映画「祝の島」ブログ

映画「祝の島」(ほうりのしま)のスタッフによるブログ。
製作過程の日記や最新情報をお知らせします。

今週末より大阪第七藝術劇場にて上映

2010-07-29 18:52:12 | 日記
あっつい!かと思ったら
梅雨に逆戻りしたかのような今日の東京のお天気。
読めませんね。。。

『祝の島』、東京、広島に続き、
今週末7月31日(土)からは
大阪の第七藝術劇場にてロードショーが始まります。
7月31日(土)、8月1日(日)には
各回監督の纐纈あやによるトークショーも予定されています。
お近くの方はこの機会に是非ご覧下さい。
お知り合いの方にもご案内いただけたら嬉しく思います。
みなさまのご来場こころよりお待ちしております!

■大阪 第七藝術劇場 http://www.nanagei.com/
 ※7月31日(土)、8月1日(日) 各回監督纐纈あやによる舞台挨拶あり!
 7/31(土)~8/6(金) 12:15/14:35
 8/7(土)~8/13(金) 10:30/16:40
 ※13日以降も引き続き上映予定です。時間は劇場までお問い合わせ下さい
 ※8/29(日)は休映となります。


7月2日 トークイベント報告

2010-07-11 13:23:43 | 日記
7月2日(金)12:30の回上映後 
ピーター・バラカンさん(ブロードキャスター)をお迎えし、
纐纈あや監督との対談がありました。

***

<纐纈>
バラカンさん、映画を観ていただいたときに「上関原発のことを全然知りませんでした」と
おっしゃっていましたよね。

<バラカンさん>
あんな昔からこんな事態が続いているのに、
毎日ニュースを見ていても知らなかった、
ということに自分でも驚いています。

<纐纈>
バラカンさんがご存じなかったということは、
かなりの人が知らないのだろうと思います。

<バラカンさん>
全国ニュースで取り上げられるということは?

<纐纈>
ほとんどないですね。地元の放送ではニュースとして頻繁に流れているんですが。
7年前に「アレクセイと泉」を上映する為に初めて祝島に行って、
当時で既に22年間原発反対をしている
という状態だったこともあって、
私の中ではものすごく暗くて閉ざされた戦いの島みたいな
イメージがあって、緊張して島に降り立ったのですが、
実際は、全然そうではなかった。

<バラカンさん>
全然暗くないし、のんびりした、穏やかで綺麗な島、そんな感じ。
映画の印象は、島が主人公という印象があります。
「祝の島」というタイトルもあるだけにね。
のんびりしていて、絵に描いたような漁師たちの生活をしていて。
原発反対とは関係のない生活だけど、
ある時は、仕方がないから立ち上がってやるべきことをやる。
本当に頭が下がっちゃう、そういう思いでした。

<纐纈>
私は7年前にはじめて島におとずれた時には、映画で見て頂いたような、
個性豊かな明るくってハツラツとした人達が
次から次へと現れて、そこに魅了されて。
それから少し時間が空いて、
祝島の人達はどうしているかなぁと思っていたら、
ある時、祝島の人達が抗議行動をしている写真集を手にしました。
それは私の知っている祝島の人達とはもの凄くギャップがあって。
地元の報道で流れている島の人達の姿も、
ほんの2、3分の間に、叫んで小競り合いになっているシーンだけが流れて・・・。
自分で知ることができることってすごく限定されているなって思ったんです。
なんでここまでして反対しているかっていうことは語られていなくて。
島の人達は反対するために反対しているわけではなくて、
大切なものがあるから反対しているんです。
私は”強く惹かれたあの人達が大切にしていることこそ見たい”
というか、私にとってももの凄く大切なものなんじゃないかなっていう
気がしたんですよね。

<バラカンさん>
やっぱり田舎の人達は、自然に近い暮らしをまだしているだけに、
汚染されない環境の大切さを
僕ら都会に住む人間の10倍も感じていると思う。
僕らは汚染された空気を仕方のないものとして、
当たり前にしてしまっているけれど、
本当に当たり前で生きて行くために何が必要かといえば、
綺麗な空気・綺麗な水・汚染されていない食べ物、大体そんなもんで、後は
頭の上に屋根があれば有り難いかなっていう感じで。

