ブログ版 帰雲城と内ヶ島氏の謎

「帰雲城と内ヶ島氏の謎」がブログになって登場しました

天正大地震

2006年09月27日 | 帰雲城


天正大地震は、1585年11月29日、起こりました。

文献によっては27日とか28日もありますが、一応29日で統一しています。
11/29日と言っても、旧暦なので、今の暦に直すと、1586年1月18日です。
現在、暦の上では「大寒」が1月20日ですから、白川郷は恐ろしく寒く
相当な積雪も予想されます。

まさにそんな時に巨大地震は起こったと言われています。

この地震で、壊れたのは帰雲城だけじゃありません。
越中では、木船城が全壊、近江でも長浜城が全壊、、、、など
相当数のお城が全壊または半壊、と壊れているという報告があります。

前田利家も今話題の山内一豊も親族を失っています。
しかし、この地震一発で大名が滅亡したのは、「内ヶ島氏」のみです。
他には、地震を含む自然災害で滅んだ大名は、いません。

ただ、帰雲山の崩落跡ですが、この地震で現在のようにえぐれたのか
どうか、、、それはまだハッキリしません。
天正大地震で崩れたことはほぼ間違いないと思いますが、未だに
草木が生えていない所を見ると、その後も度々、崩れていると思われます。

1585年以降も1858年には「安政大地震」が起こっており、この時も
相当崩れたいう史料もあり、この時も帰雲山は崩落したでしょう。

最近、テレビで集中豪雨の影響で土砂崩れや鉄砲水の映像を見ると、
帰雲城もあんな風に襲われたのかな?
と考えさせられます。

何とも言えない、運命のいたずらなんでしょうが、どちらにしても
この時期に内ヶ島氏は歴史から消え去る運命にあったのかもしれません。
織田信長が、本能寺で歴史から消え去ったように・・・・・。

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