いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

無防備都市宣言に共産党が賛成できない訳

2006-06-09 | Weblog
 今日、議会が終わると控え室に、無防備都市宣言の会の事務局長と男性が『挨拶』に見えた。署名数が条例直接請求に必要な数を超え、選挙管理委員会に提出したので各会派にご挨拶だという。

 まあ、私に挨拶したところで、意味がないが、せっかくなのでお会いした。そこで、3つの質問をした。

①この運動の主体である民主主義的社会主義運動(MDS)は、公安調査庁の文書に『市民活動を取り込む過激派の動き』として紹介されているがどうか。
②チラシには、全国各地の無防備都市のネットワークとして、品川など、条例が否決された都市を掲載しているが、ウソではないか。
③無条件降伏をする宣言であることをチラシには書いていないではないか。

 彼らの返答は以下である。

①よくご存知ですね。
②、③回答なし。

 議論をしていると、同室の荒木秀樹議員が『お互い、時間の無駄だからお帰りになったほうがいい』と、退室を促し『会談』は終わった。

 ちなみに、無防備都市宣言に賛成することが確実な議員は、生活者ネットワーク2名、緑の党1名の3名のみで、付託されるであろう防災・安全対策特別委員会では、賛成する可能性のある委員は、民主の1名のみなので、委員会審査で否決。本会議で委員会審査報告(否決)を、賛成多数で可決することになるだろう。

 では、何故、日本共産党が賛成しないか、出来ないか。
それは、この運動の主体MDSの歴史的経緯にある。以下、この民主主義的社会主義運動(MDS)の変遷をご覧頂きたい。

日本共産党⇒昭和38年分派:日本共産党(日本のこえ)⇒日本のこえの学生組織⇒民主主義学生同盟(民学同)⇒昭和45年分派:民主主義の旗派(学生共闘派)⇒現代政治研究会⇒平成12年改称:民主主義的社会主義運動

 昭和38年に分派した原因は、フルシチョフ、ソ連共産党と親しい親ソ連派が、中国共産党と急接近していた宮本指導部と対立したためである。つまり、日本共産党にとっては『対ソ盲従の裏切り者』なのであるから、40数年たっても許す訳にはいかないのだ。では品川区などでは、なぜ賛成にまわったのか。答えは簡単であう。MDSが運動のバックであることを知らなかったからである。

 また、昭和45年に分派する前の44年には、共産主義労働党(共労党)を支持する一派と内ゲバ事件をおこしており、同じ年、共労党は、中核派やブントと全国共闘連合会を結成した。現在では、共労党は残党が『政治グループ蒼生』を名乗っている。

 ちなみに、MDSの目標は以下のとおりである。(平成12年MDS綱領)

我々の変革の目標は民主主義的社会主義である。それは、生産手段の真の意味での社会的所有を実現することである。マルクスのいう『各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような共同社会』を実現することである。

 署名に応じた、善意の17000人の区民は、このことを知らされていない。
 


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