陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

良い人? 悪い人??

2008-03-17 22:19:22 | 
その1.「良い」主人公の許しがたい行為

ミステリや時代小説などが顕著だろうが、そうでない作品でも、わたしたちはたいていのとき本を読みながら、半ば無意識のうちに「良い人」「悪い人」と分類している。

たとえば夏目漱石の『坊ちゃん』などはその典型で、見事なまでに「良い者」「悪者」がはっきり分かれており、わたしたちは主人公の「坊ちゃん」に寄り添って作品の世界に入っていく。

ところが主人公は必ずしも「良い者」ばかりではない。
たとえば森鴎外の『舞姫』など、恋人のエリスを捨てて、日本に帰国してしまう主人公の太田豊太郎は、わたしたちの感情移入を拒むような人物である。だが、一方で、彼はあきらかにそう設定されているのだ。自分の恋愛感情ではなく、日本のために自分の修めた学問を役立てる道を選択した人間、世間的に成功しても、みずからに対する尊敬の念を取り戻すことはできない人間として、作者によって造型された登場人物なのである。
本の主人公のなかには、ごくまれに、こうした「嫌われ者」もいるのだ。

だが、たいていはわたしたちは主人公によりそって読み進む。途中、失敗しても、悪いことをしても、ときに『アンナ・カレーニナ』のように不倫したり、『罪と罰』のラスコリニコフのように人を殺したりしたとしても、彼女や彼を嫌いになることはない。なぜそういうことをしてしまったのか、これからどうなっていくのか、そういう気持ちが生まれるのは、嫌いにならないからこそだろう。第一、嫌いになってしまうと、あんな長い小説は先を読み進めない。

ところが、その登場人物の行動が、どうにもひっかかってしまうことがある。喉にかかった小骨のように、その行動が納得できない。一部、納得ができなくても、納得のいく成り行きが用意されているのだろうと期待して読み進む。それでも結局納得がいかないことがあるのだ。

今日、書くのはそんな物語の話である。

こんなことをする人間がいたら、あなたはどう思うだろう。
A子はB子さんから、C君に手紙を渡してほしいと頼まれる。どうやらラブレターらしく、中身が気になってしょうがないA子は、こっそり開封して読んでしまう。ところが吹いてきた風に飛ばされて、手紙はどこかに行ってしまった。困った彼女は、記憶を頼りに書き直し、そのことは伏せてC君に届ける。

実はこれは角野栄子の『魔女の宅急便』に出てくるエピソードなのである。この「A子」にあたるのが主人公のキキ。わたしはその昔、たぶん、二十代になったばかりのころに読んだのだと思うのだけれど、ともかくこの箇所を読んだとき、ひどくいやな気分になった。ほかの部分などまるで記憶になく、『魔女の宅急便』というと、この場面をもとに、いやな本として記憶に残ったのである。

預かった手紙を盗み読みするなんて、とんでもないことじゃないか。
確かにそれを書いたのは、主人公のキキと同じ十三歳の女の子で、内容も、ラブレターといってもごくごく他愛のないものだ。それでも、だれの心のなかにも、他人の立ち入ることを許さない場所があるはずだ。何が書いてあるか、ではないのだ。人はある程度の年代になったら、そういう場所を必要とする。おそらく十三歳前後というのは、そうした世界に入っていく年代なのだろう。人には見せたくない場所、ふれられたくない場所、そういう場所を内に抱えることによって、おそらく人はひとりの人間になっていくのだ。そうして、相手の内にあるそういう場所を、自分のそれと同じように大切にし、尊重しながら関わっていくというのが、人と人とのつきあいの基本であるようにわたしは思った。それが信頼ということなのではないか、と。

ラブレターというのは、世界のなかでたったひとりだけ、自分の秘められた場所に迎え入れようとするものだ。そこに関係のない人間が踏み込むようなことをしてはいけない。もし仮に、まだそういうことがよくわからなくてしてしまった行為であっても、主人公は自分の行為をもっともっと恥じ入らなければならないのではあるまいか。そう感じたわたしには「読んでしまったおかげで、結果的に人を結びつけることができた」という筋書きは、到底、承服できるものではなかったのである。

ところがこの本は人気がある。宮崎駿夫の映画にもなった。映画の中でこのエピソードがどう処理されているのかは知らないのだけれど、自分以外の人は、こうした違和感は覚えなかったのだろうか。

