BS世界のドキュメンタリー fan

世界中で作られたドキュメンタリーの中からNHKのスタッフが選んだ番組 ファンサイト

ドイツ買いの現場では  2月14日(水) 後9:10~10:00

2007-01-26 22:31:35 | Weblog
ドイツの高い技術レベルを入手しようと中国の大企業がルール工業地帯にある最新鋭のコークス工場を買収した。中国側の目的は、工場を解体して、この工場の設計図を手に入れること。この設計図で中国各地に最新鋭のコークス工場を作り、ドイツその他の先進国にコークスを輸出するのがねらいだ。
この番組は、中国企業に買収されたドイツのコークス工場が中国人労働者によって解体され、上海に移設される様子を1年にわたり撮影。コークスとは、石炭 を蒸し焼き (乾留 )したもの。燃焼時の発熱量が高いこと から 蒸気機関車 や鉄鋼業 など の重厚長大産業 には欠かせない燃料である 。解体が進むにつれ、双方の技術者の間で、様々な軋轢が生じる。そのコミュニケーションギャップを描く中で、ドイツ人と中国人の考え方は相容れないことが浮き彫りになる。
ドイツ人技術者は解体を安全に実施することを優先するが、「安全」の基準が中国人技術者とは全く異なる。ドイツ人から見ればずさんきわまりない危険な現場感覚で通訳を通じて議論が日々行われ、あるとき、解体作業は中断する。ドイツ側の強い意志を見て中国側はようやく安全確認を行うようになる。
中国各地からの労働者たちは、低賃金労働者だが多くの人たちが「これで家族を養える。これで子どもが学校に通える」と語り、早朝から夜遅くまでの作業を黙々とこなした。この中で、高い足場から中国人労働者が転落し、重傷を負うが、中国企業は、「安全確認を行わなかった労働者の責任」と補償額を減らすとほのめかす。
ドイツ人技術者は「彼らは蟻のようにわいてきた」と中国人の集団主義と勤勉ぶりを揶揄するが、1年で最新鋭の巨大工場は見事に解体された。このグローバリズムの市場原理の中で、ドイツの魂とも言える高水準の技術を中国に渡し、勝者は明らかに中国人というのがこのドキュメンタリー制作者の視点となっている。

~Winners and Losers~(原題)
制作:ドイツ/2006年

“自由”と“民主主義”  2月13日(火) 後9:10~10:00

2007-01-26 22:30:31 | Weblog
社会主義を維持しながらも市場経済が導入され、経済発展をもたらした反面、貧富の差は拡大している。豊かになった国民は自由と民主主義を求めるようになったが、政府は、集団で行われる大規模な抗議活動には武力で臨むという態度を崩していない。
市場経済が進んだものの、表現の自由、そして民主主義はどの程度、今の中国で実現されているのかというテーマに欧米が真正面から切り込んだ。

~Inside China : Freedom & Justice~(原題)
制作:イギリス/2006年

成長の代償  2月12日(月) 後9:10~10:00

2007-01-26 22:29:02 | Weblog
年率8%という経済成長率。その中国の繁栄ぶりを欧米のメデイアは驚きの目で見ていると同時に、繁栄の影で進行している環境汚染には大きな警戒感を抱いている。世界の汚染都市トップ10のうち5つは中国の都市が占め、CO2排出量は米国に次ぎ世界で2番目だ。消費財がより多くの人々の手にわたるようになり、産業廃棄物が増え、砂漠化による
渇水も深刻となっている。各地で報告される健康被害は年々増えており、環境汚染の被害コストはGDPの15%にまで及び、経済成長を脅かす要因になることを政府当局も認めている。開発か、環境保護かの選択に揺れる、中国各地をルポした。

~Inside China : Shifting Nature ~(原題)
制作:イギリス/2006年

ガンジーの“道”をたどる  2月7日(水) 後9:10~10:00

2007-01-26 22:27:12 | Weblog
インド建国の父であるガンジーの思想を思い起こし、インド独立の経緯を思い起こすことで今を見つめ直す1本。ガンジーがインドを独立に導く大きな原動力となった「塩の行進」から75年という節目(2005年)で作られた番組。デイレクターはモーリシャス出身の作家。ガンジーが独立をめざす際に訴えた非暴力の思想。独立後、ヒンドウーとイスラムの宗教対立をやめさせるべく、断食を行って融和を唱え、また、貧富の差を解消しようと様々な試みを行ったガンジーの思想と哲学は、今のインドにどう生きているのか。非暴力、融和と平等は今のインドが抱える問題のキーワードともなっている。取材班は、「塩の行進」が実施された400キロの行程をたどり直すことで見つめようとした。塩の行進が行われたグジャラート州は2002年に大規模な宗教対立が起き、500人以上の死者が出た。ガンジーの訴えた理想の実現はまだ道半ばである。インドを見つめる一週間の最終回として、ガンジーの思想を21世紀を生きるインドの人々がどう受け止め、未来にどうつなげようとしているかを探る。
~Illuminating Gandhi~(原題) 制作:フランス 2005年

