ぼちぼち読もか編集する
最終更新: teradatorahiko teradatorahiko 2009年06月13日(土) 07:12:40履歴
(引用文)
日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。 このガラスは、初めから曇っていることもある。 生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。 二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。 しかし、始終ふたつの世界に出入していると、この穴はだんだん大きくなる。 しかしまた、この穴は、しばらく出入しないでいると、自然にだんだん狭くなって来る。 ある人は、初めからこの穴の存在を知らないか、また知っていても別にそれを捜そうともしない。 それは、ガラスが曇っていて、反対の側が見えないためか、あるいは……あまりに忙しいために。 穴を見つけても通れない人もある。 それは、あまりからだが肥(ふと)り過ぎているために……。 しかし、そんな人でも、病気をしたり、貧乏したりしてやせたために、通り抜けられるようになることはある。 まれに、きわめてまれに、天の焔(ほのお)を取って来てこの境界のガラス板をすっかり熔かしてしまう人がある。(大正九年五月、渋柿)
(大正九年五月号掲載文を読んで)
寺田寅彦は、「日常生活の世界」と「詩歌の世界」の差異について暗示的に語る。
日常的に営まれる習慣や好み・規範意識・環境・価値観は人ごとに異なるだろう。
そうした人々の生活を理解する寅彦なら、生活に縛られている事情も判るだろう。
人が自由であるためには、何よりも・囚われている心を解き放つことが必要です。
そうして自由である人を詩人と言い、詩歌の世界に遊ぶ人と言うのだと思います。
生れつき自由な人、偶然 自由を得る人、自由になりたくて努力を重ねて得た人。
結局、自由な人々の通った軌跡を見るとき、人ごとに異なっているのが判ります。
ともあれ、寅彦は句誌「渋柿」の巻頭に即興的漫筆『無題』を載せたとしている。
その即興的漫筆を後日、まとめて『柿の種』という名前をつけて出版したらしい。
時代背景をみると、大正九年ごろからと云うから現代の感覚とは隔絶の間がある。
古いに関らず面白く読めるところに、新鮮味を失っていない事が分かるのである。
句誌「渋柿」は月刊の同人雑誌であり、寅彦の仲間向きの言葉で書かれたようだ。
寅彦自身が述べたように「気楽に気ままに書き流した」一筆タッチの随筆である。
そこに寺田寅彦の日常・人間が顕われているし、当時の生活・文化が表れている。
寅彦は、
「なるべき心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて」
読んでほしいと記す。これなら、如何にユックリ者の私でも読めそうな気がする。
最終更新: teradatorahiko teradatorahiko 2009年06月13日(土) 07:12:40履歴
(引用文)
日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。 このガラスは、初めから曇っていることもある。 生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。 二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。 しかし、始終ふたつの世界に出入していると、この穴はだんだん大きくなる。 しかしまた、この穴は、しばらく出入しないでいると、自然にだんだん狭くなって来る。 ある人は、初めからこの穴の存在を知らないか、また知っていても別にそれを捜そうともしない。 それは、ガラスが曇っていて、反対の側が見えないためか、あるいは……あまりに忙しいために。 穴を見つけても通れない人もある。 それは、あまりからだが肥(ふと)り過ぎているために……。 しかし、そんな人でも、病気をしたり、貧乏したりしてやせたために、通り抜けられるようになることはある。 まれに、きわめてまれに、天の焔(ほのお)を取って来てこの境界のガラス板をすっかり熔かしてしまう人がある。(大正九年五月、渋柿)
(大正九年五月号掲載文を読んで)
寺田寅彦は、「日常生活の世界」と「詩歌の世界」の差異について暗示的に語る。
日常的に営まれる習慣や好み・規範意識・環境・価値観は人ごとに異なるだろう。
そうした人々の生活を理解する寅彦なら、生活に縛られている事情も判るだろう。
人が自由であるためには、何よりも・囚われている心を解き放つことが必要です。
そうして自由である人を詩人と言い、詩歌の世界に遊ぶ人と言うのだと思います。
生れつき自由な人、偶然 自由を得る人、自由になりたくて努力を重ねて得た人。
結局、自由な人々の通った軌跡を見るとき、人ごとに異なっているのが判ります。
ともあれ、寅彦は句誌「渋柿」の巻頭に即興的漫筆『無題』を載せたとしている。
その即興的漫筆を後日、まとめて『柿の種』という名前をつけて出版したらしい。
時代背景をみると、大正九年ごろからと云うから現代の感覚とは隔絶の間がある。
古いに関らず面白く読めるところに、新鮮味を失っていない事が分かるのである。
句誌「渋柿」は月刊の同人雑誌であり、寅彦の仲間向きの言葉で書かれたようだ。
寅彦自身が述べたように「気楽に気ままに書き流した」一筆タッチの随筆である。
そこに寺田寅彦の日常・人間が顕われているし、当時の生活・文化が表れている。
寅彦は、
「なるべき心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて」
読んでほしいと記す。これなら、如何にユックリ者の私でも読めそうな気がする。