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ヒルネボウ

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漫画の思い出    花輪和一(39) 『無残絵』(リブロポート) (画集/丸尾末広との共著)

2025-08-22 17:13:51 | 評論

   漫画の思い出

   花輪和一(39)

   『無残絵』(リブロポート)

(画集/丸尾末広との共著)

1998年版の『朱雀門』に掲載された「花輪和一全作品リスト」によれば、『浮草鏡』と『猫谷』の間にこの画集が出版されたことになっている。これは買わなかった。丸尾作品が嫌いだったせいもあるが、その丸尾に花輪がすり寄ったみたいで、嫌になった。裏切られたみたいな気分だった。実際は、売れなくなった花輪を丸尾が援助してやったのかもしれない。どうでもいい。

そもそも花輪の絵もあまり好きではなかった。どこかの書店でざっと見たような記憶があるが、確かではない。悔しい思いでこれを本棚に戻したような記憶もある。

(39終)

 


書評    『シン読解力 学力と人生を決めるもうひとつの読み方』(東洋経済新報社)著者 新井紀子  18 摩訶不思議な「数学語」の世界

2025-08-21 19:03:18 | 評論

   書評

   『シン読解力 学力と人生を決めるもうひとつの読み方』(東洋経済新報社)

   著者 新井紀子

     18 摩訶不思議な「数学語」の世界

「摩訶不思議」って、どういう冗談だろう。「数学語」は意味不明。「世界」は「スラング」かな。

GOTO 『夏目漱石を読むという虚栄』〔5213 冬彦さん〕

問題01 

  Q 以下の条件に当てはまる図をすべて選びなさい。

平面上にいくつかの円がある。どの2つの円も異なる2点で交わり、また、どの3つの円も同一の点で交わっていない。

(p122)

選択肢①は円が1個で、②は円が2個で、③は円が3個で、④は円が5個だ。正答は①②③だが、私はのっけから①を除外してしまった。

ポイントはまず「いくつかの」という言葉にあります。生活言語ではふつう、「いくつかの」は2つから6つくらいまでの少ない複数を意味することが多いでしょう。けれども数学では、「いくつかの」というのはひとつ以上、場合によっては0以上のあらゆる整数を意味します。

(P144)

私の誤答の原因は、「いくつかの」だけのせいではない。まるで念を押すように「どの2つの円」さらには「どの3つの円」と書いてあったから、〈答えは円が2つ以上だな〉と思ってしまったのだった。

「あらゆる整数」が「0以上」は間違い。

1から始まり、次々に1を加えて得られる数(自然数、正の整数)、およびこれらに-1を乗じて得られる負の数(負の整数)および0の総称。

(『広辞苑』「整数」)

「場合によっては」とは、どんな「場合」か。〈答えはいくつか?〉などの「場合」ではないのか。

①不定個数をいい、また個数を問うのに使う。どのくらいの数。人の年齢を問うのにも使う。源氏物語(夕顔)「国の物語など申すに、湯桁(ゆげた)は―と問はまほしくおぼせど」「年は―にか、ものし給ひし」。「―買ったか」

②多くの数であることを示すのに使う。「―になっても子供だ」「橋がいくつもかかっている」

(『広辞苑』「いくつ」)

「学習言語」や「生活言語」は意味不明だが、専門語と日常語との意味がかなり違うとしたら、専門語の意味を誤解して庶民が日常語に用いる場合だろう。あるいは、誤解ではなく、比喩として用いる場合もある。

そもそも、「いくつかの」は専門語ではなかろう。

数学では、「名づけ」のルールも生活言語や国語とは違います。

(p147)

「名づけ」は〈命名〉のつもりだろう。しかし、次に出て来るのは「定義」(p102)ではないのか。

「2つの辺の長さが等しい三角形を二等辺三角形という。また、3つの辺の長さがどれも等しい三角形を正三角形という」

(p147)

だから、何? 

