Osa’S Diary

ジャンルにはこだわらず、たあいもないこと~重大なことまで、日常生活の出来事を日記にします(記事の日付は実日付)

徒歩帰宅

2011年03月11日 23時59分15秒 | 日記
今日は東北地方の三陸沖を震源地とした歴史的な大地震が起きた。

14時46分。

ちょうど職場では打ち合わせをしていたときに、突如大きな揺れ。地震なんてどうせすぐに終わるだろうと思っていたのだが、なかなか揺れが止まらない。そして、徐々に揺れが大きくなっていき、さすがにあせって机の下に潜っりながら相方に電話。なったけど繋がらない。このとき以来次に相方に電話が通じるのがまさか3日後になろうとはその際には思ってもいなかった。。。

職場でも避難命令。とりあえず建物の外に出るもまだまだ揺れは実感できた。余震の如く暫く揺れ続ける。一度戻るもその際に大きな揺れを観測し又外に出る。結局、建物の中に戻ってきたのは16時過ぎ。それまでは俗に言う避難をしていたことになる。地震規模は観測史上最大のM8・8。関東大震災の30倍の地震エネルギーだったとか。その後の津波や原発等で被害が増大したのは言うまでもない。

この日は夫婦で働いており子供達は保育園にいた。相方にも繋がらないということは繰り返しかけた保育園にも連絡はつかない。音声通信をあきらめ15時過ぎにはメールを送ってみると、無事に通じて相方も怪我無く無事ということを知る。お互いに無事は確認できたのだが子供達が気になる。発信し続けても繋がらない。矢先に相方からばあばがかけつけてくれて二人とも無事に家に帰ったことを知る。一安心は一安心。ただそのときに交通機関の麻痺については頭から飛んでいた。

電車は動かないだろうからタクシーかなぁと思っていて、打ち合わせが終わった18時ごろ職場目の前の道路を見ると車が両車線とも全く動かない。帰り際だし電車は全て運休となれば自ずと想像はつくのだがさすがにその時は焦った。相方も同じ状況だろうし歩いて帰る体力はないはず。かといって子供達2人とも両親がいない状態で夜を過ごすのも想像できず、帰るのは俺しかいないと判断。

ここでGoogleMapで徒歩検索。3時間15分とでたので今すぐ出れば十分間に合うと即決し、すぐさま品川の職場を出発。

最初は順調だったが途中で若干道に迷うし、徒歩帰宅を考えたサラリーマンラッシュにぶちあたり、思うように進めずもがき苦しむ。ようやく明治通りでて後は北上あるのみ!に辿り着いたのが19時過ぎ。徐々に足に痛みが出てきたところで渋谷のど真ん中。歩道橋から何から人人人。歩道橋も壊れるんじゃないかと思うくらいの大混雑を乗り越え、そこから1時間後には新宿に到着。当初到着予定と考えていた21時は大体この辺。

嫌気もさしてきて足の裏にはマメらしきものも出来てきて、途中でお店に寄ろうかと思っても考えは皆同じで長蛇の列。青梅街道にぶち当たったところで、最初の休憩は高円寺と決めた!足は痛いし人は減らないし3時間歩きっぱなしだったけど、歩く以外に方法が無かったのでひたすら頑張った。途中の自転車やさんも靴屋さんも殆ど品切れ状態。売れに売れた数少ない恩恵を受けた業種かもしれない。振り返ってみれば最初のほうに自転車を購入して置けばよかった。。。と後悔してもしょうがないか。次回役に立てるか。もう無いと思うが。。。

ヘロヘロの状態で高円寺に到着したのが21時45分。両膝は痛めていたし空腹に耐え切れず環七沿いのラーメン屋『味噌一』に滑り込む。待ち行列がなくなった直後だったらしい。すぐに座れて夜ご飯。一呼吸置いて、最後の1時間勝負へ

高円寺陸橋から大和陸橋と環七を北上し、野方駅が見えてきたときにショッキングな光景が。なんと西武線が動いている…。後々聞くと私鉄は結構早く復活したらしい・・・。聞いてないよ…。それを知っていればもっと違う手段に出れたのに・・・。タクシーにも頼ろうと思っていたが、ここまで来て乗り物を使うのは邪道だ!とよくわからない感情に浸り、最後まで歩いて帰宅することにした。

あるくこと休憩含めて5時間。子供達は当然眠りに入ってしまったが、2人の子供の顔をちらつかせながらパパは頑張って帰ってきました♪ひとまず無事でよかったよ・・・。

そして、
駆けつけてくれたおばあちゃん。本当にありがとう。それが無かったら今ごろ保育園で悲しい思いをしていただろうに。今後は自転車を途中で購入して早く帰ってきます♪

人生で最初で最後かもしれないロング徒歩でした・・・

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。