綿花地帯からの告発  2月6日(火) 後9:10~10:00

2007-01-26 22:25:26 | Weblog
欧州の大手スーパーや小売店などで安く売られるタオルやシーツが、実はインド北西部のコットンベルト(綿花栽培地帯)で働く労働者や地域住民の健康を犠牲にして生産されているという、企業のグローバル化に警鐘を鳴らす番組。綿花の生産性を上げ価格競争力を高めるため、年に20~30回もの農薬の大量散布が行われ、ガンの発生率が著しい高まりを見せているインドの状況を取材。また地元の工場に潜入し、危険で劣悪な環境に置かれた従業員の姿を撮影。エコ企業であるとうたいながら、インドの実情を取材班につきつけられた北欧の小売業者は、現地調査を行うと約束する。
~Killer Bargain~(原題) 制作:デンマーク/2006年

潜入 新薬開発の舞台裏  2月5日(月) 後9:10~10:00

2007-01-26 22:23:02 | Weblog
インドで、製薬会社に臨床試験の被験者を斡旋するビジネスが急成長中だ。新薬の効果を確認するには、患者が他の薬剤の投与や治療を受けていないことが条件となるが、2人に1人が1日1ドル以下の暮らしをしているインドでは、医療の恩恵を受けられない人々は山ほどいる。そうした患者が、いわば無料の薬を投与してもらえるのだと誤解し、臨床実験に次々と参加している。大手製薬会社が、先進国では合意がなければできない臨床実験データを、インドで安易に手に入れている実態をBBCの報道番組がリポートした。
調査を進めるうちに、被験者が薬の副作用や危険性を十分に説明されていないことが明らかになってくる。
また副作用で寝たきりになった患者も登場し、一家の働き手を失った家族は困窮を訴える。番組は最後に、世界には被験者ピラミッドが形成されつつあり、貧困という理由から第三国の患者が危険な人体実験にさらされている実態を放置している責任は、先進国側にあることを訴える。
番組では、ジョンソン&ジョンソン、グラクソ・スミスクライン両社のインド支部が取材に応じ、臨床実験に不備があったことを認め、インド当局も今後見直しが必要であるという認識を示した。
~Drug Trial : The Dark Side~ (原題)制作:イギリス/2006年

中国 一妻多夫の村  ~少数民族 ナシ族の暮らし~

2007-01-11 22:21:39 | Weblog
1月11日(木) 後9:10~10:00





中国雲南省の北西部、四川省との境界近くは、シャングリラ(桃源郷)と呼ばれるチベット族が暮らす地域。自動車で行くことのできる最後の町から、さらに馬を使って険しい山岳地帯を2日間移動して、ようやく辿り着ける辺境の村、俄亜(ウォヤ)。今回、世界ではじめて、雲南電視台が撮影した。住民の8割が、生涯を村から出ることなく暮らしていて、子供たちに「有名なサッカー選手を知ってる?」と尋ねると、全員一致で、「毛主席!」と答えるほどだ。
この村で最も重要視されるのが、家族の団結。そのため、現在も、兄弟が同じ女性と結婚する一妻多夫制が厳格に守られている。複数の女性が新しく家族に加わる事は、一家の不和につながると考えているためだ。この地域では、猫の額ほどの小さな農地があちこちに点在しているので、どの家族も、本宅から離れた場所に農作業小屋を持っていて、兄弟は交代でそこに寝泊りするため、妻を取り合う兄弟喧嘩は起こらないという。また、弟との間に生まれた子どもも、長男の子として分け隔てなく育てられる。
この村で、もうひとつ人間関係の潤滑油として欠かせないのがアルコール。「酒がなければ、何ひとつ成功することはない」という格言があるぐらいで、秋、収穫の季節を迎え、村人たちは小麦の収穫の9割を、醸造用に回してしまう。
中国最後の秘境の村をたずね、人々の風習や生活に触れながら、いつしかこの村が「幸福の谷」と呼ばれるようになった理由に思いを馳せる。 ~幸福山谷~俄亜印象~(原題)
制作:中国/2004年



