これは因島から南の、主に瀬戸内海の島々で行なわれ、尾道などの本州ではやってないようです。
亡くなった人が迎えられなかった「お正月」を、12月最初の「巳(み)」と「午(うま)」の頃に、家族が集まって餅を搗(つ)いたり、お供えをします。
また、お墓には「門松」の代わりに若い松の枝や、小さな注連縄(しめなわ)も飾ります。
大きなカレンダーを飾っている人はには、「干支(えと)」が書いてあるので、チェックしてみて下さい。今日が「巳」で、明日5日は「午」。
亡くなった人への思いやりから始まったいう説の中に、皆が新年を祝う中、戦(いくさ)で家族を亡くした家だけが「お正月」を祝えないから・・・と、「村上水軍」の発想という話もあります。
全国的には、今年家族が亡くなった場合、来年のお正月は「喪中」となり、年賀状をはじめ「新年のご挨拶は・・・」というのはありますが、「巳午」の場合、まだ家の中に居ると言われる「四十九日」を過ぎなければ、来年の12月になります。
もしも解釈の間違いや、別の説があったら、今後も加筆しますね。
亡くなった人が迎えられなかった「お正月」を、12月最初の「巳(み)」と「午(うま)」の頃に、家族が集まって餅を搗(つ)いたり、お供えをします。
また、お墓には「門松」の代わりに若い松の枝や、小さな注連縄(しめなわ)も飾ります。
大きなカレンダーを飾っている人はには、「干支(えと)」が書いてあるので、チェックしてみて下さい。今日が「巳」で、明日5日は「午」。
亡くなった人への思いやりから始まったいう説の中に、皆が新年を祝う中、戦(いくさ)で家族を亡くした家だけが「お正月」を祝えないから・・・と、「村上水軍」の発想という話もあります。
全国的には、今年家族が亡くなった場合、来年のお正月は「喪中」となり、年賀状をはじめ「新年のご挨拶は・・・」というのはありますが、「巳午」の場合、まだ家の中に居ると言われる「四十九日」を過ぎなければ、来年の12月になります。
もしも解釈の間違いや、別の説があったら、今後も加筆しますね。
Y新聞のM田さんのところで、仕事させて頂きました。
懐かしくなって、つい、コメントしちゃいました。^^)b
懐かしいネタが今後出るかは判りませんが、また遊びにきて下さ~い。
今年は11日(巳)、12日(午)です。
街中には「巳午餅」のポスターがみられるになりました。
昔の 神仏習合の名残りでしょうか?