<纐纈>
本当にそうですよね。彼らに話しを聞くと、
お金はもちろん大事だけど、それが一番大切なことではない。
都会の人達はお金がなくては生きていけないけど、
島では補償金なんてあぶく銭ですぐ消えてしまうと、
自分たちには海と山があれば生きていける、と。

<バラカンさん>
アジアのバックパッカー旅行をした人の本を読んだ時に
「田舎の人は食べるものには困らない。
どんなにお金のない人でも食べてはいける。」
と言っていて、そのことを今、本当に感じました。
僕は都会しか知らないから、食べるものには困らないっている感覚はない。
食べ物はお金で買いに行くっていうもので。

<纐纈>
「お金は必要最低限あればいい。
必要以上の贅沢を望まなければ充分今の暮らしでやっていける。」
と、島の人達は言うんですね。
それを一人一人おっしゃっていたのが凄く印象的でした。

それから、色々人に物を伝えることをしていらしたバラカンさんとは
そういう話しを色々とお聞きしたいのですが。

世の中、殺人だ強盗だと、暗いニュースばかりで、
すごく重い気持ちになるのですが、
だったら、”良いことニュース”みたいなものが
あってもいいんじゃないかと
思うんですが(笑)

<バラカンさん>
本当、そういうものがあっていいと思いますね!
ついつい悪いニュースばかり見ていると、
世の中そういうものだと思ってしまうところがあると思うんです。
そういったものから得られる情報はすごく少ないと思うから、
やっぱり、テレビのニュースで抗議行動のところしか報道されなければ
「ああそうなんだ」「またやってるよ」といったことになってしまいますよね。
全体像を知って貰おうと思ったら、こういうドキュメンタリーは大事ですね。

<纐纈>
結局は、何を伝えたいかということにたどり着くんですが・・・。

私は、全体の中の一部分の要素よりも、私が一番チャレンジしたかったのは、
色んな人が繋がっている、共同体とか、全体感を出したかったんです。

<バラカンさん>
コミュニティーの感じがすごく出ていますよね。
小さな島だからこそ出せるんでしょうね。
東京じゃ今コミュ二ティなんてまずないよね。
昨日テレビでプロボノ活動をやっている人が増えたというのを
見た時に女房と話したんですが、
どうしてこんなことをするんだろうと思ったんです。
そしたら彼女はね、
「今もうこれだけインターネットの時代になって、
 現実にコミュニティーがないから、
 人との関わりを潜在的に欲しているんじゃないか」
って、そういうこともあるかもしれないなって思ったんです。

<纐纈>
島の中に入り込んで、同じようなサイクルで生活させていただいていると、
毎日、島の人が海で獲ったお魚や山で穫れたものを下さって。
そういう、海と山とのつながり、人と人とのつながり、子や孫の代までっていう時間の繋がりを感じて。
人との繋がりがこんなにも人に幸福感を持たせるものなんだなぁ
と思ったんですね。
私、東京生まれの東京育ちということもあって、新鮮だったこともありますが・・・。

島の人達の心の中には、
亡くなった人の存在とか想いが心にずっと残っていて、
さらに、自分達の次の世代にのことを考えて、何を残したいのかを考えている。
それで、アメリカのネイティブの方が、
”七代先を考えて今を生きている”っていう哲学を思い出しました。
自然と共に生きている方の考えは、
今、目の前にあることだけでなくて、
目に見えない大きな繋がりみたいなものを体で感じてらっしゃるんだ、
と思いました。

<バラカンさん>
世界中の、特に島にいる人達はそういうのを感じるのかもしれませんね。


***

下記は、バラカンさんの公式ホームページアドレスです。
どうぞ、合わせてご覧下さい。


http://peterbarakan.cocolog-nifty.com/

7月1日 トークイベント報告

2010-07-11 13:23:31 | 日記
7月1日、12時30分からの上映後、
ミュージシャンの小室等さんをお迎えして
監督纐纈あやとのトークイベントが行われました。

