ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

分身の術

2017年10月29日 | 雑記
やっとハードな日々が昨日だいたい終わりまして、また次でございます。
担当者が変わって、会社もでっかいとこに吸収されたようで
まあ、現場は無関係なんですがね。

世話になってる広告会社の広告を見たら、さもたくさん漫画家いる感じなのに私の絵が三つも使われていたので
「実際は少なかったりしてなw」と思ったです。
分身の術かよ。
いろいろな絵柄でやっとりますが
ギャグタッチは楽しいです。

忙しくしてるうちに、書店にはもう来年の大河「西郷どん」関連が並んでたり。
まだ展開どうなるかわからないけど、楽しみです。薩摩は陰謀だらけだったり知謀だらけだったり、理不尽な事件もあれこれ起こったりするので、嫌いな人は嫌いですが、まあまあ。

「篤姫」は宮崎あおいで定着しちゃったからなあ。比較されないかな。

今年は〆にネオアン新作出るし
ドラクエ10バージョン4も明後日出るんだっけ。ポケモンも出るんだっけ。
シャズナ復活、東方神起復活、ひいい。どうしよう

分身の術がほしい。
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啓蒙が毒になる時

2017年10月28日 | 文学・歴史・美術および書評
自分がよく落ち込むもんで
メンタルヘルスと自己啓発本には、一時お世話にはなりました。
今はどっちもそんなに要らないかなあ…てとこです。

例えば、薬を使わない心理療法に「森田療法」ってあるけど
あれも、所詮はカントと申しますか、近代社会にインしていただくために
プロテスタント的なもので押せ押せなんだと思います。
自己啓発もそうです。


近代社会って何か
と、申しますとこれ
簡単に言って「全てサービス産業」の世界だと思うんです。

そこでは、芸術も、農業も漁業も、宗教も
…いえ、究極、動物までもが
人間のために存在し、奉仕しなくては生きられなくなる。
サービスをお金にする。

熊野あたりを散策すると、結構この呪縛から解放されたりします。
木も鳥もあらゆる生物は、別に「人間の為に存在しなきゃダメ」なんてことはなくて
西洋近代社会が行き過ぎて、勝手にそんなこと言ってるだけではないか、と。

「人は人の為にあってこそ幸せを感じられるのだし
人の為に生きて仕事をして、初めて幸せになるんだ」
う〜ん、それはまあ
間違いなくそうでしょう。


しかし、「ただし」がそこにあります。

ただし、啓蒙思想というのは、ある条件下、あるタイプの人たちには
逆に「毒」になってしまうのだ、ということをはっきり申し上げておきます。


だいたいの日本人は信仰を、聖書を読みません。
神は迷える子羊を〜なんて言われても
そもそも「牧羊」すらあんまり見たことないじゃないですか。
つまり、我々にカント以降の価値観は良いものだから
「こうしなくてはならない」と言う教義だか方法だかを強いられても
それに先立つ信仰が無いから、「個人」というものがひどく曖昧で、あやふやなのです。
西洋人はしっかりと「主語」を持って話をしますが、日本人は主語抜きで会話は成立し
常に「世間」「空気」「常識」「集団」そういったものに合わせるのが良いとされる。

信仰を持たない、
いいえ神でなくてもいい、「愛されてる」という実感を伴わない
自己否定しがちな者にとっては、行き過ぎる啓蒙は毒です。


「個人」が人生に迷った時
他者とは違う自分を見つけ、「これで良いのだろうか」と思った時

自分は生きることを認められている、愛されている、
そう思っていなければ、途端に生きることは困難になります。
「多くの人と違う自分はクズ」
「努力できない…自分はダメ」
そしてここからの「死にたい」


「そんな自分でも神は見捨てない」
プロテスタントはおそらくそう思うから、辛いことは試練だと思えます。
でもそこに信仰が無いなら、辛いことはただ地獄なだけです。


愛されてる、という安心感がなくて
そもそも「生まれてきたこと自体間違い」だと自己否定をしがちな者にとっての啓蒙は
「あなた自身を破滅させても世の中に尽くしなさい、でなければ役立たず」
に響いてしまいます。

考えてごらんなさいよ。
人間が大嫌いで、人なんて自分を攻撃してくる敵にすぎないと思ってる人がですよ
どうやってその憎い存在のために奉仕できます?
人は自分に優しくしてくれる、その前提があってこそ
お返しとして何かできることはないか?と思えるんではないですかね?


