陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

望遠鏡的博愛 その1.

2007-12-19 22:32:30 | 翻訳
わたしはポール・セローという作家が昔から好きで、いろいろ書いたものを読んできたのだが、その彼が二年前、ニューヨーク・タイムズに寄稿した文章を見つけた。
それを訳しながら、海外援助ということについて考えてみたい。

原文はhttp://www.nytimes.com/2005/12/15/opinion/15theroux.html#
で読むことができます。


ロック・スターの重荷(The Rock Star's Burden)

by ポール・セロー


世の中にはもっと不愉快な話だってあるのだろうが、私にとっては、カウボーイ・ハットをかぶったアイルランド人の金持ちロック・スターがアフリカ情勢について能書きを垂れること以上に気分の悪いものはない。クリスマスということでお涙頂戴の話にはもってこいだ、さしずめ私がスクルージなら、ポール・ヒューソン――彼は自分のことは“ボノ”と称しているらしいが――の、同じくディケンズの小説における役どころは『荒涼館』におけるミセス・ジェリビーだろう。入植地「ニジェール川左岸」のボリオブーラ=ガー村のことをのべつまくなしに言い立てるジェリビー夫人は、コーヒー栽培のために出資し、「ピアノの脚に変え、輸出貿易を確立する」(※注)計画を立案し、その一方で、人々に金を出させて、なんとかアフリカを救おうとしているのだ。

アフリカの運命は、どうやらステージでの無駄話の種、おおっぴらな意思表示の手段になってしまったらしい。だが、アフリカは致命的な状態で、外部からの援助――有名人のそれやチャリティ・コンサートは言うまでもなく――しかアフリカを救えない、というイメージは、事実を歪曲しているし、思い上がりを招きかねないものでもある。四十年以上前のことだが、私たちは平和部隊の教師として、マラウィの農村部に赴いた。同地を再訪したり、ニュースに接するたび、マラウィが近年、干ばつに見舞われるなど、非常に不幸な状態に置かれていることに胸を痛めている。だがなによりも信じがたい思いに襲われるのが、その解決案とされるものだ。

何も私は人道的支援や災害救助、エイズに関する啓蒙活動や安価な薬の供給を指しているのではない。あるいは、「マラウィ子供村」のような、小規模ではあるがしっかりした監視活動にも異論はない。私が言いたいのは「もっと金を」主義、アフリカに必要なのは、いま以上の名声を利用したプロジェクトや、ボランティアによる労働、債務免除である、という考え方についてなのだ。そろそろ私たちももっと分別を持ってもいいころだ。献金に対して一ドル残らずの会計報告が出されないかぎり、私は自分の個人資産を募金や政府援助に当てるつもりはない――実際には報告など出されたためしがないのだが。これまで通りの方法を続けて、これ以上多量の金をドブに捨てることは単に無駄だというだけではなく、有害でもあるのだ。さらには、いくつかの明らかな点を無視している。

私がマラウィで働いていた60年代初頭より、教育状態が低下し、疫病が蔓延し、公共サーヴィスが悪化しているのが事実なら、その原因は外部からの援助や献金が不足しているためではない。マラウィは長年に渡って、何千人もの外国人教師や医師や看護師、巨額の経済支援を受け入れてきた。にもかかわらず、将来の展望のある国から破綻国家に転落したのである。

六十年代半ば、私たちは近い将来、マラウィ国内で教師の需要は満たすことができると考えていた。事実、そうなるはずだったのである。ところが現地で教師を育成するための小規模のボランティアを派遣するかわりに、何十年にも渡って、平和部隊の教師たちが派遣され続けた。その結果、マラウィ人たちは、低賃金で社会的地位も低い教師を避け、未開地区の学校で教えることはアメリカ人ボランティアに全面的に頼る一方で、教育を受けたマラウィ人たちは国外へ移住してしまったのである。マラウィで大学が設立されたが、迎え入れられるのは外国人教師たちばかりで、政治的な理由から、その地位につくマラウィ人はほとんどいない。医学の教授陣も同様に外国からやってきた。看護学校を卒業するマラウィ人も出てきたが、イギリスやオーストラリア、アメリカに移住してしまい、その結果、マラウィには依然として外国人看護師が必要なのである。
(続きはまた明日)

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※スクルージというのは、ディケンズの小説『クリスマスキャロル』の主人公。
金だけが生き甲斐の老人スクルージが、クリスマスに訪れた幽霊の導きによって改心する、というのが『クリスマスキャロル』のおおまかな筋である。
マラウィに対して資金援助をするつもりはないというポール・セローは、自分を吝嗇なスクルージになぞらえている。

一方「ジェリビー夫人」というのは、同じくディッケンズの小説『荒涼館』に出てくる登場人物。ここでもちょっとふれられているように、ニジェール川東岸のボリオブーラ=ガーに入植地を開くことに夢中になるあまりに、自分の子供は捨てて顧みない人。ディッケンズは彼女のことを「望遠鏡的博愛」と称している。

ここで「ピアノの足」と言われているのは、おそらくディケンズの "Hard Times"から来ていると思われる。この作品のなかに師範学校の教師というものは、同じ工場で生産される「ピアノの足」のように画一的な教育を受けて教師に仕立てあげられる、という部分がある。それとジェリビー夫人のもくろむ「来年の今ごろまでには、百五十から二百までの健全な家族をニジェル河の左岸でコーヒーの栽培とボリオブーラ・ガーの土民の教育に当たらせていると思いますわ」(『荒涼館1』)という言葉を重ね合わせているのだろう

(※サイトの「菊」のあとがきと"what's new" ちょっとだけ書き直してます。あと翻訳の作者と作品紹介のページにもスタインベックを追加しておきました。興味のある方はまたごらんになってください。ほんと、たいしたことは書いてませんが)


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