その様子を報告致します。

***

まず、小室さんから
「観る前は、
 正直1時間45分は長いんじゃないかと思っていた。
 でも全然長く感じなかった。
 自分の人生もここまであっと言う間だったんだから、
 祝島の1年なんて、すぐですよね(笑)」
という言葉をいただきました。

それから、映画の話になり、
「都会では、どんどん次の電車がくるのに
 目の前に電車があるのをみると、急いで飛び乗ったりする。
 でも、祝島では
 通りすがりにペンキ塗りを手伝って行く人がいるわけですよ。」
と小室さん。

纐纈は
「あれが日常茶飯事。
 島では、約束したからとかだけではなくて、
 その場で必要なことをしていく。
 東京人の仕事の仕方とは違うな、と思う。」
と話していました。


次に小室さんは
「“いずれみんな仲良くなる”
 という言葉があったが、
 そのため息ともつぶやきとも言えない様子と、
 “必ず”と思えていないような様子から
 複雑な心中を察した。」
とおっしゃっていました。

纐纈は
「今でも、推進派/反対派の溝はある。
 島で上映会をしたときに
 正本夫妻の
 “外からきたものによって絆が壊された悔しさはみんな一緒”
 という意味の言葉は島の人にとっても大きかったように思う。
 観てくださっている方それぞれの心の深いところにしみ込んでいくというか。」
と話していました。


その後、小室さんから
どうして祝島の映画を作ろうと思ったのかという質問があり、

纐纈は
『アレクセイと泉』の上映会で祝島に初めて行ったこと、
その後、祝島の抗議行動を撮った写真集を観たことを話した上で、

「自分がみた祝島の人の姿と違っていた。
 そこでは、
 なんで反対しているのか、
 どういう日々の営みがあるのか
 ということは語られていない。
 だから、知られていないし、自分も知らない。
 自分の目で見てみたいという思いがあった。」
と話しました。


また、小室さんは
「原発は金で作れるかもしれない。
 でも生態系を作ろうとしても、お金では作れるものではない。
 というのは、
 人間も含めて、
 全てのものはお互い寄生しあって生きているわけです。
 そうして時間をかけてできている。
 原発と引き換えに生態系を壊していいものか。
 いいわけないと思う。」
とおっしゃいます。

纐纈も
「人間だって自然の一部で、生命体の一つ。
 映画にも出てくる
 平さんの棚田をみていると
 人間は自然の一部でしかなくて、ちっぽけだ
 ということと、
 あれだけのものを作り上げられる人間の力の強さの
 両方を感じる。」

と話し、続けて

「平さんは、
 あの棚田がやがて原野に還る
 ということを受け入れている。
 何十年もかけて
 血のにじむような努力をして作った棚田ですよ。
 自分はそれを聞くと、
 そういうものなのか…と、
 なんとも言えない切ない気持ちになる。
 撮影しながら、棚田が原野に戻るということを
 段々と受け入れていく自分がいた」

と話していました。


小室さんは、
「子孫のために棚田を作ったり、
 何かを守ったり。
 そういうことはある意味では
 自分勝手でエゴだとも言える。
 けれども、そのメカニズムの中には
 自然とどう共存するかという
 メッセージも含まれている。
 受け継いでいくやり方のなかに
 周りとどう折り合いをつけるか
 バランスを保つか、
 というのが含まれている。」
とおっしゃっていました。


最後に小室さんは、
「祝島の人達が、
 単なる漁師ではなくて
 “運動”する人間になって
 どんどん専門的な言葉を話し出して
 今の暮らしを失うのでは
 ということが心配だ」
とおっしゃると

