気の向くままに

タイトルどおり、気の向くままに
書きなぐっております…

何故「殺人」はいけないのか?

2004年09月29日 01時18分52秒 | 世の中の話題
 いつも僕のブログにコメントを下さるgiants-55さんのブログで、28日の内容に

「人を殺すのは何故いけないのか?」と子供に問われて、明確な答えを返せない大人は多い。

という文章が書かれていました。

 普段から、このあたりについて考えることがあり、giants-55さんのブログを読んで
また思いをめぐらせていたところに、今回コメントを頂いたバック転さんが
正にこの事をテーマとしたブログを書かれていました。
 ということで、僕もお2人に触発されて、このテーマを取り上げたいと思います。

 まず、「やってはいけないと思うこと」というのを考えると、
①自分がされるとイヤな事  
②他の人がイヤがる事(をする)
 という2つが挙げられると思います。子供の頃、よくお母さんに
「人がイヤがることをしちゃダメ!」とかいって、怒られませんでしたか?
 この2つは考えると当たり前ですよね。自分がされたらイヤだけど、他人にならオッケー、
というのは単なるワガママ、自己中心的な話ですし、他人がイヤがる事をわざわざする、
というのは、正に「イヤがらせ」な訳ですし。また、自分に置き換えた場合、
自分がイヤな事を他人にされたら、誰だって腹が立ったり、心が傷ついたりしますよね。

 ということで、僕はこの2つを自分自身の行動の良し悪しを判断する基準としています。
そして、「殺人」についてもこの基準が当てはまると思うのです。

 つまり、まず①で考えた場合「自分が殺されるのはイヤ」という人は多いと思います。
自分はまだしも、自分の妻や子供や、彼女や家族や友人が、殺されるのはイヤ、
という範囲にまで拡げれば、大多数の人がそうではないかと思います。
 で、自分や自分の周りの人が殺されたらイヤなのに、何故赤の他人は殺して
いいのでしょうか?

 「いや、僕は自分はもちろん、彼女や家族、自分の周りの全ての人を殺されてもいい。
だから俺も人を殺していい」という意見の人もいるかも知れません。そこで②の話です。

 もし、殺された相手が「自分は殺されるのはイヤ」と考えてる人だったとすれば、
「他の人がイヤがる事をした」ということになりますよね。で、自分に置き換えた時、
自分がイヤな事をされたら普通、腹が立つでしょう。となると、やっぱり人がイヤがる
事をするのはいけないことだ、という結論になると思いませんか?

 さらに、「いや、殺された相手も『僕は自分はもちろん、彼女や家族~俺も人を
殺していい』という意見だったよ」という話もあるかも知れません。
でも、ここで①と②の複合です。

 たとえ殺された本人はオッケーだったとしても、その周りにいる家族や彼女や友人が
「自分の周りの人を殺されるのはイヤ」と考えている人だったとすれば、やっぱりこれも
「他の人がイヤがる事をした」ということになります。だから、よくないという結論です。

 ですからもし「自分はもちろん、彼女や家族、自分の周りの全ての人を殺されてもいい。
だから俺も人を殺していい」という考えを持つAとBという2人がいて、そのAとBの
周りの全ての人が「自分はもちろん、彼女や家族、自分の周りの全ての人を
殺されてもいい。だから俺も人を殺していい」という考えを持っているなら、
AとBは殺し合ってもいいかな、と思います。
 でも、実際に人を殺す時、相手や相手の周りの人全てがどんな考えなのか、
いちいち確認するわけではないでしょうし、そんなことを立証するのは
ほぼ不可能でしょう。だから「殺人はいけない」と思いますっ!!

 …すいません。絵や図で表せばもう少しわかりやすいと思うのですが。
ややこしくなった方は、ご自身で図に表してみてください(無責任)。

 とりあえず、簡単に言えば「自分や他人がイヤがることはするな!」ということですね。
まぁ憲法的な視点で「権利」うんぬん、という形や、人により価値観は違う、
という観点の説明でもよかったのですが、普段から出来るだけ、
物事を論理的に考えるよりも「まず単純に」考えたい、
というのが僕の気持ちなので。

 TV等で「何故殺人はいけないのか?」という質問をしている人には、
こう問い返したいです。
「じゃあ、何故人を殺してもいいの?」

8 コメント

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ドーピングの是非 (giants-55)
2004-09-29 03:45:19
書き込み有難うございました。



「ドーピングの是非」に付いて書いて良かったと思っています。と言うのも、皆様から多くの御意見を戴き、どれもこれも考えさせられる内容で、非常に勉強になったからです。この手の問題は、倫理&哲学面や法律面、感情面等、様々な捉え方が出来るもので有り、何が正しく、何が間違いかを明確化出来ない自分が居ました。



法律面(組織内での取り決め)から言え、明確な違反で有り、他者に不快感を与える等感情的な部分でもドーピングは受け入れられない気持ちには変わりがないのですが、心の何処かに極限を極めたいという欲望も判ってしまう自分が居ます。唯、これを認めちゃうと、際限なくなっちゃうのも事実ですよね。



ここ迄書いて脳裏に浮かんだのが、手塚治虫氏の描いた「メタモルフォーゼ(=変身,変形)」というシリーズ内の「聖なる広場の物語」という作品です。それは、簡単に書くと次の様な内容です。



********************

或る森に、多くの鳥達が住んでいた。その中に、ヒワ(スズメ目アトリ科に属するカワラヒワ・マヒワ・ベニヒワの総称。)達が住む木が在り、ゴーズという巨大な鳥も共生していた。彼は、「聖なる広場」で砂を浴びて、巨大化したのだという。しかし、ゴーズは次第に横暴になり、ヒワ達を(縄張り争いし巨大鳥)ガバから守る代わりに、(食す為に)産んだ卵を差し出す様に要求する。