日本という国はもしかして
「全てをサービス産業に」するのは難しいのかもしれない。
「全員がサービスを受ける側」なら別だけどね。

台風に地震、災害の多い国です。
それは言い換えれば「何の変化もない安定の地で奉仕をしてきたり、努力で困難を克服してきた」
のとは違って
「常に移ろいゆく地で、虚しさも感じつつ、不可抗力の運命や死と付き合ってきた」のでしょう。
だから、「個々」であるよりも、気持ちで繋がる選択をしてきたのだと思います。
何よりも、親にも教師にも友人らにも愛されて育っている必要がある、と言われると
そんな健全で普通の、何も無い方ばかりだとは言えませんもん。



「努力しなければ愛されない」のではなくて
努力なんかしたところで明日は分からないもんだから
「念仏一つで救われる」「悪人はむしろ救われる」って
デフォルトで生きて良いことを、神様ではなく世の中の方で認めてきたのではなかったですかね?


我々の取るべき思想は
「とりあえずナチュラルに生きる」ですよ。



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更新頻度減ってますが元気っす

2017年10月25日 | 雑記
ただいま嫁業務に明け暮れております。
なんで重なるかなあとは思いますが
きっとそういう時期なんでしょう。
だんだん、ドタバタあたふたしてたものも片付いてまいりました。
ペースをつかむまで、もう少しかかるのかもしれませんが。
自分がしんどくない方法というのがわかってきた感じです。


やりたいなあと思ってることは
山ほどあるのですが
とりあえず、今はほんの小さな仕事と
ほんの小さな限られた周囲の世話で終わってる感じ?

そして、疲れた時は
「よゐこのマイクラでサバイバル生活」を見たり
あと、ゲームもスマホでちょこちょこ。
文アルみたいなのはガッツリやるわけではないけど
手隙の時に負担なく進められて、これはこれで良いなあと思ってます
(課金はしねえぜ)


でも案外、こういう
私がせねばならないことをちゃっちゃとやるのは嫌いでなくて
いろいろ考え込んでいるよりは健全である気はしますな。


オリジナル企画の方も全然諦めてはいないので
ちょっと絵とか話の作り方とか古いんですけど
また、完成したら発表したいです。

ちょっと時間かかっています。
予定がかなりまた伸びてしまいましたが
まだ具体的にイベントに申し込んだりとかはしてないので
ぼちぼち、できる範囲のペースです。
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ペットロスから回復

2017年10月18日 | 雑記
すいません

ペットロスでやたら気が動転してしまい
いろいろ妙な事を書いてしまった。
すいません。

まあ、義理の両親の方の介護問題、
ダンナの離職したいや息子の仕事(なんか、よく聞いたらパワハラがすごかった)など色々諸問題、
ありはしますが
それぞれが最終的に自分の人生であり
また、私一人でなくて、各種社会的サービス、行政、サポートもあったりで

みんな、みんなのおかげお互い様なんではと思った所です。
人の気持ちなんかはわかるか解らないか、そんな事はわかりませんが
それ自体は文学ででもやらない限り
あまり関係ないかも。



頼んだフォトブックがようやく届き
撮った動画を整理しました。
いろんな事を教えてくれた
小さな猫に感謝です。

そのような中、私はまた別な
小さな夢を一つ持ったというか
考えました。

漫画以外にも新しい事をやってみたいと思うようになりました。

これからそれに向けて、動いてみようかなと思います。

ブログの更新は
少し休み休みにします。

また、楽しい事があれば書きます。
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元ネオアンサークルが「天使の涙」を発売前に語るぜ

2017年10月08日 | 雑記
はい、田舎の主婦在宅勤務
子供を育て終わり、長年暮らしたペットも万物を司る存在に預け
少々、疲れております。

別れは辛いですが、辛さや悲しみよりも
「さっすが更年期」とか
体力的にしんどくて、如何ともしがたい。
目に肩に腰に、グダグダです。
取れないんだな、肩こりが。

少々ここでネクスト自分に対する「ハーフタイム」は必要ではないのか?
と強く説得いたしました。旦那と自分をね。


え〜
「ネオアンジェリーク」
こちらのファンはと申しますと
アンジェリークはまあアラフォー、アラフィフがいるとしても
もうすこし、いやかなりお若い方が多いのではと思います。
最初からネオロマって人でなく、もしかしたら
ネオアンや大ヒットしました「遙か3」あたりからのファンの方が多いのでは?