アンデス 密林の民アシャニンカ 

2007-01-10 22:12:54 | Weblog

1月10日(水) 後9:10~10:00


ペルー中部アマゾン川流域の高地に暮らす先住民、アシャニンカの大自然に根ざした伝統の暮らしを描くドキュメンタリー。フランスの文化人類学者ジェロマン・パスツール女史は、先住民アシャニンカの暮らしを20年以上にわたり、カメラで記録し続けてきた。ジェロマンさんが向かうアシャニンカのパリジャロ村は、アマゾン川の上流、道なき道を2日間のぼり続けた高地にある。
毎年、一定の期間、ジェロマンさんは彼らと一緒に暮らしながら撮影を続けている。アシャニンカの人々は電気、水道、ガスのない暮らしを続け、近代的な医療にも頼らず、一族で結束して生きてきた。毒性のある木の根を川に流して、魚を気絶させる伝統的な漁法。木綿をつむぎ、芋焼酎を作る。サルが貴重なタンパク源。男性陣が狩猟に出かける。しかし、最近になって、この秘境でも、違法な森林伐採があとを絶たず、ペルー高地の氷河が温暖化で溶け始め、川が氾濫するなど、アシャニンカを取り巻く環境に異変が起きている。  
番組では、伝統的なアシャニンカの風習と暮らしを紹介しつつ、森林伐採など、現代社会の影響がここまで押し寄せている実態を映し出す。ジェロマンさんは、大自然と共生しながら生きてきたアシャニンカの暮らしを守るためにも、映像記録を今後も残していくとしている。                 ~Who Are You, Ashaninka?~(原題)
制作:フランス/2005年



はるかなるデナ山をめざす  イラン ~山岳遊牧民・カシュガイ族の大移動~

2007-01-08 01:56:11 | Weblog
1月8日(月) 後9:10~10:00



遊牧民の大移動を記録した2本シリーズ。1本目は、イランの遊牧民、カシュガイ族の大移動を同行取材した。
カシュガイ族はイラン南西部のザクロス山脈のふもとを広範囲に移動しながら生活を続けている。このうち、ベザドさん一家は、毎年、夏になると放牧地を求めてガルミルからカカンまで、400キロの道を6週間かけて移動する。気温40℃の炎天下、険しい峠を越えるために、ほとんど不眠不休の旅が続く。山岳地帯をぬける車に行く手を阻まれたり、遊牧民に冷ややかな態度をとる地元の農家と衝突したり。また、トラックを使った大規模強盗団から、自分たちの家畜も守らなくてはいけない。「昔はこんなことはなく、自分が行きたい方向に進むことができたのに・・・」とベザドさんは嘆く。移動の途中で疲れ果て、病気になってしまう女性。一族のみんなが遊牧民としての生活に満足しているわけではなく、「定住」を望む人もいる。
ベザドさんの娘は「父の年齢を考えると大移動はだんだん困難になっている。遊牧民としての生活はもはや意味がないのでは」と言う。しかしベザドさんの遊牧民としての誇りは大きい。最後に「父親がくれたこの杖(遊牧民のシンボル)は絶対に手放すことはない」と強く語る。

Last Chance Journeys
Iran: Journey of the Qashqa'i(原題)
制作:アイルランド/2004年



BS世界のドキュメンタリー「リベリア 再建への模索~内戦終結から3年~」

2007-01-06 10:50:05 | Weblog
アフリカ西部に位置し、アメリカの奴隷解放でアフリカに移住した人々によって建国されたリベリア共和国。2003年、14年にわたる内戦の末、アメリカの介入によってようやく平和を取り戻した。番組では同年10月の暫定政権発足から、2005年10月に実施された大統領選挙を経て、2006年1月に女性大統領による新政権が発足するまでのおよそ3年間を取材した。
~2006年 アメリカ ステファン ロス制作~


私を忘れないで  ~ダルフール難民キャンプの子どもたち~

2007-01-02 01:53:46 | Weblog
1月2日(火) 後5:30~5:55



スーダン西部のダルフール地方では、3年前から政府が支援するアラブ系武装組織ジャンジャウィードとアフリカ系の反政府勢力との紛争が続き、アラブ系武装組織がアフリカ系の住民の村を次々と襲撃している。これまでに20万人以上の一般人が虐殺され、世界最悪の人道危機と呼ばれている。
戦火を逃れるため、スーダン国内と隣国チャドの難民キャンプに押し寄せた避難民の数は200万人を超え、国際社会の支援が難民の数に追いつかない状況だ。灼熱の砂漠の真ん中にあるビニールを張ったあばら屋。配給される味気ない混合食糧とビタミン剤。劣悪な衛生環境がもたらすコレラや赤痢などの疫病。難民たちは、いつ終わるともしれない過酷な生活を強いられている。
難民たちの半数以上は子どもたち。15歳の少女・スマヤは幼い兄弟たちの面倒をみながら、心に傷を負った子どもたちの治療センターを手伝う日々を送っている。彼女の村が襲撃に遭ってから、この難民キャンプにたどりつくまでの体験も、子どもの目線で語られる。時に、キャンプを豪雨と砂嵐が襲い、病気が蔓延する中、ついにスマヤも体の不調を訴える。
キャンプの窮状は、ひところ欧米のメディアに大きく取り上げられたが、何の進展もないままに2年が過ぎ、今では報道も十分ではなく、いわば世界から忘れられた存在となってしまった。国際社会が今、この問題を本格的に解決しようと立ち上がらなければ、キャンプに暮らす200万人には近い将来、死が待ちかまえていると、この作品はスマヤの日常を通して静かに訴えかけてくる。

