陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その10.

2012-08-11 00:10:01 | 翻訳

その10.


 屋根裏に通じるドアは、掛け金をかけておくのが好きなようで、だれが中にいたとしても、自然に掛け金がおりてしまうのだった。もうひとつ、少しだけ開く癖のあるドアもあったが、そのくせなんらかの事情で閉じたくなったときは、嬉々として閉まるのだった。

わたしたちが発見したところによると、この家には屋根裏部屋が五つあった。作り付けだったり、増築されたものだったり、隣り合ったりしている。だが、そのうちのひとつには、コウモリが住みついていたので、わたしたちはそこを完全に閉め切ってしまった。ほかには小さな窓がひとつしかないにもかかわらず、明るく居心地の良い屋根裏部屋もあった。そこは入りやすく出やすい場所だったので、やがて誰が決めたわけでもないのに、ひとまずものを置いておく場所、そりや雪かき用シャベルや庭の熊手やハンモックなど、ひんぱんに使う道具の置き場となった。

地下室には古い洗濯ロープが張ってあった。わたしは裏庭にロープを張っていたのだが、それが三度落ちたあげくに、そのロープをあきらめて、地下室に新しくロープを張った。するとそこでは洗濯物が素早くふわっと乾くのだった。

家には四つ暖炉があったので、薪小屋に薪を蓄えておくようにしたのだが、夫は薪割りが不思議と楽しいことに目覚めたようで、斧で薪を割る気持ちの良い音が、台所まで響いてくるのだった。

ベッドルームのひとつは、子供部屋になることを望んだようだった。というのも、そこは広くて明るくて、一方の壁には見間違いようもない、身長を測ったしるしがいくつも残っていたのだ。この部屋は、どうやらクレヨンの跡をつけられても、床に絵の具をこぼされても、ちっとも気にしなさそうだった。

一階の例の小さな暗い部屋に、わたしたちは本棚を置くことにした。二週間も経つころには、夫もなんとか十回のうち九回までは、その部屋に無事たどりつけるようになっていた。

 結局のところ、そこは古き良き家だった。ねこたちはロッキング・チェアで眠るし、友だちは立ち寄ってくれるようになった。決まった店で買い物することに慣れ、地元産のチーズを買い、かかりつけのお医者さんと犬を見つけた。ローリーは地域の保育園に入り、わたしがそうしているように、自分の家を説明するときに「あの古いフィールディングの家だよ――柱が並んでる」と言うことを覚えた。

ここに来て一年が過ぎようとするころ、ペンキ屋が家の外壁を塗り直しに来た。白塗りに、緑の縁取りで、過去ずっと同じ色が塗られてきたのだ。ほんとうのところは、このペンキ屋はこれ以外の色は持っていないのかもしれないのだけれど。

「きょうび、こんな家はめったにありませんや」と彼ははしごのてっぺんから善意に満ちた笑顔でわたしにこういうのだった。「こんなふうにしっかり建てられた家は、見かけなくなってしまったからね」

 わたしは家の前のポーチから、玄関のガラス越しに中をのぞき、階段が描く繊細な線や、ダイニング・ルームの明るいカーテンに目をやった。「古き良き家よね」とわたしは行った。

「いつだって猫が教えてくれるんだ」とペンキ屋は謎のようなことを言った。

 都会にいたときには、のべつまくなしに忙しがっていたわたしが、いまではジンジャーブレッドを焼いたり、キャベツのサラダを作ったり、といった、意外なことをするようになっていた。ローリーは裏庭に子供らしい庭を造り始め、ジャニーはダイニング・ルームで、人生初の一歩を踏み出した。

一度、ふたりをお隣に預けて、ひとりきりで市内に二日がかりの買い物兼冒険旅行に出かけたことがある。かつて住んでいたところをぶらぶら歩き、前に住んでいたアパートを正面から見たとき、わたしの頭に浮かんだのは、ひどくちっぽけで、薄汚いところだったんだ、という思いだけだった。「柱の列がないじゃない」胸の底からわき上がる満足感とともに、そうひとりごとを言ったのだ。もうひとつ、前の家主にそのことを話してやれたら、どんなにいいだろう、と。


(この項つづく)


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