アンジェから遙か3、そしてネオアンに「ネオロマ内ジャンル移動」をした最後の地がアルカディア…でした私。
ちょっと発売前に語ってみます。



私、2002年頃、19世紀末のゲーム企画として
オリジナルでサイトと同人誌の活動もしていました。
それで、コミケでコーエーの営業さんにも来ていただいたり(サークル写真がラブ通だったかにも載ったり)
あと「ラブラブ通信」の同人誌紹介コーナーで紹介していただいたり、アンソロにも掲載されたこともあって

(ていうか昔は「ファンと一緒に作る」がシブサワコーエーの基本だったこともあって
まあそういう、同人誌となあなあのコーエーって好きでした。
ナムコみたいにあからさまに違法!とか言ってこないから
その分堂々と「ネオロマやって!」って布教もできまして)

で、私オリジナルの方で、ジャーナリストでベルナールってキャラ作ったりしてたのもあって
見たら
「なんか時代とかキャラかぶった…」てのはありました。う〜ん
まさか状況が状況だから
パクリとかだったら嫌だな
それでなくてもエトワールの「フランシス」とか
バンダイ関係者がメンバーの知人にいて「明日のナージャ」に持って行かれた感はあるのにな、みたいな。
証拠はないですし、確かめようもないので言うだけ「痛い人」ですけど。
最近は個人でやってたものをメーカーがパクったとツイッターで大騒ぎする人おりますが
当時はTwitterもクソもありませんしね…
あまり騒ぐと、自分だけでなく一緒にやってたメンバーさんにも迷惑かかりそうで

まあ、「仕方ない。もしそうであっても大手に個人はかなわない。
もしそうであっても作品に罪はなく
作品は無限にできるから、いちいち気にしても仕方ない」
そんなとこでした。

でも、ちょっとしたワダカマリのようなものもあって
すぐには素直にプレイできませんでした。

あと1がPS2で発売された時、ネオアンは買ったは買ったんですが
主に、同時期に発売された「遙かなる時空の中で 運命の迷宮」をやっていたと思います。
はい…それはもう鬼の化身のごとく。
そんなに時間もないし、積みソフトとなりにけり。


また、シリーズ問題として。
長年「アンジェリーク」のファンであった者で
「ネオアン」はアンジェのシリーズなのか?てのがありました。
「トロワ」以降のシリーズとして繋がった文脈上にあるのか無いのかはっきりしない。
つなげて考えたがいいのか、別ゲームのほうがいいのか?
メーカー側は「新規」ファンに来て欲しい、だけど古参も欲しい感。
「アンジェリーク」の続編を、聖地モノの続きをと期待する古参、古参鬱陶しいから消えて欲しいという新参…
それはどのジャンルでも「あるある」だと思います。

最近、特撮にハマりましたが、昭和ライダーの親父って
「この程度基礎知識として知ってて当然なのに。これだからイケメン役者ミーハーのにわかファンは困るんだよ、来るな」
だの「昭和ライダーは良かった」だのず〜っと言ってる人もいます。
「昭和なんか暗いしチャチいしダサw」って正直に言えば昭和VS平成の映画のごとく(ゴメン!やっぱり平成ライダー好きなんだ!面と向かって貶さんとくけど)
そういうのはヴィジュアル系にもありましたな。
オタクて難しいのよ。わかって。

ネオアンはちょうど、そんなファン同士の対立の中にもありました。
幸いネオロマ気質なのか、陰湿ではなかったですけど。

聖地アンジェの設定や文脈を期待することは
新しく「ネオアン」から入り、「ネオアンはネオアンだからアンジェリークとごっちゃにするな!」というファンから疎まれる。
けれど理解を示せばしたでアンジェからは離れることになるのかなあ…みたいな
次元の狭間の作品でした。
「アンジェ」は好きだけど「ネオアンは嫌い」これも個人の趣味だからあっていい。
ただし「遙か」のようにシリーズだから全部受け入れるという風潮にはなりづらい。