ヒワの一匹がゴーズに頼み、その聖なる広場迄連れていって貰う。其処は人間の作った化学工場の廃虚だった。そう、ゴーズはガバに対抗し、巨大化&変形化する為に、放射灰を浴びていたのだった。そして、ガバも同様に、この”死の灰”を浴びて対抗していたのだった。急ぎ帰ったヒワは、既に鳥とも思えなくなったゴーズに戦いを挑む。他の鳥達もヒワに加勢する。突然の小鳥達の反乱を、ガバの仕業だと思ったゴーズは、一層”死の灰”を浴び、巨大化&変形化する。ガバも同様に、相手に負けてはならじと、浴び続ける。そして、最後には共に果ててしまう・・・。

********************



結局、何かに頼って、極限を極めようとすると、破綻を来たすという事なんでしょうね。



幾つかの御意見の中で、大口町日記筆者様が書かれていた「選手本人が無自覚の内に、名誉や金に目が眩んだ周りのスタッフが、薬物を服用させる可能性も有り得る。」とされていたのは、自分としてはそういう可能性も確かに有り得ると、目から鱗でした。



本当に勉強になりました。有難うございました。
何故「殺人」はいけないのか? (giants-55)
2004-09-29 04:31:40
記事を拝読させて戴きました。



自分も行動規範の一つとして、「自分がされて嫌な事は、他者にはしない。」というのが有ります。やはり、幼少時から、親に言われ続けた道徳観念とも言えるものですが、その観念を拡張適用しての、「殺人否定論」納得です。特に、最後の方の「集合のベン図」を思わせる内容には、やられた感が有りました(笑)。



一般的に”常識”としていけないとは思っている事でも、深く突き詰めると何で?と思ってしまう事多いですよね。勉強になりました。
トラバありがとうございます。 (バック転)
2004-09-29 18:58:13
トラバお世話様です。私も附けさせていただきましたぁ~



今回の一連の皆様との意見交換を経て、かなり色々な思考の道具を使ってきたなと感じています。論理学の一面や、法律・文学等等、すごいたくさんの切り口から皆さんが、ドーピングや罪、やっていいこと悪いことについて論じておられます。



これが、ブログのよさだなぁとつくづく思っておりました。今回のまなりんさんの記事と私の記事のテーマはかなり近いところにありますので、私の考察とまなりんさんの考察の相違点がはっきりと見えて、面白いですよね。



さて、本題ですが、まなりんさんのおっしゃる2つの点ですが、これは価値観がかなり影響をしていると思われます。私の例の記事にもJOHNYさんからコメントがついたのですが、



相手の思っている嫌な事

自分の思っている嫌な事

第3者が思っている嫌な事



というのはもちろんばらばらです。その中で、多数の人が感じる「一般的に普遍であるとされる嫌な事」というのが、ルールとしてあるんだなということを考えました。



まなりんさんや私が書かせていただいた「人を殺してはいけない理由」は、giants-55さんがおっしゃってますが、道徳観念として日常生活の中では捕らえているだけになかなか論理的解釈の次元にはあがってこないのかもしれませんね。



今後ともよろしくです。
はじめまして (nene)
2004-09-29 20:17:46
giants-55さんのblogから巡ってきました。



私も、犯罪が頻発しているこの世の中で、音楽や本などから犯罪について色々考えさせられています。

私の文章は回りくどくなってしまうのですが、houndteiouさんがわかりやすく書かれているのを見て感心いたしました。



トラックバックさせて頂きたいと思います。

よろしくお願いいたします。

ごめんなさい (nene)
2004-09-29 20:20:40
2回トラックバックしてしまいました。

削除してください。
刑罰 (giants-55)
2004-09-30 01:21:11
書き込み有難うございました。



「刑罰は被害者の恨みを晴らす一手段ではない。」とは判ってははいるのですが、古くは「女子高生コンクリート殺人事件(http://964.jp/Z2cq)」や「深川通り魔殺人事件(http://964.jp/Z2cr)」、「三菱銀行猟銃強盗殺人事件(http://964.jp/Z2cs)」、新しい所では「”酒鬼薔薇聖斗”事件(http://964.jp/Z2ct)」や「世田谷一家惨殺事件(http://964.jp/Z2cu)」等、理不尽且つ残酷極まりない凶悪犯罪多発の現状では、どうしても”性善説”を離れ、遺族側に立った厳罰主義を支持してしまう自分が居ます。ハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」ではないですが、凶悪犯罪を犯したらこういう目に遭うという”見せしめ”的な部分も必要なのかなあと思ったりも。そういう意味で、「死刑廃止論」には抵抗感を持ってしまう自分です。この問題も、なかなか難しい部分が有りますよね。
簡単なことです (risa-ferunandesu)
2004-10-09 08:47:36
giants-55さんのサイトから来ました。



娘が難病の宣告を受けました。

去年、難病の子供ばかりの病棟に入院して、文章では表すことができませんが、生きている事は幸運なんだと肌で感じました。



命は簡単になくなります。

本当に灯火のような存在です。

そう思えば少しは事の本質も理屈ではなくつかめるはずです。

houndteiouさんの言うとおり、深く考えることではないのかもしれません。

駄目なものは駄目!



はじめまして。 (ぷれこ)
2004-10-09 22:15:50
giants-55さんのブログから来ました。ぷれこと申します。お初なのに、いきなり長いTBしちゃいました。今後ともよろしくお願いします。