ということで、ここではこの章を読み直してみよう。

まず、手紙の依頼主が現れる場面。
女の子はうなずいて、黒い目をきらりと光らせると、わざとらしくゆっくりとまばたきをしました。キキに見せびらかすように念をいれてすましているふうにも、見えました。
「とどけていただきたいの、だけど……ちょっと秘密なの」
「秘密?」
キキはまゆをよせてききかえしました。
(略)
「贈りものをとどけてほしいのよ、アイ君にね。きょうは彼のおたんじょう日なのよ。十四歳になったの。いいでしょ」
 女の子は、彼のたんじょう日を自分でつくったみたいにじまんしていいました。
(いいでしょ、って……なにがさ)
 キキはいらいらして口の中でつぶやきました。
(角野栄子『魔女の宅急便』福音館)

この章は全体の真ん中より少しあとに当たる。つまりここまで主人公によりそって見てきた読者は、すでにキキとはずいぶん親しくなっているわけである。そうしてこのキキの目を通して、この依頼主を見ることになる。キキの反感をかき立てるような依頼主。読者は彼女を好きにはなれない。わたしはすっかりこの依頼主のことなど忘れてしまっていた。
「すてきな贈りものなんだから、自分でわたせば? なんでもないじゃない」
キキは追いかけるようにいいました。
「だってあたし、はずかしいんですもの」
 女の子はまたゆっくりとまばたきしました。それははずかしいのがとてもいい気持とでもいっているふうでした。キキは、この自分と同じ歳の女の子が、ずっとおとなに見えて、ふいに胸をおされたようなショックを感じていました。
「はずかしいだなんて、へんね」
キキはまた、いいました。
「あら、あなた、そういう気持、まだわからないの?」
 女の子はうっすらほほえんで、キキをあわれんでいるみたいです。

いよいよこの依頼主はいやな女の子に思われてくる。
男の子にあげる詩なんて、いったいどんなことが書いてあるのでしょう。あの人はあんなにきれいだったしおとなっぽいから、きっとすごいことが書いてあるにちがいありません。キキはいろいろ想像して、胸がどきどきしてしまうのです。見てはいけないと思えば思うほど、封筒はポケットからとびだし、どんどん大きくなって、目の前いっぱいにひろがっていきます。

なるほど、ここまできたら、読んでしまう、という心情もわからなくはない、という書き方になっている。キキがそういう行動を取ってしまうのも、仕方がない、のかもしれない。
そうして、先にも書いたように、キキは手紙を開封してその詩を読み、しかもなくしてしまうのである。
だが、それを知った依頼主はどうするだろう。
「あたし、わるいことしちゃったのよ」
 キキは目をふせて、女の子の詩をみてしまったこと、その紙を飛ばしてしまって、かわりに落ち葉に詩をうつしてアイ君にとどけたことを、ぜんぶ話しました。
「まあ」
 女の子はちょっとがっかりした声をあげました。
「ごめんなさい。でも詩はね、ちゃんと思いだして書いたつもりよ。あなたがお店にきたとき、あたしと同じ年なのにあんまりきれいだったし、それになんでも知ってるみたいだし……そんな女の子って、どんなこと書くのか知りたくって……がまんできなかったの。ゆるしてね」
「まあ、あなたもそう思ったの。あたしもよ」
 女の子はいいました。
「(略)ここにたのみにきたら、年もおなじくらいなのにあなたがとてもおとなっぽくきれいに見えたんですもの。とたんにどうしたわけか負けられないっていう気持になっちゃって、ごめんなさい。……魔女さんとあたし、おたがいに似ているみたい。気があいそうね」

え? それでほんとうにいいの? という気に、いま読み直してもやはりそう思ってしまう。つまり、かつてのわたしの感じた違和感というのは、責められてしかるべきふるまいが不問にされたことからくるものだったのかもしれない。

だが、端でわたしが違和感を覚えようがどうだろうが、この依頼主、詩を読まれて、なくされても、彼女がキキのことを「友だちになれそう」と思うのであれば、それはそれでいいと思うしかあるまい。
やっぱりあれから十年以上がたって読み返してみても、微妙な違和感は変わらないのだが、ともかく明日はもう少しちがう作品を見てみよう。

(この項つづく)


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