≪モンテカルロ・テレビ祭2006 特別賞 受賞作品≫

~Children of Darfur~(原題)
制作:デンマーク




大家族  ~中国 四世代同居の家~ 1月2日(火) 後3:10~4:00

2007-01-02 01:50:15 | Weblog

「祖父母から曾孫の代まで四世代が一つ屋根の下で暮らす大家族は、中国では古くから理想的な家族の形とされ、幸福の象徴だった。しかし、改革開放のうねりの中で、人々の価値観やライフスタイルが急速に変化し、都市部ではすでに核家族化が進み、その波は遥か遠い辺境の農村にまで押し寄せている。
中国南西部に位置する広西チワン族自治区の農村地帯。周家は、1975年から脈々と続く四世代同居の大家族で、村人たちの憧れの的であった。家長の周智は亭主関白で、何でも思い通りにならないと気が済まない性格の持ち主だ。1980年代にレンガ工場を設立し、村で最も成功した経営者となった彼は、家族にとっては、頼りになる大黒柱の存在だった。
そんなある日、周智が投資した20ヘクタールのほどの果樹園の事業が失敗し、一転して数十万元の借金を負う事になってしまう。貧乏のどん底に落ちたことで、それまで円満だった家族の間から不平や不満が噴出し、家庭の抱えていた矛盾が明らかになる。
長男の嫁は、周智の暴君のような性格に不満を募らせ、夫婦で大家族から抜け出したいと訴える。長女は、親から押し付けられた縁談に対し我慢の限界に達している。次女は次女で、夫の無能ぶりに呆れて、姉ともども家を出たいと言い出す始末だ。
周知は、二百数十年続いて来た大家族を守ろうと奮闘するが、一度権威を失墜してしまった家長が、自由を求める若い世代の考え方を変えることは難しそうだ。現代の中国で変わりゆく価値観を、ごくありふれた庶民の生活の中に見る。

≪上海テレビ祭2006ドキュメンタリー部門 最優秀審査員賞受賞作品≫

~The Big Family~(原題) 
制作:中国/2005年




緊迫の52時間  ロシア ベスラン学校占拠事件~前・後編 1月2日(火)

2007-01-02 01:48:49 | Weblog
2004年9月、ロシアの北オセチア共和国ベスランで、チェチェンの武装勢力が小学校を占拠。事件は、330人が死亡、うち186人が子どもという悲惨な結末を迎えた。この番組は、事件がなぜ悲惨な終わり方をしたのかを探るために制作された。ロシアとイギリスによる合同取材班が現場を訪れ、生存者(子どもとその親)、武装勢力との交渉にあたった人物、当局関係者への詳細なインタビューを交えて、事件が起きた背景から結末に至る3日間のプロセスを時系列で追い、事件の全貌に迫った。
事件が起きて2日目、水が絶たれ、体育館に900人以上の児童及び保護者が詰め込まれる中、武装勢力との交渉役としてイングーシ元大統領がモスクワから送り込まれた。その結果、乳児とその母を解放させることができたものの、大半は体育館に留め置かれ、2日目の夜を迎える。さらに送り込まれた交渉役の小児科医は「水がなくても子どもは8日間、生きられる」と発言し保護者の怒りをかった。膠着状態のまま迎えた3日目、第3の交渉役とされる、当時逃亡中のチェチェン大統領が到着する直前、突如、ロシア軍による銃撃が始まり、体育館が焼け落ちるという結末を迎えた。
政府当局がとった策は正しかったのか。これほどの犠牲者を出さなければ解決できなかったのか。様々な謎が解明されないままベスランでは、ロシア政府に対する怒りと悲しみが今も渦巻いている。交渉役となったイングーシ元大統領、小児科医、及び北オセチア警察幹部はインタビューに答え「政府の指示に従っただけ」と語り、悲劇的な結末をさけられなかったことに対する苦渋をにじませた。

≪イタリア賞2006 時事ドキュメンタリー部門 最優秀賞 受賞作品≫

~The Beslan Siege~(原題) 
制作:イギリス/2005年