ポストモダンはイデオロギー主導の時代を壊した。分裂し、多様化した感性主導の価値観は、ネオバロックが再統合する。そこではアニミズムの原始状況のように、力(パワー)、エネルギーが統合の芯となる。安倍政権をそのようにして成立している。もちろん近代的知性の上にではあるが、動物的な力が表舞台を牛耳る。野党をたたき、与党の力を伸ばすというスポーツ試合の様相が政治の世界を彩る。20世紀近代という周期の末期という現象である。そのプロセスの最終段階にトランプがいる。驚くことはない。プーチン、エルドアン、安倍晋三はトランプとウマが合うのであり、トランプによって乗り越えられたのだ。トランプがその流れで優れているのは、なお残っていた20世紀的理性という覆いを脱出し、飛び出したことである。
それが周期のある一段階であるということは、さらに次の段階によって凌駕されるということである。理性をフェイクだと言い切ったトランプは近代世界をバカにして超越したのだが、その特権は古代神話の神に代わる古代の王にしか許されない類のものである。この世界が古代世界に似てきていることがそれを許しているのだが、このような状況は擬似的な現象であり、人々はそのうちにメディア上に展開される夢から醒める。全くの終末がそこに起こる。周期の論理が教えることは、カタストロフを経て新しい世界への大胆な飛び越えが起こるということである。
与党の肥大化、野党の極少化という状況は、現在の与党・野党構造がまるごと無効化する形で終息するだろう。そこで神話化した20世紀的理性の解体が成就するのだが、その後はどのような状況になるのか。近代である以上、啓蒙の弁証法は続いている。21世紀的理性を研ぎ澄まし、純粋化して提示する作業が待っている。啓蒙とは見えていないものに言葉を与えて見えるものにすること。21世紀の主題とはなんなのかを整理し直す必要があるのだが、そう難しいことではないだろう。様々の主題はもう見えてきており、臆病に出てきているおぼろげな主題を、当たり前のものとすればよい。昨日今日に目に見えてきた気候変動理論の現実化などはそのうちのひとつだ。
周期的現象として突き放すのは、一種の神の手による予定説ではあるが、それを神に帰してしまうのは近代人のすることではない。脳科学者に期待するのは、人間の脳が生理的にそのような周期を司っていることを明示してくれることである。未だ科学にならない部分を科学にするのが啓蒙というものである。脳の現象を科学で解明することが21世紀の主要な課題である。