書評
『シン読解力 学力と人生を決めるもうひとつの読み方』(東洋経済新報社)
著者 新井紀子
18 摩訶不思議な「数学語」の世界
「摩訶不思議」って、どういう冗談だろう。「数学語」は意味不明。「世界」は「スラング」かな。
GOTO 『夏目漱石を読むという虚栄』〔5213 冬彦さん〕
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問題01
Q 以下の条件に当てはまる図をすべて選びなさい。
平面上にいくつかの円がある。どの2つの円も異なる2点で交わり、また、どの3つの円も同一の点で交わっていない。
(p122)
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選択肢①は円が1個で、②は円が2個で、③は円が3個で、④は円が5個だ。正答は①②③だが、私はのっけから①を除外してしまった。
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ポイントはまず「いくつかの」という言葉にあります。生活言語ではふつう、「いくつかの」は2つから6つくらいまでの少ない複数を意味することが多いでしょう。けれども数学では、「いくつかの」というのはひとつ以上、場合によっては0以上のあらゆる整数を意味します。
(P144)
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私の誤答の原因は、「いくつかの」だけのせいではない。まるで念を押すように「どの2つの円」さらには「どの3つの円」と書いてあったから、〈答えは円が2つ以上だな〉と思ってしまったのだった。
「あらゆる整数」が「0以上」は間違い。
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1から始まり、次々に1を加えて得られる数(自然数、正の整数)、およびこれらに-1を乗じて得られる負の数(負の整数)および0の総称。
(『広辞苑』「整数」)
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「場合によっては」とは、どんな「場合」か。〈答えはいくつか?〉などの「場合」ではないのか。
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①不定個数をいい、また個数を問うのに使う。どのくらいの数。人の年齢を問うのにも使う。源氏物語(夕顔)「国の物語など申すに、湯桁(ゆげた)は―と問はまほしくおぼせど」「年は―にか、ものし給ひし」。「―買ったか」
②多くの数であることを示すのに使う。「―になっても子供だ」「橋がいくつもかかっている」
(『広辞苑』「いくつ」)
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「学習言語」や「生活言語」は意味不明だが、専門語と日常語との意味がかなり違うとしたら、専門語の意味を誤解して庶民が日常語に用いる場合だろう。あるいは、誤解ではなく、比喩として用いる場合もある。
そもそも、「いくつかの」は専門語ではなかろう。
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数学では、「名づけ」のルールも生活言語や国語とは違います。
(p147)
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「名づけ」は〈命名〉のつもりだろう。しかし、次に出て来るのは「定義」(p102)ではないのか。
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「2つの辺の長さが等しい三角形を二等辺三角形という。また、3つの辺の長さがどれも等しい三角形を正三角形という」
(p147)
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だから、何?
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生活言語や国語では、「正三角形は二等辺三角形ではない」というのが通常の解釈だろうと思います。
(p147~8)
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「生活言語」は意味不明。「国語」が〈国語科〉の略なら、雑だ。「思います」は、ひどい。出典はないのか。
私は、日常会話で「二等辺三角形」も「正三角形」も用いない。それどころか、〈三角形〉も用いない。しかも、角が円くても〈三角〉と言うよ。
GOTO 『夏目漱石を読むという虚栄』〔3242 『みれん』〕
楽器のトライアングルは角丸で、しかも、一つの角がない。
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〔数〕(triangle)一直線上にない三つの点のそれぞれを結ぶ線分によってできる図形。三つの内角をもつ。
(『広辞苑』「三角形」)
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これが「名づけ」なら、「数学語」では〈三辺形〉と呼ぶべきだろう。
『200万語専門用語 英和・和英辞典』によると、ビジネスや経済では“triangle”を「三辺形」と呼ぶらしい。
成程、「数学語」って「摩訶不思議」なんだね。
(18終)