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飛鳥の地

2006年04月15日 | 歴史街道
甘樫丘の蘇我邸宅跡は、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)のある東を向き、邸宅を要塞化して天皇家へ圧力をかけたと伝える。しかし、邸宅が岡の西側にも広がっていたら、むしろ飛鳥宮を外敵から守るための砦とみることができる。

飛鳥は蘇我氏が開拓して整備し、そこに天皇家を迎えた。天皇を抱え込むことによって百年の京を築こうとした。

『日本書紀』には、蘇我蝦夷えみし入鹿いるかは「上の宮門みかど」「はざまの宮門」と名づけ、こどもたちを「王子みこ」と呼んだ。「みかど」は朝廷を、「みこ」は皇子を意味する。
そして、家を城のように柵で囲み、武器庫をつくり、火災を防ぐため水の満ちた船を備えたと批評する。


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