今日は、憲政記念館で行われた「田母神前航空幕僚長講演会」に参加した。これは、憂国の政治家、西村眞悟代議士が塾長を務める「西村塾」の主催で、当然塾長たる西村代議士も参加された。私は、設立直後からこの塾の「塾生」だったのだが、いつの間にか「年齢制限」からか「顧問」になってしまった。
さて、開会は午後7時。シンポジウムの司会を仰せつかっていたので、早めの午後6時前に会場に到着してビックリ。なんと、開会1時間以上前から長蛇の列が出来ているのだ。開場予定を30分繰り上げて6時から入場していただいたが、6時半には500名の会場の座席は満席に。最終的には800名を超す大盛況となった。以下、講演の一部トピックである。(文責はすべて私にある)
西村代議士
田母神閣下の戦いは、一私人の戦いではない。軍人の戦いである。指揮官には2つの敵がいる。それは、国家に侵略しようとする敵と、「マスコミ」という敵である。今、閣下が戦っているのはマスコミである。
平和のために軍隊が必要である。家庭に泥棒が入ってきたら、戦わずして家庭の平和は守れない。然るに、国家の平和を守るために軍隊がいる。
今回、閣下が明らかにされたのは、与野党ともに「村山談話」を信奉していることだ。そして、戦後敗戦利権に群がっている、ということだ。
一人の軍人が「このままでは祖国は勝てない」と提言して職を追われたことが過去にもあった。それはフランスのドゴ-ルである。平和で沸いていたフランスはドゴ-ルの提言を無視し、職を解き、結果、軍は崩壊し国は敗れたのだ。ドゴ-ルの敵はフランス人だった。
田母神閣下の敵は、日本人だ。この戦いに負けたら、日本文化そのものが崩壊する。
田母神前空幕僚長
私は史上初の夜中にクビになった公務員である。物事を決めるのに3ケ月はかかる防衛省が、2時間で私をクビにした。やれば出来るではないか。10月31日にアパグル-プの懸賞論文が最優秀賞になったとの連絡を受け、大臣、政務官、事務次官、統幕長に報告にいったところ、事務次官が顔色を変えた。
この時から事態は急変した。浜田防衛大臣、事務次官、統幕長から「政府見解に従っていないので辞表を書け」と迫られたが、私は「日本はいい国だった」と言っただけで、職務につていて語ったのではなし、なんらやましいことはないからクビにしろ、と拒否した。
すると、その日のうちに航空幕僚長解任、一般の空将となったため、60歳の定年に達したので、定年を11月30日まで延長して退職ということになったのだ。(空幕長の定年は62歳、空将は60歳)ところが、11月3日の夕方5時頃「本日付で定年になった。従って、明日から登庁は不要」との連絡が入った。
私は、せめて男の美学として連休明けの11月4日は防衛省で隊員に対する最後の訓示をし、恒例の離任式に臨みたいと思っていたが、なんと、私の知らない間に、11月3日午前0時をもって、私は「民間人」になっていたのだった。ここまでして、私の名誉を貶めたい人物がいることには、怒りと空恐ろしさを感じた。
諸外国では、軍人はもっともモラルが高いと思われているが、わが国では、軍隊(自衛隊)は何をするかわからない、と思われている。
文民統制とは、国家間の紛争に軍隊を使うかどうかの最後の判断を「軍人」ではなく「文民(国会)」が行うことで、諸外国では言葉としてはあるが、ほとんど議論もされない。さらには、わが国ほど「文民統制」がとれている国はない。現在の自衛隊は「文民(国会)」ではなく「文官(非制服組)統制」である。
自衛隊の専門的な運用や武器などについて、内局(私服)が、あ-だこうだと言ってくる。これは、バトミントンしかやったことのない人がサッカ-チ-ムのコ-チをしているようなものだ。今の「文官統制」をこれ以上徹底すると、自衛隊は益々弱体化し、国を守れなくなる。このことは、国家国民にとって大きな損失である。
わが国では、反日的発言は許されるが、親日的発言は大きく制限される。五百旗頭(いおきべ)防衛大学校長は、公式な場で「自衛隊イラク派遣反対」「小泉首相靖国参拝反対」と言っていたが、なんら処分は受けない。
自衛隊を弱くすると平和が来ると思っている人がいる。反対だ。北朝鮮の工作船は撃沈してから来なくなったではないか。日本以外の政治家は「軍隊が強くなれば安全だ」と考える。核武装がいい例だ。核を持っている国は、みんなで「核クラブ」を作って、ほかの国に持たせないようにしている。核は兵器のなかで唯一「均衡」のないものだ。戦車や戦闘機はその数が多ければ勝つ。が、核は数に関係ない兵器だ。
ただ、打った瞬間に双方被害を受けるので、核が使われることはない。しかし、持つことにより外交を有利にすすめることが出来る。だから、北朝鮮が核を手放すことはない。
私は「自分の国はいい国だった」と言ったら、クビになった世界でただ一人の空軍大将である。そして、国会では民主党が「任命責任」まで言及していた。つまり、なぜ政府は「日本がいい国だった」などという人物を航空幕僚長に任命したのか、というのだ。言い換えれば、航空幕僚長には「日本は悪い国だった」という人間を起用せよということだ。これが国会議員か。
私は、これからも、様々な場所で、この国のために発言をしていく。
会場の通路、そして入り切れない聴衆は廊下からドア越しに、この憂国の軍人と代議士の熱弁に魅了されていた。講演後の楽屋出口は、田母神閣下を身近で見たいとの人々で、さながら宝塚(行ったことはないが‥)のような
状態だった。
浜田防衛大臣は、田母神閣下によれば、自衛官のことをよくわかっている大臣だったそうだ。今頃、田母神幕僚長を更迭クビにしたことを悔いているに違いない。