纐纈は
「島のひとたちは“運動家”にはならないと思う。
 抗議行動でも、
 日常生活の延長線上にあることを感じた。
 それが島の抗議行動の特徴でもあると思う。
 口はうまくないけれど
 原発という問題と向き合って
 自分がどうしたいか
 ということに関して
 明確な意見を持っている。
 それで、私は映画の中に島の人たちの言葉を入れようと思った。」
と話していました。


 

6月30日 夜のトークイベント報告

2010-07-05 14:51:21 | 日記
6月30日、18時の回上映終了後に、
映画監督の諏訪敦彦さんをお迎えし
監督纐纈あやとのトークショーを行いました。

その様子を報告致します。

***
諏訪さんから
「ドキュメンタリー映画に関心がある。
 自分は一応フィクションというものをやっているけれども…。
 でもそもそもドキュメンタリー/フィクションと
 区別するものではないと思う。」
というお話がありました。

そして諏訪さんは
「ドキュメンタリーの中には
 映画を通して社会に働きかけるというものがある。
 自分は、そういうことはやってこなかったけれども、
 そういう別々の手法をとる者が話すということは大事なのかな
 と思う。」
とおっしゃっていました。

さらに続けて、
「映画を撮るということは“こういうことのために撮る”とか
 “撮る意味”とかそういうことではないと思う。」
と話した上で、

「実は最近、辺野古に行ったんですが、
 やっぱり、賛成/反対という人々の間で
 微妙な空気が流れている。
 でも、賛成、反対という線を引いてしまうと、
 クリエイティブなことはできないんじゃないかと思った。」
と話しておられました。


これを受けて纐纈は、
「原発ということに関しても、
 一番暴力的なことは、二者択一の議論になってしまうこと。
 ひとつの共同体として生きてきた人たちが、賛成か反対かのどちらかしか選択できなくなる。
 様々な個性がある人間同士の営みの中で
 外からの力で白黒どちらかしか選ぶことができない状態に陥るということは、とても苦しいこと。」
と話し、

さらに
「“原発反対をいかに表現するか”よりも
 “賛否でくくらず、そこに暮らす人達をどう見ていくか”
 ということを重視していた。
 自分の中に“社会に何かを伝えたい”とか
 “原発がいかなるものか伝えたい”というのが最初にあったわけではなかった。
 ただ、一般的に報道されるときの祝島の人達の姿が
 自分が見た姿と違う!という気持ちが強く、
 それを自分の目で見たいと思って撮った。
 目的はあとから色々とくっついてきたと思う。」
と話しました。

そして纐纈は
「映画を広げていくことが第一目的ではない。
 たくさんの人にみてほしいとはもちろん思うが、
 まずは観た人が映画との間に関係性を結ぶことだと思う。
 映画を観てもらう時間が大事だと思っている。
 それから、ある物事を見ようとする時、人はいかにそのことを簡単に見ようするか、
 自分の都合のいいように、自分が楽なように理解しようとしているか、
 それをいつも感じていた。
 瞬間瞬間にも様々な要素が含まれていて、
 それを簡素化してひとつを抽出することよりも、
 そのままをなんとか表現できないかとずっと考えていた。
 そうして色々と葛藤しながら編集していって、でも結局最後に思ったことは、
 “自分はこういうことがみたかったんだ”
 ということだった。」
と話しました。


諏訪さんは
「映画を観て、良いとか悪いとかいうのは簡単。
 でも、それで終わらせてはいけないと思う。
 この映画は“よかった”“悪かった”というものではなくて
 説明なしで“観てください”という映画だなと思う。」
とおっしゃっていました。


このあと纐纈は
“ことばと映像の関係”について話します。

「はじめ祝島に降りたったとき、
 言葉では表わせない不思議な感覚があった。
 自分を包み込む空気感というか。
 その感覚を映像で表現できないかと考えた。
 でも、映画にしたい!となったとき、
 自分がなぜ撮りたいのかを
 スタッフや応援する会の人などに
 言葉で説明しなきゃいけない。
 言葉では表わせないから映像で撮れないかと思ったのに(笑)
 映像をもっと言葉から解放できないものかと思うんですが。」