私がきちんと、ネオアンと作品として対峙できたのはPSP移植のspecialからです。

その前に「フルボイス」というのも出てますが
ネオアンはこの「追加改定」を出しすぎた感はあります。
出すならなんで最初っから出さないの?というのはありましたが。
ドラマCDから新キャラ出されても、ゲストなのか攻略対象なのかわからんのよね。

そして、そのCDと言うのがまた…
公式から出したものと、ランティス発売のものでノリが全く違うし。
(ちなみに私はランティス発売のほうが好きです)

まあ、そんな中でのアニメの放送てのもありました。

あとラジオもありましたっけ。


しかしです、


ネオアンは、「あ〜結局自分の趣味ってここだよな^^」て
なんかそういうのを自認しちゃいます。
しゃあない。趣味なんだからしゃあない!!

なんでちゃんとやらなかったんだと後悔したとさ。
そして攻略本もサイトも網羅しやり込みましたとさ。
隅々まで気を配られた、良い作品です。
いろいろタイミングが悪かっただけです。


青いバラ。
キャラソンもV系ぽかったり
特撮系のごときアクションもあり
科学、自然、中世と近代という2項対立があり
でも最上級な恋愛ゲームであり
コミュニケーションについてのテーマも持ってたり

まあ本当「てんこ盛り」て思ってしまいます。
でも「てんこ盛り」だからこそさじ加減て難しいし

何より、キャラクターも世界観も好きですので
終わってほしくないコンテンツです。


新PV
新しいテーマもすごく時代性を持ってて
「これはキタんでは」

楽しみに待っているところです。
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ソニーハイレゾワイヤレスヘッドホン

2017年10月07日 | がんばれデジタル侍
Spotify気に入ったんで、じゃあワイヤレスヘッドホンが欲しい。

なら話題のハイレゾ。
息子は、モスキート聞こえない中年以上がハイレゾなんか無意味ではと言いますが、最近の研究では自然界では聞こえない音にも取り巻かれているので、聞こえないようでいて実は聞こえてるらしいです。

売り場で聞いてみたけど
最初の店員さんが的を得ない。

いや
ていうか、早い話
知らない…っぽい。
しばらくしたら担当の人が来たんで説明されました。


ハイエンドは4万。
ノイズキャンセリングがある。
タッチすると、外部の音が聞こえ、またタッチすると再び外部の音を遮断。
スマホとBluetoothでつなげられるから、スマホ置いたままでいい代物です。

有線ヘッドホンの何が嫌って、
仮にMacにつなぐと、配線がペンタブの上に来たりするのが嫌。めちゃ嫌。

買ったのは
SONY WH-H900N



です。
ハイエンドモデルでなく一つ下で、ほんのちょい安いです。
有線ヘッドホンでハイレゾだけだと2万位です。
性能が劣るという程ではなかったので…これで充分かなと。

通信距離10メートル。
庭先くらいはいけるかな。

ですが、取り寄せらしくて
実際に入手できるのは2週間先だそうです。
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新しい気持ちで…

2017年10月06日 | 雑記
あれから1週間経過。
慣れたかというと慣れませんが

哀しんでばかりもいられないです。
手がけていた案件1つが丸っとやり直しになったり
クライアントチェックがスムーズに進まなかったり
こちらのミスでの修正ではないですが。

どうも最近、サプリや美容関係の広告は
うっかりなことを書くと「詐欺だ」と
批判やら法規制やら厳しいので
シナリオ側が「やっぱりこれはマズいのでは?」
クライアント側から「やっぱりそれもありえない」
と、慎重になっているのは確かです。

「わあ!こんなに改善された〜」みたいな「すっかりチェンジ」はほどほどに
でもそれなりに効果があると示さないといけなかったり
私が希望してるジャンルは特に、美容、医療、年齢的に上の層向けとかそのあたりですから
モロに余波をかぶっております。
塾系とは住み分けてるんですが
学習系もそれはそれでなんかはあるんでしょうね…



とりあえず
頑張って仕上げたはいいが、て所なんで、修正作業に入る前に少し休みました。
まずは寝て、あと糖質制限少しだけ解除して
半年以上ぶりにサンマフライを食べたりしました。


それと
12年前に買ったテレビ、上に猫が苦労して乗ってたんですが(昔はブラウン管テレビでのりやすかった。乗るのが癖になっていたので、幅15センチ位のBRAVIAに乗っていた)
まるで猫が乗らないのを寂しがるように
自動的にB-CASカードが出ちゃう(認識が外れて映らない)!
つまり止まる。画像が。