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さて、開会は午後7時。シンポジウムの司会を仰せつかっていたので、早めの午後6時前に会場に到着してビックリ。なんと、開会1時間以上前から長蛇の列が出来ているのだ。開場予定を30分繰り上げて6時から入場していただいたが、6時半には500名の会場の座席は満席に。最終的には800名を超す大盛況となった。以下、講演の一部トピックである。(文責はすべて私にある)
西村代議士
田母神閣下の戦いは、一私人の戦いではない。軍人の戦いである。指揮官には2つの敵がいる。それは、国家に侵略しようとする敵と、「マスコミ」という敵である。今、閣下が戦っているのはマスコミである。
平和のために軍隊が必要である。家庭に泥棒が入ってきたら、戦わずして家庭の平和は守れない。然るに、国家の平和を守るために軍隊がいる。
今回、閣下が明らかにされたのは、与野党ともに「村山談話」を信奉していることだ。そして、戦後敗戦利権に群がっている、ということだ。
一人の軍人が「このままでは祖国は勝てない」と提言して職を追われたことが過去にもあった。それはフランスのドゴ-ルである。平和で沸いていたフランスはドゴ-ルの提言を無視し、職を解き、結果、軍は崩壊し国は敗れたのだ。ドゴ-ルの敵はフランス人だった。
田母神閣下の敵は、日本人だ。この戦いに負けたら、日本文化そのものが崩壊する。
田母神前空幕僚長
私は史上初の夜中にクビになった公務員である。物事を決めるのに3ケ月はかかる防衛省が、2時間で私をクビにした。やれば出来るではないか。10月31日にアパグル-プの懸賞論文が最優秀賞になったとの連絡を受け、大臣、政務官、事務次官、統幕長に報告にいったところ、事務次官が顔色を変えた。
この時から事態は急変した。浜田防衛大臣、事務次官、統幕長から「政府見解に従っていないので辞表を書け」と迫られたが、私は「日本はいい国だった」と言っただけで、職務につていて語ったのではなし、なんらやましいことはないからクビにしろ、と拒否した。
すると、その日のうちに航空幕僚長解任、一般の空将となったため、60歳の定年に達したので、定年を11月30日まで延長して退職ということになったのだ。(空幕長の定年は62歳、空将は60歳)ところが、11月3日の夕方5時頃「本日付で定年になった。従って、明日から登庁は不要」との連絡が入った。
私は、せめて男の美学として連休明けの11月4日は防衛省で隊員に対する最後の訓示をし、恒例の離任式に臨みたいと思っていたが、なんと、私の知らない間に、11月3日午前0時をもって、私は「民間人」になっていたのだった。ここまでして、私の名誉を貶めたい人物がいることには、怒りと空恐ろしさを感じた。
諸外国では、軍人はもっともモラルが高いと思われているが、わが国では、軍隊(自衛隊)は何をするかわからない、と思われている。
文民統制とは、国家間の紛争に軍隊を使うかどうかの最後の判断を「軍人」ではなく「文民(国会)」が行うことで、諸外国では言葉としてはあるが、ほとんど議論もされない。さらには、わが国ほど「文民統制」がとれている国はない。現在の自衛隊は「文民(国会)」ではなく「文官(非制服組)統制」である。
自衛隊の専門的な運用や武器などについて、内局(私服)が、あ-だこうだと言ってくる。これは、バトミントンしかやったことのない人がサッカ-チ-ムのコ-チをしているようなものだ。今の「文官統制」をこれ以上徹底すると、自衛隊は益々弱体化し、国を守れなくなる。このことは、国家国民にとって大きな損失である。
わが国では、反日的発言は許されるが、親日的発言は大きく制限される。五百旗頭(いおきべ)防衛大学校長は、公式な場で「自衛隊イラク派遣反対」「小泉首相靖国参拝反対」と言っていたが、なんら処分は受けない。
自衛隊を弱くすると平和が来ると思っている人がいる。反対だ。北朝鮮の工作船は撃沈してから来なくなったではないか。日本以外の政治家は「軍隊が強くなれば安全だ」と考える。核武装がいい例だ。核を持っている国は、みんなで「核クラブ」を作って、ほかの国に持たせないようにしている。核は兵器のなかで唯一「均衡」のないものだ。戦車や戦闘機はその数が多ければ勝つ。が、核は数に関係ない兵器だ。
ただ、打った瞬間に双方被害を受けるので、核が使われることはない。しかし、持つことにより外交を有利にすすめることが出来る。だから、北朝鮮が核を手放すことはない。
私は「自分の国はいい国だった」と言ったら、クビになった世界でただ一人の空軍大将である。そして、国会では民主党が「任命責任」まで言及していた。つまり、なぜ政府は「日本がいい国だった」などという人物を航空幕僚長に任命したのか、というのだ。言い換えれば、航空幕僚長には「日本は悪い国だった」という人間を起用せよということだ。これが国会議員か。
私は、これからも、様々な場所で、この国のために発言をしていく。
会場の通路、そして入り切れない聴衆は廊下からドア越しに、この憂国の軍人と代議士の熱弁に魅了されていた。講演後の楽屋出口は、田母神閣下を身近で見たいとの人々で、さながら宝塚(行ったことはないが‥)のような
状態だった。
浜田防衛大臣は、田母神閣下によれば、自衛官のことをよくわかっている大臣だったそうだ。今頃、田母神幕僚長を更迭クビにしたことを悔いているに違いない。
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