これを受け、諏訪さんは
「自分はヨーロッパで映画を撮っているけれども、
 文化的な意味でも、さんざん説明しなければいけない。
 なんで撮りたいかとか、どう撮りたいかとか。
 答える義務なんて、本来ないんですよ。 
 でも、言葉にすると、こういうものが撮りたいのかっていう
 発見みたいなものもある。そういう力はある。
 とはいっても、
 いくら言葉で言っても、
 残った映像というのはそれを越える。
 どれだけしゃべっても、映像で語る程は言い尽くせないと思う。」
とおっしゃっていました。


そして最後に諏訪さんは
「祝島を“原発反対の島”ということは単純だし、
 それはあくまでメディアから得た限定的な情報にすぎない。
 でも生きているということはそういうことじゃないと思う。」
と話しておられました。
 

6月30日 昼のトークイベント報告

2010-07-05 12:34:57 | 日記
6月30日、12時30分の回の上映終了後、
東京国際映画祭プログラミング・ディレクターである
石坂健治さんをお招きして、
監督纐纈あやとのトークイベントを行いました。

その様子を報告致します。

***
冒頭、石坂さんから
「映画のゆったりとしたテンポがすごくいいと思う。
 これはどうやって会得したの?」
という質問が。

纐纈は、
「実は、編集しているときにはじめて時間の流れを意識した。
 撮影時は、自分が島の暮らしの中に入っていって、
 そのリズムの中にいる、というのを意識していた。
 編集するときになって、映画というのは、映像の中に
 時間の流れを作り出すことだと意識した。
 前半、島の暮らしの場面が続くが、
 日常というものにはしばしば退屈さがある。
 だから映画を観ている人がちょっとうとうとしていたりすると、
 "よしよし"と思う(笑)」
と話します。

石坂さんも
「同感(笑)
 でも、ゆったりのんびりしているところを撮ると
 映画もそうなるかというと、それはまた別の話。
 島の暮らしのゆったりしていて、退屈なのが出ている。」
とおっしゃっていました。

纐纈は、
その"島の暮らしのリズム"を映し撮るためにとった手段について、
「島の暮らしのリズムをとるには、
 まずは単純に自分が島に長くいなければ、と思った。
 それで、旅館ではなくて空家を借りて自分たちも同じ生活のリズムを感じながら撮影をした。
 形だけでも味わいたいと。」
と話しました。

同時に、
「映像をとるのが初めてで、
 どうやってその場所に入っていったらいいのか、
 どういう立場で撮ったらいいのか、
 自分の中で色々と葛藤があった。
 そんなとき、クラクインの際同行してくださった
 映画カメラマンの一之瀬正史さんから
 "あなたはジャーナリストじゃないんだから、
 自分がいいと思うものを自由に撮ればいい"
 とおっしゃってくださった。
 その後、手探りで撮影を行ったが
 一之瀬さんの言葉をいつも思い出していました。」

続けて、
「始めは、旅人として祝島を撮るというのは違うと思って、
 だから島で暮らしながら撮影を進めたというのがあった。
 でも、問題なのは
 旅人かどうかというのではなくて、
 島の人間か、外の人間かということ。
 その自覚がなくて、当初は島の人になりたいなりたいと思って撮影していた。
 でもある時、当たり前だけれども、
 島の人になることはできないし、
 透明人間のように撮影することもできないと自覚した。
 それに気づいてから、撮影の仕方も変わっていった。」
と話しました。


次に、石坂さんは好きなシーンとして大晦日の場面をあげ、
「ところで、あの場所にスタッフもいるの?」
と質問。

纐纈がスタッフも3人、あの場所にいると答えると、
石坂さんは、
「あのシーンは印象的。
 あの場所にスタッフもいるとすると、
 関係性が出ているシーンだと思う。
 すごく普通じゃない。一人、二人と寝ていって。
 どこにでもありそうな感じだけど、ずっと見てたいと思うようなシーン。
 でも、すごく普通にみえるけど、
 カメラがあって、スタッフもいて、
 実は自然じゃないし、日常でもない。
 あそこまでよく捉えたなと思う。」
とおっしゃいます。