てなってるので、これもなんとかせねば。サッカーの途中で止まるのだけは困るな。

少し休んだので、マシになりました。

なんだかんだで心配したり、気苦労多かったり、しかしもうそういうのやめたい。
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猫から学んだことを書こう

2017年10月05日 | 雑記
シェイクスピアの有名な戯曲にこれまた有名な一節があります。
「to be or not to be…」
日本語では主に「生きるべきか死ぬべきか」
という訳で広まっていますが
どこにもshould は入ってない。「べき」の話は、そう考えたらこの問題は糸口がつかみやすいという便宜的なものです。

問題なのは、能動的に死ぬべき生きるべき問いう選択ではなく
そもそも存在が「ある」と「ない」とは何なのか
どちらが「理」にかなっているのか
ではないかと思います。

何かの役に立つから存在すべきで
役に立たないなら存在すべきでないと
我々、合理主義に染まり、ガチガチに固まった者はそう思いがちですが
実は違うのかもしれない。


うちに来た時、声の出ない猫でした。
まあ、猫には「失語症」と言っても、言語があるわけではないですから
そうは言わないのでしょうが
獣医は何らかのショックで鳴き声が出なくなる動物は確かにいるということでした。
耳が悪いというわけではなさそうなので、様子を見てくださいと。

野良なのでなつかない。抱っこする以前の問題。
まず人間を信用していない。1mの結界がある…

でも、それから10年ですかね。
私「たち」は次第に距離を縮めることを警戒しなくなった。

「たち」というのは、私もです。
人間なんか信用しない。
すぐに裏切る。利用する。だからハグなんかされても嫌だ。
感情だの優しさだの口ばっかのきれいごとよりは、理論に生きたが幸せなんだ。
結婚しても?と思われるでしょうが
恋愛の後にではないです。「契約」に近かった。
「子供は?」て思われるでしょうが、DINKS選択を義理の母が許さなかったので
強制と義務の部分もありました。
愛情を望んでいながら拒むというややこしい事になってました。

しかし、いつの間にでしょうかね。
英語のサイトで
in the house と at home
の違いを読みましたが
in the house が at home になるまでに
試行錯誤や、苦労や、いろんなことを含んだ「時間」があったなと思います。



その鳴かなかった、なつかなんだ猫が
結局最期の時に
力を振り絞り、迷惑も考えず、誰かを
察するに息子を呼び続け
私たちも呼んだ。
こんなに声を出して鳴いたことが無い。
最期まで諦めずに。


自分はもう
己の臆病さに対して恥ずかしいです。
嫌われるだの、社会的に役に立つかだの
それ以前に存在せよ、ってことなのでしょう。

社会的な意味や、成功や、地位や
そういったもの以前に存在すること
まず存在すること。それを命っていう。


力いっぱい、呼ぶんだよ
それは無駄かもしれない
誰にも届かないかもしれない
それでも、無駄でも
力いっぱい呼ぶんだよ

なぜなら、ここにいるから
そして声を届けたい先に
誰かいるから
いることを信じるから

見返りでなく
金でなく
ましてや評価などではなく
恐れず

己の居場所を叫ぶんだよ。



それを止めることは誰にもできないんだよ
それはそいつの意思なんだから
周りがよく聞くべきなんだよ




いくつも、いくつもの
「芸術」を研究しながら、読みながら
私は理論にただ逃げていただけで
でもそれはきっと臆病な故の、本質からの逃避であったと思います。




to be

私は私のto beの選択
その理由を見つけ、いや、教えてもらったのではないかと思います。
全ては儚く、いずれは失われ、無の方が正しく思える時はありますが

1つのbeは
その先にもう1つのbeを持っているのでしょう
愛と、呼ぶ声である限り。


そしてこっそり、pixivの方にマークをくださった方
ありがとうございました。
今は何も描けなくてすいません


今すぐ「頑張ります」とはとても言えませんが
存在する限り、私は何をも諦めないと思います。



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絶望しないでおこう

2017年10月02日 | 雑記
本音をそのまま何かを言えば書けば暗くなりがち、
考えて書けば説教臭く
明るく振る舞えばムリが出るし、嘘くさい。

厳しい時代に厳しい経験が多いって
もしかしたらブログやら、サービスに値する何かを書くのは向いてないと言いますか、ダメなんでしょうね、こういうの。文学じゃないですし、誰かのニーズであるわけがない。