生活言語や国語では、「正三角形は二等辺三角形ではない」というのが通常の解釈だろうと思います。

(p147~8)

「生活言語」は意味不明。「国語」が〈国語科〉の略なら、雑だ。「思います」は、ひどい。出典はないのか。

私は、日常会話で「二等辺三角形」も「正三角形」も用いない。それどころか、〈三角形〉も用いない。しかも、角が円くても〈三角〉と言うよ。

GOTO 『夏目漱石を読むという虚栄』〔3242 『みれん』〕

楽器のトライアングルは角丸で、しかも、一つの角がない。

〔数〕(triangle)一直線上にない三つの点のそれぞれを結ぶ線分によってできる図形。三つの内角をもつ。

(『広辞苑』「三角形」)

これが「名づけ」なら、「数学語」では〈三辺形〉と呼ぶべきだろう。

『200万語専門用語 英和・和英辞典』によると、ビジネスや経済では“triangle”を「三辺形」と呼ぶらしい。

成程、「数学語」って「摩訶不思議」なんだね。

(18終)

 


萌芽落花ノート 59 韃靼人の舞踏

2025-08-21 00:04:37 | 

   萌芽落花ノート

   59 韃靼人の舞踏

灌漑用水が砂漠を抜けて海に注ぎかける辺り

明快な旗印が山々に向かって垂れている

女たちは大昔から暖炉の前で器用に古雑誌を広げ

意味ありげな談話に明け暮れていた

何もかも弁えた眼差しで老猫が欠伸をしたら

月とは無関係に祭りが始まる

 

ここは地の果て 見るなの街

赤でも緑でもない 鮮明な黄色

白でもない 黒でもない 危険な黄色

天使でも悪魔でもない 亜細亜の黄色

黄色の市が立つ

黄色の商品が並ぶ

黄色の貨幣が音を立てる

鳩は寺院の屋根を捨てて地に豆を拾う

鐘は眠るように揺れている

住人たちは朽ちかけた閂をそのままにして

流浪の民の行列を窓から覗く

 

誰もいないのではない

誰もがいないふりをする祭りの真昼

躍っているのは到着したばかりの韃靼人だ

住人達は見てしまった

見てはならないはずの彼の横顔を

潮の満ち引きのような

高い崖の上から流れ落ちる滝のような

韃靼人の舞踏を

黄色の樹木と黄色の空と黄色の舞踏を

だが 彼の肌の色を誰が見たろう? 

 

ここは地の果て 見るなの街

誰もいないのではなく

誰もがいないふりをする祭りの真昼

(59終)

 


替え歌 掌に食べ物を

2025-08-19 22:52:29 | ジョーク

   替え歌

   掌に食べ物を

僕らは皆蟾蜍

蟾蜍なら食べるんだ

蚯蚓だって螻蛄だって蛞蝓だって

皆々生きているんだ

食べ物なんだ

(終)


漫画の思い出 花輪和一(38) 『浮草鏡』(双葉社)

2025-08-18 18:39:13 | 評論

  漫画の思い出

  花輪和一(38)

  『浮草鏡』(双葉社)

目次「其之一 生き肝」「其之二 武将たち」「其之三 能面男」「其之四 馬盗人」「其之五 雑兵」「其之六 はしりどころ男」「其之七 狂女」「其之八 盗賊」「其之九 くぐつ師」「其之十 地頭の子」「其之十一 ろくろ師」「其之十二 尼」

副題が「戦国時代絵巻」となっている。

ちっとも面白くない。やたらと話を作り、くどいほど線を画きこんでいる。もともと、私は彼の画風が好きではないから、話が面白くなければ読みたくない。

月夜、花が雪のように舞い散る桜の木の下を、壺装束の女が杖を突いて歩いている。市女笠の下は虫の垂衣に包まれ、足元は闇に溶けている。幽霊みたいに、「スー」と見えなくなる。こいつの正体は不明。

花輪は、自身の狂いを、少女山芽(やまめ)(「其之二 武将たち」)の外界の乱れとして描こうとする。

悪いのは自分ではないが、両親でもない。家の外の社会だ。

そうした欺瞞を試みている。

「じむぐりが 腹の中に 入ってしまったから二人とも おかしくなったんだわ」

(「其之二 武将たち」)

「じむぐり」は六本足の蜥蜴のような虫で、「二人」は両親だ。花輪は、自分の両親を化け物のように思っているのだろうが、そのことを否定しようとして、お絵描きに逃避している。

山芽は尼に出会い、「さわやかな風のような心の人」(「其之十二 尼」)になろうと修業を始める。

生悟りだ。やがてぶり返すに決まっている。

花輪の作品に対する興味が薄れた。

(38終)