纐纈は
「実は、あの場所は、私たちにとっても居心地のいい場所で。
 撮影がないときでも、
 夜になると行って、お茶を飲みながらごろごろしていた。
 撮影するときに、カメラやマイクや照明があるのは普通じゃないけれど、
 スタッフがいるのは普通なので、
 そういうところも影響しているかもしれない。」
と話しました。

さらに、石坂さんからは
「それで、あの居心地がいい場面が終わったと思うと、
 次にデモのシーンが出てくる。
 急に現実に引き戻されるというか。
 効果的だなと思う。」
というコメントもありました。

これを受けて纐纈は、
「ギャップがあるように見えるけれど、
 島では日常の一連の流れの中に抗議運動もある。
 当初は、抗議行動を撮るか撮らないかということも考えた。
 でも、一緒に島で暮らしていると、
 抗議行動は毎日の流れの中にあるということが分かってきた。
 そのあと、編集するときも、
 どれくらいの割合で入れようかとか考えていたが、
 編集を進めるうちに、割合とかの問題ではない、
 日常生活と抗議行動を決して切り離すことはできないということに気がいた。
 それが、自分が一番分かっていなかったことだったな、と。
 編集していて気づいた。」
と話していました。


ここで、石坂さんから
「あの島に行こうと思ったのは
 小川紳介さんの映画『満山紅柿』を観たのがきっかけと聞いたのですが?」
と。

纐纈は
「そうなんです。
 プロデューサーの本橋成一が作った『アレクセイと泉』が
 ベルリン映画祭に招待された。
 そこであったドイツ人の通訳の人が
 "自分は『満山紅柿』を観て日本のドキュメンタリーの美しさに感動した"
 と言っていたのが印象深くてずっと観たいと思っていた作品。
 それで自分も観てみたら、美しさもだけれど、
 映画の中で人々との関係性が見えてくる。
 そして絶妙なタイミングでいろんなことが起こるということに
 感動した。
 それで、映像は人との関係性があらわれるものなんだと意識した。
 "人と関わることが表現に繋がるんだ"と思って、
 何かできるかもと思って、祝島の映画を撮ろうと思った。」
と、映画を撮るにあたった経緯を話しました。

そして、
この映画「祝の島」のスタッフが
実は、日本のドキュメンタリー映画を支えてきた
土本典昭さん、前述した小川紳介さんの映画に
携わっていた人たちであること
(編集の四宮鉄男さんは土本さんに師事、
音響設計の菊池信之さんは小川プロ出身)について、
石坂さんは
「彼らの経験や哲学が、継承されていくこと、
 彼らが残していった課題みたいなものも、受け継がれていくことは
 すばらしいことだ。」
とおっしゃっていました。

加えて纐纈は
「もうひとつ私の中で大きな影響を受けているのは
 学生の頃に通っていた自由学園の教育。
 私の中には、自然との結びつきの中で生きる人に憧れる気持ちが強い。
 自分で食べるものを自分でつくることのできる人への尊敬というか。
 それは、自由学園の教育が影響していると思う。
 学校では、農業をしたり、給食を自分達で作ったり、服を作ったり。
 勉強をしにいくというより、労働をしに学校に通っているみたいだった(笑)
 でも、そこで、人間の基本、生きる力みたいなものを
 思春期のころに徹底的に教えられた。この時間がなかったら、
 こういう映画を作っていなかったと思う。」
と話しました。

石坂さんも
「確かに、映画の中で
 農作物とか魚とか、よく撮ってますね。」
とおっしゃっていました。

最後に、
同じ祝島を取り上げている
鎌仲ひとみさんの「ミツバチの羽音と地球の回転」についても触れ、
石坂さんは
「同じ祝島を撮っているけれど、
 全くアプローチの仕方が違う。
 両方みてみると祝島について多角的に見えると思うし、
 それぞれ深めていく点がみえてくると思う。」
話しておられました。