なるべく毎日を書いてみようと思いましたが、
今は落ち込んですみませんという感じです。


まあ、マシです。
普通にやらないといけない仕事して
注文しといたビッグコミックスピリッツを取りに行き

サンマルクカフェでホットサンド食べて

選挙の情報見てました。

何の心配もいらない自分に半ば
びっくりしながら、強くなったのか
強くなろうとしてるのか、

Twitter見ながら、ああ自分も
こんな風にガンガン元気に行きたいのにな、て思いながら
それに合わせて走れない自分に苦笑してました。


明日からはきっと
もっとずっと楽しい記事を書けるようにしよう。絶望だけはしないんだよ。

かまってちゃんはやめよう。
悲劇のヒロインが似合うほど若くないからねw


いい感じにウザくなく
生きていくってどうすればいいのかね。

多分、笑っていた方がいいよね。

楽しい方法、楽しむ方法を考えよう。
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フォトブック。データとアナログはどちらが残せるか

2017年10月02日 | がんばれデジタル侍
ペットロスはつらいけれど、いつまでも重い気持ちを引きずっているわけにもいかん。
辛くなったら「南無阿弥陀仏」ガチャで集めた仏像フィギュアが今役立つ…(偶像崇拝)

ミレニアムイヤーに生まれた猫の成長と、デジタルデータの進化。
いやいい時代になったもんだ、とは思いました。
グーグルで家族で個々に撮影した猫写真を共有
ついでにまだ、うちに高解像度デジカメがなかった時代の写真をスキャナで読みとり
MOの携帯ガラケー、低解像度の写真も集めてアルバム共有。

そのまま、データをネットからサーバにアップして
フォトブックを注文しました。
低解像度のは使ってくれない業者さんもあったんですが
小さめ画像にすることで、多少粗めでも
それはそれで、その時代と思うことにして。
いろいろ迷いましたが
安いのは「しまうま」、ちょっと高いのが富士フィルム
アップルはなぜか注文段階で失敗。

最終的に、ジャストシステムがやってる
「ココアル」を利用しました。
ただしGoogleフォト連携はしてないので、PC保存からアップしました。
公開設定や編集を共有できる問題もあるからね。


Googleフォトのは
家族だけの共有にしておきます。
子猫と一緒にうつってた息子が、まだ幼稚園児。
いやあ…こんなに可愛かったかとか思いました。(なんという親バカ)
なぜかバックにアンジェリーク「トロワ」のプレイ画面が一緒に入っており
リュミエール様が「つらい時もあるでしょうが」とおっしゃってます。

トロワ、そんなに前なんですね…
守護聖、聖地て時間の流れが違うからね。


フォトブックは
ハードカバー、ソフトカバー、リングなどいろいろ。
アルバムなんで、やはりそれなりにきちんとしたもんを1冊となると4〜5千円しますが
ちょっとした旅行写真を写真集で保存するっていいかも。


データとアナログ紙での保存、どちらが良いか
データというのは「残す」ためには条件がありまして
永遠に複製され続けなければならないの。
コピーを取って、コピーを作り続けることで残る。
自動複製ができない限り、複製させる意図もしくは何らか
「複製の使命」みたいなものでもないと、生存競争で残らないみたいにして消えますが
移植して移植して、残すことはできる。

アナログは複製しなくても、単一で残るけれど
それでも「保存」にどんなに気をつけなくてはいけないかは
美術館の学芸員の仕事を見れば一目だと思います。
物は壊れ風化する。

けれども、「残す」て
人類の遺産とかでなく
個人の記憶とともにあるようなものは、特にオーラを持った作品、てわけでもないので
アルバムのようなものが、自分が死ぬまで想い出としてそばにあるものであれば
今後のテクノロジーを信じてデータ化するのは上策だと思うのです。

けれど今のところ電気が無いならただのガラクタって部分もありますから
アナログ出力を「サブ」でやっておきたい。
あと、やっぱり出力された物てそれなりに「質感」あっていいかも。
その感覚が今時からこれからの人にどうなのかは存じませんが。


一つ一つ整理しながら
頑張って前にいきたいです。


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