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戻橋

2005年08月23日 | 歴史街道
平安中期に死んだ漢学者・三善清行の葬列が一条戻橋を通ったとき、急を聞いて帰った熊野修行中の息子・浄蔵が棺桶にすがって祈ると父清行が一時生き返ったので戻橋というようになった。「撰集抄」

三善清行(みよしきよゆき)  847~918(承和14~延喜18)
901年(昌泰4)の年が辛酉革命の期運に当たることを警告して,右大臣菅原道真の追放に一役買う結果となり,また年号が“延喜”と改元される原動力になった。その前後に文章博士・大学頭・式部輔の三儒職を兼任した。

三善浄蔵(891- 964)
三善清行の八男で、彼自身は陰陽師ではなく、密教僧である。大峯や熊野で修行をして、祈祷や易筮に優れていた。村上天皇の皇后・藤原安子が重病をして一度息が止まったのを蘇生させる。天徳4年の内裏の火災を預言した。平安前期の陰陽道の世界を締め括る人物。


「あの世」と「この世」をつなぐとされた、一条戻橋
京都・一条通りを横切って流れる、堀川の上にかかるこの橋。伝説では、安倍晴明(921-1005)の父の保名が蘆屋道満(あしやどうまん)に殺害された場所であり、晴明が呪法を駆使して保名を蘇生させた場所でもあるらしい。晴明は二人の式神(しきがみ)を、この橋の下に隠していた。
一条戻橋の欄干は、道路を隔ててすぐのところに位置する晴明神社(晴明住居跡に建立)に保存されている。旧一条戻橋
なお、晴明は寛弘2(1005)年9月26日に亡くなくなったので、今年が没後千年を迎える。

他にも、この橋にまつわる「」が興味ふかい。


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2 コメント

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深いですね (古典めざましタイ)
2005-08-25 10:21:59
初めまして。

TBありがとうございました。

こちらからもTBさせて頂きたいと思っています。

「戻り橋」。深いですね~。とても勉強になりました。

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アヴァンギャルド精神世界さん へ (iina)
2006-10-05 13:38:41
ひさかたぶりです。

>利休もやや慢心があったかもしれません。

前にこんな話を読みました。

荒れていた大徳寺を、一休さんが堺の商人に頼んで援助を受けたのが、寺と堺商人との結びつきだったようです。

堺商人である利休の時代に、その恩に報いようと木像を山門に安置。利休に反感をもつ秀吉の家来にちくられたのが実体らしいです。利休にすれば、有難た迷惑な話です。

そして利休も秀吉との確執から謝れば許される罪を男の一分を貫き死に赴いたとされます。

一条戻橋を検索して、ふたたび此方に誘導されました。
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