同じく予め答えのある問題にしか対処できず、現代社会のように、自ら答えを創造しなければならない問題にはお手上げとなるのである。高専卒の私が代表を務めているコンソーシアム(産学研究共同体)には、東大や慶応など優秀な教授や博士にもご協力頂いているが、手前味噌で恐縮ながら柔軟な創造分野では対等以上に協働させて頂いている。

(4)高専4年の時、中学の同窓会で級友と再会してまたまた愕然とした。
受験地獄を終え大学生となった友人達がひたすら遊びに精を出しているのである。留年制ではなく単位制ゆえ、受験で燃え尽きた大学生は、大学は学ぶところではなく遊ぶところと解しているのであった。片や高専では、社会を2年後に控え、専門課程は、大学および大学院レベルに突入しており、この4年、5年を留年することなくクリアすることは並大抵ではない。教授陣が企業での活躍を想定して熱の入った指導を徹底的に行うのである。高専生には、社会に無益な受験勉強という障害が無いのである。冒頭のベンチャー企業の社長が、高専卒しか採用しないのは、厳しい実力社会では、大卒の肩書き(エリートの壁)をマイナス評価するからで、中学卒業後の5年間で実社会適応能力を徹底的に養っている高専生をプラス評価するからである。最後に、誤解が無いように付け加えるが、私が強調して止まないのは、大学入試を回避して脳細胞にとって最高の成長環境を創出するであろう沖縄高専という選択枝の意義である。
沖縄高専一期生が未来沖縄の舵取りになることを期待しつつペンを置く。