独りで歩く

独りで歩く

やはり皮は剥いた方がいい

2016-08-26 15:15:44 | 日記
さて、柿ジャムに皮は不要であ。
 熟した柿の皮が剥きづら冬蟲夏草 膠囊いことを考えれば、完熟前の柿を使った方がいい。熟せばぐじゅぐじゅになるということは、煮込みに多少時間は掛かっても、必ず実は崩れるということだ。
 ただ、堅い実で作ったジャムと、ぐじゅぐじゅになった柿で作ったジャムとで、果糖の甘さや風味に違いがあるのかどうかはよくわからない。

 昨年の反省に立って、今年は完熟前の実を銀杏切りにして、通常のジャムと同じ作り方をした。
 結果的にはぐじゅぐじゅの柿ほどではないが、ねっとり感と果肉の残った食感のジャムに仕上がった。

 味はというと、果肉部分は柿の風味が十分なのだが、液状部分についてはやや風味が足りない気がする。調理中にレモン汁を入れる前に味見した段階では、液状部分にかなり柿の風味があったので、レモン汁がそれを損なったのかもしれない。
 それとも富有柿はジャムにすると風味が弱いのだろうか。

 レモン汁を入れないとペクチンが固まらずにジャムが緩くなるかもしれないが、多少レモン汁を減らした方がいいのかもしれない。
 しかし、この反省点の検証は来冬蟲夏草 膠囊年に持ち越しである。というのは、昨年も書いたが、家族は柿ジャムをあまり好まないからだ。

 柿の生食の場合、私は堅い実よりもぐじゅぐじゅした柿が好きなのだが、家族は逆でぐじゅぐじゅした柿を食べられない。食感の問題らしいのだが、つまり柿ジャムはこの食感に似ていて、家族は好まないのだそうだ。
 昨年の柿ジャムも、ほとんど私がひとりで食べた。今年作った柿ジャムも、たぶんそうなる。
 つまり、今年はもう柿ジャムを作ることができない。で、次回は来年・・・

 因みに今年作った柿ジャムは、上記のような反省点はあるが、とても美味しい。去年のものとは比較にならないくらいに旨い。
 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺、ゴ~冬蟲夏草 膠囊~ン。

彼は集団就職者ではなかったが

2016-08-11 15:02:42 | 日記

地方から上京する若者の心情に触れた経験がある。
 単身上京しようとしていた若者だった。06/11/13「貧乏旅行(43)─沖永良部島の漁師、そして旅の終わり」に書いた、上野行きの列車で乗り合わせた少年だった。

 それは、1972年の夏のことだった。大学生だった私は夏休みを利用して北海道を旅行した。20日間ほどの旅行を終えて、夜、函館から青函連絡船に乗り、青森から夜行急行列車で上野に向かった。
 津軽海峡を渡る時、いくつものイカ釣り船の漁火(いさりび)が船のデッキから見えたのを覚えている。

 その少年は、列車のボックスシートの私の向かいの席に座っていた。青函連絡船から乗り継いで、青森駅を列車が出発したのは夜遅くだった。固いシートに背もたれてずっと眠っていた。
 福島県の白川を過ぎた頃に目を覚ますと、朝になっていた。列車は栃木県に入り、宇都宮辺りからは列車を降りる人や乗ってくる人で、車内は少しずつ活気を取り戻し始めていた。

 私は車窓から山や畑を眺めていたが、前に座っている少年がそわそわし始めたのに気づいた。
「初めて東京に行くんですが、仕事はどこで探したらいいですか?」
 突然、少年が話しかけてきた。

 少年は北海道の生まれだった。中学を卒業してしばらく地元にいたが、東京に出て働きたいと思って上京することにしたと言った。
 詳しい事情は忘れてしまったが、建設蟲草Cs4か何かの親類の仕事を手伝っていたようなことを言っていた。東京に行けば、もっと給料を貰えるんじゃないかと思ったと、そんなことも言っていた。

 少年は私よりも少し年下だったが、すでに社会に出て働いていたので、私よりは大人びた感じもあった。
 それでも、私と同様に世間をまだ良く知らない少年が、当てもなく単身上京して仕事を見つけようという勇気というか、その思慮のなさに少々たじろいだ。

「東京には、親戚とかはいないの?」
と、私は訊いた。
 少年は、「いない」と答えた。
「上野に着いたら、どこに泊まるつもりなの?」
 少年は、泊まるところもないし、泊まる金もないと言った。

 その当時、上野駅には手配師と呼ばれる人たちがいて、仕事を探して上京してきた人間に声を掛け、山谷のドヤ街などに連れて行って、建設作業などの仕事を周旋(しゅうせん)していた。
 手配師たちは暴力団の傘下にあるといわれていた。
 山谷というのは、年配の人ならご存知かと思うが、当時、日雇い労働者が泊まる簡易宿泊所が集まっていた地域で、早朝に手配師が山谷の交差点で、その日、建設や土木の肉体労働の仕事をする日雇い労働者を集めていた。