daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

寅彦の両親

2014年09月07日 | (転載・記事)  総 合

(引用文)
祖父がなくなった時に、そのただ一人の女の子として取り残された私の母は、わずかに十二歳であった。 家を継ぐべき養子として、当時十八歳の父が迎えられる事になったが、江戸詰めの藩公の許可を得るために往復二か月を要した。 それから五十日の喪に服した後、さらに江戸まで申請して、いよいよ家督相続がきまるまでにまた二か月かかった。 一月二十七日に祖父が死んで、七月四日に家督が落ち着いたのだそうである。 喪中は座敷に簾(すだれ)をたれて白日をさえぎり、高声に話しする事も、木綿車(もめんぐるま)を回すことさえも警(いまし)められた。 すべてが落着した時に、庭は荒野のように草が茂っていて、始末に困ったそうである。 (大正十一年四月、渋柿)


(大正十一年四月号掲載文を読んで)

寺田寅彦の母・亀は十二才の年に父親を亡くしている。

そして、その年の内に六才年上の利正を婿養子とする。

土佐藩内での寺田家の位は如何ばかりだったのだろう。

藩侯に重用されたらしい寺田家だが、表舞台に出ない。

土佐藩でネット検索しても寺田姓は見つからなかった。


父・利正の誕生は坂本龍馬に遅れること一年後である。

ネット検索で龍馬を調べたが利正については判らない。

物好きの御仁は、寺田屋事件と結びつけると面白いかも知れない。

現在の寺田屋は昭和30年代に寺田屋伊助を自称する人が営業を始めたようだ。

何やらミステリー染みて見えるが、地元では何のことはない常識かも知れぬ。


さて、母・亀は数え年、十二才で婿取りをした事になる。

現在でいえば満十一歳であるから、小学校五~六年生か。

利正、十七才なら、高校三年生で婿入りしたのであろう。

じっさいの婚姻は二十歳としても、亀は十四歳の幼な妻。


そして寅彦が産れたのが亀・三十六才の高齢出産である。

利正が四十二才になっての初めての息子が寅彦であった。

これは両親にとって、何とも可愛くて堪らなかったろう。

掌中の珠のように、大切に大切に育てられたと思われる。


実際、大切に育て過ぎて病弱に育つ子は多いものである。

亀は八十四才で亡くなっているから、丈夫だっただろう。

それなら、母乳を自ら与えたのであろうか? あるいは?

乳母を付けたとして、その乳房に化粧を施さなかったか?


鉛毒が含まれていた当時の化粧品を口にしなかったのか?

上流階級ならでは心配ごとだが、当時の人には判らない。

なにはともあれ、寅彦は東大で教えるまでになっている。

今回の引用文は、母・亀十二才の頃の打ち明け話である。


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