久しぶりにブログ更新します。
そのきっかけとなったのは・・・
2011年3月11日(金)に起こった東日本大震災
まず初めに、この震災で被災された方に心からお見舞い申し上げます。
また、私たち家族もたくさんの方々から励ましの言葉をいただき、とても心強く励みになりました。
ありがとうございました。
そして、3月29日現在、まだ水道は復旧してませんが、いろんな方々からのご厚意により
不便なく過ごさせていただいてます。感謝です。
現状、原発問題もどうなるか分かりませんが、我が家を含め、いわき市民、元気です。
津波により家をなくしたたくさんの方々がこの町にも避難してきています。
一時、避難していた市民も戻ってきており、多くのボランティア活動も起動しています。
こうして、一日また一日乗り越えて、はやく安心して暮らせる日が来ますように。
↑ 避難中、避難先の栃木に主人と一緒に遊びに来た時のイリサです。
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3月11日当日、この日は次男の中学の卒業式でした。
午前中の卒業式も無事終わり、そのまま前から約束していた携帯電話の購入のためauショップへ。
でも、次男が欲しがっていた機種は在庫がないとのこと。
近くの家電ショップ等回ってもやはり無いようなので、もう一度機種を考え直そうと最初のauショップへ戻り
順番待ちしていた時です。
その時、auショップには20名くらい人がいたと思います。
そして、一斉に「キューンキューン」・・・とあの携帯からの地震予報の音が!!
みんな、その場を動かず揺れが来るのをじっと待っていると・・・
グラグラ・・・
最初は
来た来た~
くらいにして思ってなかったけど。
長い・・・おかしい・・・普通じゃない・・・逃げきゃ危ないかも・・・
って感じの心理状態だったと思います。
2分近い揺れの最後に今まで体験したことのない地面がひっくり返るんじゃないかと思うような
強い揺れ。
auショップの一番奥にいた私たち親子も出口付近に向かいましたが、その間まっすぐ歩くことも出来ず
椅子などに捕まりながら出入り口付近でただ立っているのがやっとでした。
揺れがおさまり、その時は建物の破損とかも感じられず、ただ携帯の棚が倒れていたりで。
ショップの方と一緒に棚を直すのを手伝ったりしてました。
家に電話しようとしてももうすでに通じず!
車に乗り、家に戻ろうとしても強い揺れがその後数回続きました。
ほんと、車が揺れで勝手に動いてしまうんではないかと思うくらいの揺れ・・・
そこから自宅まで車で10分くらいかな。
走っていると、道路が波立っていたり、段差が出来ていたり、民家の塀が崩れていたり・・・
家の前に来ると、
うちの瓦が崩れてるぅ~
家にいた長男とおばあちゃん。そしてイリサとメロンは怪我もなく無事でした。
でも、話に聞くとあまりにひどい揺れに庭先に出ようとしたら瓦が落ちてきたとか・・・
よかったよ。大事にならなくて・・・
TVをつけるともうどの局も地震の報道。
それも津波注意とのこと。
わたしが住んでいる地域はいわき市の浜通り・・・海までは20分くらいのところ。
おまけに高台にあり津波の心配は全くないけど、
イリサとの散歩でたまに行く小名浜港・アクアマリン福島水族館があるあたりは心配・・・
でも、今まで津波注意報はでてもそんな甚大な被害が出た・・という話も聞いたことがなく
内心、まー大丈夫だろう…くらいの軽い気持ちでこの時はいました。
さてさて、家の中。
1階はトイレの壁に横の亀裂が。
寝室のある2階に行くと・・・すごい。
タンスの扉があき、中が飛び出してるし・・・
まー、少し物を減らしなさい…という教訓か!と受け止め、庭先へ。
もともとここは、崖崩れ危険のため、地盤測定の機械が取り付けてある地域。
庭のコンクリートは亀裂が入って、ちょっと庭が斜めになってるし~。
この日、主人は仕事で福島県白河のほうへ。
当然、携帯にかけても繋がらなかったが、地震から3時間くらいしてから
無事帰ってきました。
これで、家族5人+2匹は全員無事を確認。
壊れた場所は直せば済む・・・それでOK・・・くらいに考えていたこの日。
それではすまない事態になってくるとはこのときは思ってもなかったんですけどね。