平塚宿京口見付を出ると、すぐに大磯町です。
この辺りの地名は高麗(こま)。江戸時代は高麗寺(こうらいじ)村で、その名の通り一村まるごと高麗山にあった高麗寺の寺領だったそうです。もともとは大磯宿内だったようですが、江戸後期に傍示杭を引っこ抜いて移動させ、晴れて独立した村となったそうです。
ということは、平塚宿のシンボル・高麗山も、正確には平塚宿には属していなかったということなのか…。
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高麗、高麗山、高麗寺。
高来神社境内の案内板によると、668年に高句麗が滅亡したとき、王族の若光がこの地に渡来し大陸文化を伝えたとのこと。その後、716年に武蔵国高麗郡に移住し、若光を郡長として開発にあたったとのことです。埼玉県日高市に高麗川という駅や高麗神社があるので、その辺り一帯のことなのでしょうね。
で、大磯町の高麗。
渡来人の名残は地名のみなのかな?
そういえば付近に「唐ヶ原(とうがはら)」という地名も残っています。平安時代の更級日記に「もろこしが原」として記されてる場所だそうです。
今では、どこか懐かしさを感じさせる日本的な風景です。
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きっと江戸時代でも、すでに大陸の香りは消え、牧歌的な日本の原風景が広がっていたのでしょうね。
-H-
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